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ふつうに有名なひとがいるのおもしろいよね

自分が書いたnoteの、同じハッシュタグで引っかかったのは読むほうです。
だから書いてるひとが多いのなんかは、けっこう長く楽しめちゃう。

終わったばかりで話題性も高い『水星の魔女』でもそう。
で、あれこれ見てたら驚いたってお話です。

少し前に みんなのフォトギャラリー からお借りした画像が裕木奈江さんのだったときにも思ったんだけど、ぽん、と前触れなくいらっしゃるので。

今回は、なんと..あの、高河ゆんさん。
すごくない?
『源氏』の、 『アーシアン』のひとですよ?
こんなポロっと道っ端で会えちゃうみたいにいていいもんなのだろうか。
noteは、そこも面白いってのがあると思うんだけれども。
すごくない? スレッタとミオリネを描いてんの。
誰がガンダムだって話ですよ。

こういう驚きが、まだnoteにはあんのな。

Twitterとか、むしろInstagramなんてPR媒体だもん。
どんどん見なくなるというか、さわらなくなる。
承認欲求を満たしたくなっちゃって勘違いしちゃうのもわかるというか。
ちっとも感動がないの、そこにそのひとがいることに。

2000年代になって流行ったじゃないですか。
たとえば「会いに行けるアイドル」じゃないけど著名人を身近に感じられるコンテンツも増えて、こういう驚きも薄まっちゃって。
だから、かまって欲しがっちゃったりとか。
執拗にイジったりとか。
もう大失敗してるのが言うまでもないのは、あれこれ言わずもがな。

言葉を選ばずに言えば”モブ意識”みたいなものって大切で。
べつに卑下しろってことじゃなくて、身の程ってのは弁えてないとだめだと思うんですね。そういう線引きがnoteには、ちゃんとあるな、ってね。
けっこう重要なことだと思うんです、これって。

名のあるひとも、きちんと書かれることで”違うからね”と読ませる。
ただ”つぶやく”だったり、画像をあげるだけ、では感じるのは難しいこと。
プロも、プロとして書いてらっしゃる。

そのひとの筆圧を感じる余地があるnoteって、だからいいと思う。