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ヒヨヒヨと鳴くキリン

#ビールと私 なるハッシュタグが紹介されていた。

曰く、ワインやウイスキーはお酒そのものの思い入れを語るが、ビールでは思い出を語るというのだ。思い返してみれば、確かにそうである。

もちろんワインやウイスキーにも、まつわる思い出話はある。が、好きか嫌いかという話から入るとき、ビールの好みを左右するのは思い出だ。

少なくとも私はそうだった。

父は、44歳で亡くなった。
ようやく10代になったかどうかだった私は、そうなる10年も前に「父と酒を飲む」という成人における通過儀礼を失った。

ただただ、ひたすらビールだけを飲むひとだった。
休みの日など、それこそ朝から晩までだ。

週に2度、2ケースのビールを頼んでいた。
空き瓶のケースを玄関に出し、届いたらベランダの決まった場所に置く。
私の仕事だった。

それでも休みの日などは足りなくなり、急きょ酒屋へ買いに走る。
今は見かけないが、当時は2リットルくらいの大きなピッチャーのような缶でビールが売られていた。それを買いに酒屋へ行き、配達も頼むのだ。
2リットルのビールは配達が届くまでのつなぎで、抱えて帰る。

振ってはダメだ。
ビールが不味くなる。

宝物のように抱えて帰る。

冷えたビールの大きな缶を抱えて帰ると、冷たくなった腹に父の大きな手が触れる。何か言うでもなく、ただ冷えがなくなるまで手のひらを添える。

それから大きな缶のアルミキャップをあけて、注ぎ口を取り付ける。

キリンのミニチュアの形をしていた。
注ぐとキリンの口がひらき、ヒヨヒヨヒヨと鳴る。

飲み終わると、キリンのミニチュアは私のものになった。

いつもキリンだった。
酔った素振りは見た記憶もない。
黙々と飲み続けていた。

よく働くひとでもあった。
朝は始発で出かけ、夜は終電で帰っていたらしい。
モーニングもやっているカフェバーで、土曜日はランチ営業まで。
休みは日曜日だけ。
昼からビールを飲んで、夜はナイター中継を見て終わり。
遊びに連れて行ってもらった記憶もあまりない。

ただただビールを飲んでいた姿を覚えている。
いつもキリンの大瓶だった。

今年、父の年齢に追いついた。
こだわりなく、新しいものが出れば銘柄を問わず飲んでみる。
季節ものが出れば各社飲み比べる。

先日、妻と近所のスーパーで買い物をしていたときのことだ。

ひさしぶりに手作り餃子にしようということになった。
白菜にザーサイ、豚ひき肉をかごに入れる。

両手に缶をもって、妻が言った。
「キリンでいいんでしょう?」
ハトが豆鉄砲である。
「いつものビールはキリンでいいんでしょう?」
いっそ不満そうに、繰り返す。
どうやら私は、何かあるとき、たとえば新しい種類が出たときだったり飲み比べだったりしなければキリンを選んでいるというのだ。

知らなかった。
こんな驚きもあるのか。

上手く言葉が出ず、頷くだけになる。

「ほら、キリンがいいんじゃん」
口をとがらせて妻が言う。

そうか、キリンがいいのか。

カエルの子はカエルというわけだ。
いや、キリンの子か。

その夜、餃子を食べながら、妻にヒヨヒヨと鳴くキリンの話をした。