見出し画像

言えなかった「さよなら」

地元の病院で2週間の実習を行っている間に、22歳の男の子と出会いました。治療不能の末期のがんの子でした。
現在、医学部6年生の私は24歳。
自分と年が近い子が患者として入院していると、どうしても肩入れしてしまいます。

弟の友達ということもあり、実習生としてではなく友達の姉…という立場でいろんなお話を聞きました。(実習時間外に、お見舞いとして。)
年の近い仲良しの弟がいること。
教師を目指していること。
野球が好きなこと。
「教師になりたかったんだけど…それは無理かもしれない」って笑いながら言われて、泣きそうになりました。どうしてこの子なんだろうなって。
私が同じ立場になったら、ちゃんと笑えたのかなあ。

「今度、外泊とって昔からの友達と遊ぶんだ」と。
「(私の弟)は時間あるかな」と聞かれたので、すぐに連絡しました。
全然詳しいこと話してないのに、飛行機とって帰ってきてくれた弟。さすが。私、何もしてないのにお礼言われちゃいました。

その彼が、6月のはじめに亡くなりました。

私、今まで死というものから遠い環境で育ってきたんです。
この24年間、家族やまわりの親しい人を亡くして辛い思いをしたことはありませんでした。
はじめて、身近な人(?)の死に触れたんです。
たった2週間、少し話しただけの間柄なのに、2,3日ずっと泣いていました。
「幸せだったのかなあ」「もう少し生きたかっただろうなあ」って。
彼の弟や家族のことも考えて、また泣きました。
「もっと生きてほしかっただろうな」「何で自分の家族が…ってなるよね」って。

葬儀の翌日、彼の弟から連絡がきたんです。
きっと兄は生前も今も、幸せだっただろうということ。
葬儀も400人を超える人に集まってもらって、喜んでるだろうということ。
「惜しい子なくしたな」って思いました。本当にみんなに愛されてたんだなと。

“心の救われる医療をする。たとえその結果、死んでしまったとしても、その子が最後に「幸せだったな、生きててよかったな」と思えるよう、精一杯向き合う。”

私の尊敬するJapan Heartの吉岡先生が講演会でおっしゃっていた言葉です。
ちょうど彼の死の翌々日。心に刺さりました。

何というか…うまくまとめきれないのですが、緩和ケアをちゃんと勉強しようと思いました。
結果、死んでしまうにしても、残りの時間は楽しかったと思ってほしいから。
実は、こう決意して次の実習で膵癌の患者さんを担当していました。一般的に膵癌ってすごく予後が悪くて、手術できるにしても予後不良で。
担当した方は手術ができず、抗癌剤で闘っている方でした。つまり、一般的にはものすごく予後不良。
担当期間はたった1週間だったのですが、今までより、毎日毎日心をこめて会いに行こうと決めました。
息子と同じ年なんですって、私。また明日も楽しみにしてるねって。
言われたことない言葉ではないのに、すごく嬉しかったなあ。
病気の寛解だけがゴールじゃないですよね。


そして、この記事を書いているとき、母から連絡がきて、我が家の愛犬が亡くなったとのこと。
獣医学は無知なのですが、人間でいう消化管穿孔で手術をした翌日でした。

ぬいぐるみみたいな外見から想像できないくらいのやんちゃぶりに、もー!ってなる日もあったけど、寝顔や甘えてくる瞬間が本当に大好きで。
地元の病院で実習してた時も、毎日お出迎えしてくれたから頑張れたんだよ。
毎回、帰省する楽しみは、ぎゅーってすることだったんだよ。

飼い始めた時から遠方に住んでて、時々しか会えなかったけど、帰った時は異様なほど歓迎してくれました。
次、帰った時はそのお出迎え受けられないんだ。
1年で換算すると1か月も会っていない私でさえ、めちゃくちゃ悲しいのに、
仕事忙しいながらに、毎朝散歩して身の回りのケアして、休日はいろんなところ連れて行ってあげてて…母親の悲しみが計り知れません。
ごめん、帰れなくて。私も、最後に会いたかった。

6月は、毎日泣いている気がします。
別れはいつくるかわからないから、毎回最後だと思って別れる…って難しい。
どうか、家族はじめ私の大好きなみんなが、次会う時も元気でいてくれますように。

元気でね。だいすき、くまちゃん。

#死 #緩和ケア #医学生 #愛犬 #さようなら
#エッセイ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?