アラームはいつもギリギリに設定されている

スマホのアラームを止めるとダニエルがベッドに上がってくる。最近はほぼ毎朝そういう光景を薄目に見る。アラームを止めなかったらどうなるのかはまだ試したことがないけれど、僕が突然死するのでない限りアラームを止めないなんてことはないはずなので、とにかく止めれば奴は来る。

アラームはいつもギリギリの時間に設定している。二度寝なんてしたらその日の仕事が予定通りに行かなくなる。だからさっさと起きるべきなんだけど、ダニエルがずんぐりした身体をノシっと寄せてくると、それを押しのけて起き上がるのは忍びなくて、しばらくそのまま過ごしてしまうことになる。もちろん二度寝もありだ。そうして仕事はうっとりと遅れていく。悩ましい。

猫の寿命は短い。特にダニエルは健康体でないからもっと短い。だけどそこで彼と過ごす時間を大切にしなくては…などと考え始めると宇宙の果てのように終わりがない深みにはまる。それは間違った考えではないのだけれど、どこかできっちり線を引かなくてはならない。校庭に石灰で白線を引くように、毎日毎日何度も何度もだ。

ダニエルの4倍くらい生きてヨボヨボしてきたポーポーさんが階段のあたりでガサゴソし始めるのをきっかけにダニエルをそっとどけて起きる。階下ではハルサメさんと若い連中が騒いでいる。彼らの時間だって、ダニエルよりは長そうだけど僕らよりはずっと短い。短いから貴重だというわけでもないし、長いから得るものが多いというものでもないし。

支度をして、家を出るあたりになると頭が動き出すから、自分の人生だって長くも短くもないよなと思う。そのまま考え続けるとどこに行き着くかわからないけど、自転車に乗るとうまい具合に思考が切り替わる。次にハルサメさんやダニエルの頭をなでたくなるのは、その日の仕事が終わりに差し掛かる頃だ。帰りの自転車では、明日は少しアラームを早めにかけたらどうかと閃く。