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”自分探し”は自殺行為

内田樹・春日武彦『健全な肉体に狂気は宿る』を読んでいます。

自分自身のなかの秘密、何者であるかわからない自分、なぜ自分はこんなことをしゃべっているのか言えない自分。そういうものは、やっぱりわからないままの状態にしておく方がいいんじゃないかと思うんです。
「ほんとうの自分」探しとかいって、そういう「無知」のままにしておくべきところをできあいのフレーズで粗雑に言語化するのって、ほとんど自殺に類した行為ですよ。(p.72)

自分のことは、自分にだってよくわかりません。
「なぜ自分はこんなことを話したのか?」
「なぜ自分はこんなことをしているのか?」
わからなくなる瞬間は多々あります。

自分自身に対する無知、欠落というものが私たちの中にはあるようです。
その場所にスポットライトを当てて、無理に”コトバ”で表し、わかろうとすることは、自然なことではありません。
内田さんは、その欠落こそがいわば創造の泉であるとし、大事にすべきだと仰っています。

なのに、私を含む多くの人は、「自分探し」「自己実現」という流行りのコトバにあてられ、わからないものをわかろうとして苦しみます。就活生なんかは特に。
どんなに考えても、本を読んでも、インドに行っても(最近は少ないかもしれませんが)、”ほんとうの自分”なんて見つかりっこありません。

最終的には決して意識化・言語化できないものを無理矢理探そうとすれば、苦しいし、モヤモヤするし、場合によっては心が病みます。


「ほんとうの自分」も、「自分がやりたいこと」も、わからない。
それを認め、受け入れることが、豊かに生きるための道なのかもしれません。無理に、できあいの粗雑なコトバを使って「わかった気」にならないことも重要ですね。

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