戦慄の梅雨

また雨が降っていた。レインコートは会社に置きっぱなしだったので、安いウインドブレーカーを羽織って会社に出かける。玄関の鍵を閉めたところで、ひょっとしたらこれは梅雨らしい梅雨というものじゃないかと不意に思う。

子供の頃の梅雨はいつも梅雨らしかった。今が異常気象で当時が正常だったんだと思ってしまいがちだけれど、どちらかと言えば当時は前年と比較したり自分の頭の中の梅雨のイメージと比較したりということがほとんどなくて、これが梅雨だよと目の前に提示されて、そうかこれが梅雨かと認識していたからじゃないかと思う。決して素直なこどもではなかったとは言え、自然現象を疑うにはもう少し経験が必要だった。

さらに暮らしている場所によっても梅雨の印象は大きく変わるだろう。雷の多さで有名な栃木に住んでいた頃と乾いた札幌に住んでいた頃と湿った東京に住んでいる今では梅雨の様子が違うのは当たり前だけど、同じ東京に住んでいても新しめのコンクリートのビルに電車で通勤した日々と、北向きで日当たりの悪いマンションの1階に毎日自転車で通うのと、僕の生まれる前から建っている古い木造建築に仕事場を構える今では、少なからず感じ方が変わってくるに違いない。それにくわえて自分の体力や健康状態の変化なども考慮したら、いつもいつも「こんな梅雨はじめて!」と感じられるのも当然と思えてくる。

だから「梅雨らしい梅雨」だと感じた今日の梅雨は、過去のいずれかの梅雨に似ていたというわけではなくて、今日の僕がイメージしていた梅雨、それは空想上の梅雨と言った方が良いかも知れないが、絵に描いたようなその梅雨とたまたま重なり合ったということなのかも知れない。

そんなことがこれまでの人生にはたして何度あったか…と考えてみてもまったく記憶にない。だからこれが最初の1回である可能性も否定できないわけで、そう思うと深夜に戦慄すら感じるのだった。