二律背反と矛盾の違い

嘘しか言わない、が例文としては解り易いだろうか。
①そのとおり行動すると、文章は反して「本当」になる。
②文章に反して行動すると、そのとおり「嘘」になる。

これが二律背反である。

対して矛盾は、単純に前後の辻褄が合わない事だ。

前回に続いて、NHKである。

ほんの1議席で、大臣と公共放送を謳う局長にコメントをさせたのだから大したものだ。壇上で議論されると余程お困りになるということなのか。
何せ、これまでの未納やら滞納の判例とは訳が違う。
有りき負けなしも存在の是非を問われると弱いという事かもしれない。

「受信料制度やその公平負担について、誤った理解を広めるような行為や言動については、きちんと対応し、明らかな違法行為は放置せず、厳しく対処したい」というのは現行法での言い分である。

この点については、まさに現行法のもと仰る通りというわけだ。

「視聴者に公平に負担してもらう受信料を財政基盤としているからこそ、暮らしを守る情報や、多様な番組を作るのが公共メディアとしての社会的使命」であるからして、「受信料を支払っていない人は見られない有料スクランブル化は、NHKが果たすべき公共的役割や機能を根本から毀損(きそん)する恐れがある。公共放送の役割や受信料制度の意義について、十分ご理解いただけるよう、今後もしっかり説明していきたい」というのも姿勢として正しい。

が、「放送法や受信規約にのっとって適切に業務を行っている以上、法に照らして明らかな違法行為には厳しく対処したい」と言う前段から、「具体的内容は検討中だが、厳しく対処する。いろいろな可能性が出てくる」とまで言い切るのは権力を後ろ盾にした脅しにも聞こえる。

さらには「与野党同席の場合、選挙結果や国政への参加の状況などを踏まえて、報道機関の自主的な編集権に基づいて判断する」と、現行法に異議を唱える政党が番組出演した際の対応を述べている。

a).公共メディアとしての社会的使命
b).報道機関の自主的な編集権

二律背反か、単なる矛盾か。

ところで、現行法に反する意見を「公共メディアとしての社会的使命」で取り上げないよう「報道機関の自主的な編集権」に基づいて放送するなら、我々は公共放送で自国の首相を目にすることがなくなるだろう。

いくらか払ってでも見たくないという方はいるかもしれない。
が、もし仮にそういった狙いでもあるというのなら公共メディアとしての社会的使命も随分と疑わしい。

もちろん、その逆も然りなわけだが。

この手の発言を積み重ねて自らの首を絞めることになるとすれば、その過程は私的メディアの連携で語られるだろう。

或いは、真に公共メディアとしての社会的使命を全うするのであれば、少なくとも13万の票を集めた自らの存在を毀損する政党に真っ向から向き合うべきだと思う。

いっそNHK編集「NHKから国民を守る党」特集でもあれば、有料配信でも見たいという方がいるのではないだろうか。

これこそ暮らしを守る情報で、かつ多様な番組を作るという公共メディアとしての社会的使命に見合うものだと思うのだが。

少なくとも私は、見たいと思うひとりである。