暗闇に聴く音

仕事中にザ・スクエアのCDを聴くことが多くなった。30年以上前に買ったもので、手元に残っているCDの中では間違いなく一番古いものだ。中学校の吹奏楽部でとても流行っていて、互いに貸し借りしたりテープを熱心にダビングしたりしていた。

ザ・スクエアはその後アメリカ進出を機にT-SQUAREと名前を変えてメンバーを入れ替えつついまだに活動しているのだけど、僕が持っているのは改名後の1枚目までだ。レンタルCDで最新作を聴いてあまりピンと来ないことが多くなって、それからいつの間にか聴かなくなってしまった。高校で吹奏楽部を退部して、弓道をやったり生徒会に入ったり新聞部に入ったり演劇部に入ったりと人生が迷走し始めるのもちょうどその頃で、価値観を激しく塗り重ねた時期だったんだと思う。

聴かなくなってからの作品は、今ではspotifyなどでほとんど全部聴くことができる。それでめぼしいものを数枚、2回ずつくらい聴いてみた。懐かしくも新しい音だ。さらにウィキペディアで僕の知らないその後の歴史を読んでなるほどねえと思って、それで義務は果たしたような気持ちになって結局また昔のものばかり聴いている。

もっと聴き込んだら印象も変わるかも知れない。だけど聴き込んでみようという意欲がいまいち湧いてこないのだ。ついついADVENTURESとかYES,NO.とかをCDプレイヤーに入れてしまう。懐古主義というか、馴染みのあるものを至高としてしまうフィルターがかかっているというか、いずれにしても年寄りじみたよくない傾向かも知れないと思ってガッカリする。

一方で、昔のスクエアの音があまりに素晴らしくて今聴いても全く遜色ないだけだという可能性もゼロではない。思い出フィルターや過去美化フィルターがかかっているかどうかなんて、結局のところ自分には(そして他人にも)わからないからだ。これはこの先何年経ってもわからないはずであり、もうそういう風に疑いながらにしか聴くことができないのだと思うと、地球に戻れない距離まで来てしまった探査機のような寂しい気持ちにもなる。

とは言え、初めて聴いた頃だったら一切のフィルターと無縁だったのかと言えば、多分そういうこともないんじゃないか。都会で活躍するミュージシャンへの憧れとか、クラスの連中とは違う音楽を聴いているという優越感とか、どうやって出しているのかわからない音に対する好奇心とか、テープを貸してくれたあの娘への好意とか、シャープペンで書かれた曲名の印象とか、今では想像もできないようなあらゆる思いが目や耳や鼻を覆っていた。要するに当時も今も真っ暗闇だ。だから手探りでプレイボタンを押して音楽を聴く。その感触が確かならばそれで良いような、そんな気もしてくるのだった。