地合いは最悪、右肩下がりの新興市場、当然資金は減り続ける中で絶対に諦めない気合いと根性だけで如何にして活路を見いだそうとしたのか

年が明け2007年になってからも株式市場の地合いは悪かったが、相変わらずオレは日中はメンタルの本を読みながら自分を律することの大切さを学び、ザラ場が始まれば寄り付き前からひたすら板とチャートを監視し続け、引ければ束になったチャートとノートパソコンを持って喫茶店で研究・分析の日々。

全く先の見通せない中でパチプロという小銭稼ぎの退路を敢えて絶って自ら始めた独学でのトレーディング研究という名の孤独な時間。少し弱気になってくると、

「もしかして、全く意味のないことをしているんじゃなかろうか?」とか、「こんなことして何になるのかな?」

みたいな気持ちになったりもしたが、ハッキリ言って株式投機なんてものはそもそも学問じゃないし、それ故に何が正しいか間違ってるか明確な答えなんてないのだ、ただ正しいと資金が増え、間違うと資金が減るだけ。と自らに言い聞かせ日々を削る。そういった中で結果を出すための研究を継続して続けていくためにはかなりの根気と精神力が要る。

しかも自分の中で当初の資金100万がもし70万以下まで減少してしまったら、もうリカバリーは困難で撤退も視野に入ってくると決めていて、資金が80万まで減少している今、猶予は残り10万位しかなく自ずと強制的なタイムリミットが設定される。合法的な手段で大きな資金を作るにはトレードしかない。もう退路なんてないのだ、進むしかない。

実家のボロアパートのことや母親のことも全部背中にのし掛かり、時折精神的にも不安になって頭がおかしくなりそうにもなったが、せっかく自分自身で決めた選択肢で始めた事なんだから何らかの結果が出るまでは必ずやり通すことをテーマに掲げて、ひたすらこの意味があるのかどうか全く分からない作業の生活を続けることになる。

当時パチプロ時代ではそれなりの日銭を稼いでいたとはいえ、周りの友人にお金を貸してたり(200万くらいだったか)家の維持の穴埋めなどにも使ったりで、当時現金150万くらい(内アカウントに100万投入)と身に付けていたプラチナのネックレス位しか持ち合わせがない中での突然の出発だったので当然、余裕もなく何もしなくてもジリジリと資金が目減りしていくわけで、精神的にも資金的にも少しずつ追い込まれていく・・・

正に背水の陣とも言えるのだろうが、そういった精神状態の中でも相場漬け(売買はしていないが)の生活を続けていくうちに、少しずつだが目先の速い値動きに眼と脳が順応してくるに従って、その僅かな間にも思考を挟めるようになり、やがては値動きに対してまずどう対応したらいけそうなのか朧気にだけど認識することができるようになり、それらが今の洞察力の元になっていったような気がする。

当時、デイトレーダー全盛期で2004~2006年位の間で「1年で100万→1億!」とかの類いの本が本屋にズラーッと並んでいて、当時の有名どころで、う○坊、株○助、迷○る小○、石○高○、などなど、その他にも数多くのデイトレーダーが生まれ、当然彼らの本も一応買ってみて全て一通り読んではみたが内容が薄い感じで殆ど参考にはならなかった気がする。

少し話は逸れたが、資金が徐々にではあるが目減りしていく中で何時までもこの何もせず監視&研究状態を続けて行くことは時間的、資金的にも許されず、どこかで勝負を再開しなくてはならない。

そんな中である程度速い動きにも目が慣れて、(当時ゼンテックテクノロジーやターボリナックスといった大証ヘラクレスの銘柄が大証の取引システム上、板の更新が速くてその中でも上記銘柄などは特に値動きが速かった)

自分のやるべき順張り勝負以外は全て切り捨てて(当時のレベルでだが)
思惑が外れたら即切る、それだけを執行しきることだけを主目的にして、もう失敗のきかない後のない勝負を再開することになる。

この時2007年4月、初めてマーケットに足を踏み入れてから既に7ヶ月が経過しようとしていた。

(続く)








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