見出し画像

日本人はなんだかんだで太陽を崇める日の子らだな~と思ってみるお正月【初日の出】

なぜ人々は、「初日の出」を見に行くのだろう?

年始には「初日の出」の記事がかならず出るし、実際に早起きして見に行かれた方も多いだろう。

こういうのって、外国人の目にはどのように映っているのだろうかと、ふと疑問に思った。

そこで年初から、「初日の出」を求める日本の国民性という、餅よりも喉につまりやすそうな「重い話」をつれづれなるままに考察してみたいと思う(笑)。

日出る国

かつて聖徳太子は、
日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。つつがなきや。
と中国の皇帝に書状を送った。

このころ、すなわち西暦500年代から、「日出る国」という認識があったこととなる(比喩的な表現を含んでいるかどうかはさておき・・・)。

さらに日本(日の本)という国名が使われだしたのは、天武天皇のころとされる。

普段、全く意識することはないが、日本という国名自体に「太陽」の意が含まれている。「日本人」も「太陽が生まれる場所の人々」という崇高な意味を含んでいる。これ、凄いですよね・・・「ジャパニーズ」と「ニッポンジン」は、その含むところの意味が全然違うのである。

そもそも、天皇家の祖先は「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」という太陽の神様ということになっているし、伊勢神宮の内宮には天照大御神という「太陽の神」が、そして外宮には「豊受大御神(とようけのおおみかみ)」という「農業の神(五穀豊穣)」が祭られている。太陽と、穀物を、ある意味では国家の中心に据えている稀有な国である。

日々の生活では、そういうことを全く意識していないわけだし、欧米化する生活様式のなかで、日本古来の多くの伝統が失われつつある現代だと思うけれど、そうした現代においてなお、人々が太陽を崇めようとするのは、習性を超えて日本人の遺伝子に組み込まれていると言えるのかも知れない。

「日出る国」の人々は、世界ではじめに2024年の太陽を見る人々なのだ。

自然信仰(アミュニズム)の残滓

さらに、別の観点から考えてみる。

初日の出を拝むという、「太陽信仰」は、自然を崇拝するアミュニズムの精神を、いまだに日本人が受けついている証でもある。

キリスト教的価値観には、自然信仰(アミュニズム)は最も原始的で未開なもの、「多神教」は古く遅れたもので、世界はいずれ「一神教」に行きつく、という考えがある。

だが日本では、「太陽の神」「農業の神」「海の神」「山の神」などの自然信仰をベースとする多神教に、「仏教」が加わった世界でも例を見ない宗教観のまま先進国となった国である。

よく、「笑いの神様」とか、「野球の神様」という比喩的な表現もされるが、これも「万物に魂が宿る」という多神教的・縄文文化的精神性が今なお息づいている現れだと思う。

世界屈指の経済力を持ちながら、今なお古代の自然信仰が生活の各所に息づく、「世界最古の国」であるのが日本・・・そう感じる、辰年2024年の年初であった。

そう、西洋における「サンライズ」と、日本における「日の出」は、その背景とする精神性が全く異なるのだ。

(画像は写真ACから引用しています)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?