映画が持つ本当の魅力と役割について、俳優部として思ったこと

映画創作に関わる俳優部としての所感。

近年のヒット作や名画と呼ばれる作品など
「実写映画(人が演じる映画)」には
多くの人を惹きつけた作品たちがある

しかし近年は「アニメーション映画」が
興行のランキングを占める様になり
実写映画そのものの力が明らかに弱くなっている

その中でも有数のヒットした実写映画と
その他の作品とを分ける大きな違いは何か

いったい観客たちに
「映画が魅せるべき役割」とは何なのか
を改めて自分なりに見つめてみた。

そして自分なりの今の結論は

「愛や希望を映し出す事」

つまりは

「人間通しに通う想いも明確に描く事」

だと思った。

大衆に受け入れられ響く映画とゆうのは
その時代に対して希望を与えていたり
歴史であればそこに生きた人々の生き様を
やはり希望と愛情の面から描いていたり
またその他のジャンルにおいても
人を描く際にはベースとして
登場する人物たちの関わりに
感謝や慈しむ気持ち、愛する想い、
友情なども含めた
人としての愛情、想いが写されていると感じた。

そしてここが、とても大きな鍵を握っていると思った。

近年の作品は中々に
エゴや自分探し、個性を描く事だけに
終始している作品なども多く
そこに生きる人たちに通う人間としての交流が
描ききられていない事が多い印象も受ける。

ある意味時代を反映してはいるが
普遍的なものがそこには含まれておらず
人の心を掴むには中々厳しいと感じるものが多い。

これはもう脚本も演出も演者も
それぞれが確実に見つめ直す作家性の所にもなるが
隣近所も知らない時代に育った世代が増える中で
人間としての、人間どおしの交流が
なかなかに描く事そのものが難しいのかと
感じてしまったりもする。

しかしそれでは、
人間を映し出し世界中に届けられる
唯一の映画という芸術が
その他の消費されるコンテンツの中で
他に呑まれて消え去ってしまっても
抗えないとゆう事になってしまうと思った。

だからこそこれからの映画復興の為の課題として
この「作品の中にあるべき魅力」という所に目を向け
何の為につくられるのか、という所を
日本から世界に発信する長編作品の創作では尚のこと
今一度考えてみる事も必要なのかと感じた。

近年で言えば、

武正晴監督を総監督に
内田英治監督、河合勇人監督、
後藤孝太郎監督ら日本人監督らが中心に手がけ
世界的クリエイションとして功績を挙げられた
Netflix作品の「全裸監督」「全裸監督2」

配信ドラマという枠に置かれているが

主演を務められた山田孝之さんの想いも含め

あれは立派な映画だと個人的には思っている。

この作品の中では
それぞれの人物が各々で関わる人達に
人としての愛情や友情などの想いを通わせている。
また主人公も創作に強靭な愛情、想いを注いでいる。
作品に人々の想いが、しかと映し出されている。

同じ人間として、強く心を掴まれる瞬間。

なかなか明日に希望を見いだせない時代だからこそ
「人間として」であったり
「人間らしさ」という所に立ち返った創作が
とても大切になってくるのでは無いかと。

子供時代に観た名作なども含め様々見返す中で
その様なことをふと思った。

そしてやはり作品を体現する

「俳優」としての役割に於いて

この気づきはとても大切な事ではないかと

当たり前の事ではあるが

改めて今そう強く感じている。

おしまい

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