漸く1,000万台に到達するがそこから試練、また試練・・

2011年に入りアカウントは1,500万くらいにまで増えていたので生活する分にはどうにかできるくらいになったんだ。そして勝ったり負けたりしながら3.11を迎えることになる。あの日俺はたまたま後場でノーポジにしていて、ただ相場を観察していたんだけど14:45位から普段は動かないハズの不動テトラや植木組、福田組などがスルスルと上昇してストップ高引けになってたんだ。「??」と意味が分からないままテレビを付けてみると東北地方で大きな地震があったとの報道。そうして土日にも次々と被害の報道が出だし相当な被害規模になっているらしいかった。

そこでオレは過去に阪神大震災や9.11の時に株価がどう推移したのか調べることにした。そうして月曜日を迎えるわけだが何と北陸地盤の中堅ゼネコンである植木組、福田組、不動テトラだけストップ高気配で他のほぼ全銘柄がストップ安気配というショッキングな状況になっていたんだ。

そこから大幅安で始まった何銘柄かを寄り付きから逆張りをして100万~150万くらい+になってその日は終了した。

火曜は福島原発の被害の全容が不確定で月曜日ストップ安だった新興銘柄はまたストップ安に貼り付いたままだったのでちょこちょこ取引して終える。そして月曜、火曜と連続ストップ安銘柄をピックアップして翌日水曜は寄りから5銘柄くらい買って10分くらいで全て利食いして300万くらいの利益だったと思う。資金倍増も可能だったポイントかもしれないがどうしても逆張り大ロット勝負になじめず結果、中途半端な取引をしてたなと当時を振り返って思う。

そして、2011年10月のオリンパスの暴落の逆張りで一瞬の内に330万くらいマイナスになってしまったんだ。正直焦った。アカウント1,800万が1,500万弱に後退してしまったが、起きてしまったことは仕方がなくどうにかそこからコツコツリカバリーしていこうと切り替えていくしなかった。

当時実家のボロアパートにはもう25年前から入ってる唯一のテナントがあってそこから毎月10万の家賃が入ってたので精神的にも凄く助かってたんだ。(母親が)

だけどそこも家族経営の街の電気屋さんで跡継ぎもおらず店のオーナーから今年いっぱいで辞めると母親に告げられたんだ。いつかはこうなるだろうなとは思ってはいたが今の状況からすると精神的、金銭的にも一切の余裕がなくなり正直キツかった。電気屋が出て行ってしまうと実質入居者も居なくなり、収入が殆どなくなってしまう状況に陥ってしまい税金なども全てオレが支払わなくてなならないことになってしまう。更には実家にはタバコとジュースの自販機を設置していたんだが、その頃からタスポがないと自販機でタバコを買えなくなり売上も8割減位に減ってしまい、実家の存続がますますオレのトレーディング収入への依存度が高まってしまい、こんな精神状態の中でハイリスク勝負を続けていけるのだろうか?と考えでも仕方がないことを当時思い巡らせながら毎晩酒を煽って気をまぎらわせながらトレーディングを続けていたことを思い出す。

そうして厳く見えないプレッシャーを背負いながら戦った2011年が終わり、そんな中2012年が始まり気の重さを頭に抱えながらも歯を食いしばって続けた結果オリンパス暴落から2012年8月まで月間負けなしで迎えることになった。それなりにはやれてはいた。

そして9月あの京都大学の山中伸也教授がips細胞研究でノーベル賞を受賞したと伝わり今まで見たことがない位の資金流入が起こり始めそこから凄まじい相場、狂乱のアベノミクス相場へと突入していくことになる。


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