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僕の京都で一番うまいラーメン屋【2022年の五悦七味三会を振り返る⑧】

近々仕事でアメリカへ行くことが決まった。
外国に行くのは2017年以来なので6年ぶり。
アメリカに行くのは12歳の夏以来なので16年ぶりである。
フライトだけで14時間。
渡航の準備や手続きやESTAやら、なんだか遠い場所に行くんだな〜と漠然と思う。

「移動」というのは長らく自分にとって大きなテーマであった。
最初に就職したのも旅行会社。
「金融はカネを、物流はモノを、旅行はヒトを動かすんです」という言葉が響いて入社を決めた。
人が移動して、その人を包む文化が移動して、移動先の人や文化と交流が生まれる。
そういう循環が、僕はたまらなく好きだ。

別に海外に行かなくてもいい。
隣町でも十分だし、なんなら隣の人でも十分。
これからも、できるなら移動と交流を続けていたい。

というわけで、七味その2です。

七味②:京都で食べた天ぷらと懐かしのラーメン

会社員時代、僕は京都で働いていた。
入社から辞めてしまうまでの3年間、中京区の御池通り沿いのマンションに一人暮らしをしていた。
大学生の時に2泊3日の旅行をしたっきり初めて訪れる京都で、知り合いもいない中、一人過ごした社会人としての最初の日々。
二条城とホテルオークラの間、京都御所の南のあたり。
祇園や京都駅までは地下鉄で10分ほどの場所で、どこへ行くにもアクセスの良い中心地。
少し京都を知っている人が聞けば「なんていいところに!」というであろう場所に優雅に一人で暮らしていたわけだが(今思えば羨ましいくらい!)、当時もその認識はありながら、それでも僕にとっては暮らしたことも知り合いもいない街。
どちらかというと「1人で知らない街で闘っている」という感覚が強かった。

いうまでもなく、京都は日本が誇る観光都市である。
寺社仏閣、庭園に日本料理屋。
川に山に桜に紅葉。
会社員だった当時は東京オリンピック前で、訪日インバウンド旅行者数が毎年爆増しているタイミングだった。
僕は欧州からの旅客を主に担当していたのだが、彼らが京都を訪れないなんてことは全くありえなかった。
3000万人といわれた訪日旅行客がみんな京都に来るんだから、それはすごいことになるわけである。
世界に名だたる金閣寺や清水寺はもちろん、今では海外の方でもちょっとした日本通なら紅葉の名所や穴場のお寺なんかをいくつか知っているだろう。

ただ3年京都で暮らしていると、本当の京都の魅力というのはそこではないのかもしれないと思うようになる。
観光客向けにきちんと観光資源として整備されている場所はいわゆる表の顔。
京都の人の本当の暮らしやその真の優しさ、自由さに触れられるのは、誰も訪れないような路地裏の謎の洋品店や、一見どこが入口がわからない本屋さん、ボロボロの喫茶店、そしてそこに集う人たちなのでは?
京都という街についてはまた別の機会にゆっくり語りたいので今回はこの辺にしておくけど、「いけずな町」と言われることの多いこの街は、別に意地悪したいわけじゃないんだろうな、と思うことが多かった。
ただ自分達の暮らしに、当然持つべき誇りをちゃんと持っているし、守るべきものや人とのつながりがあるのだろう、と思う。
それは意地悪じゃなくて優しさなのだと思うんだが、まあそれはまた今度。

で、街中にあるその小さなラーメン屋さんもその一つだった。
「京都っぽさ」を感じない内装。
ビジネスのためにこれ見よがしに「和」を出した内装で身を包むチェーン店もある中で、なんというか別に「普通に」ラーメン屋さんをやっているお店だった。
ラーメン屋さんをやりたい人が、たまたま京都に生まれて、普通にラーメン屋さんを開いたら、別にこうなるよな、と思うような感じ。
カウンターに舞妓さんのシールが貼ってあったり、店の奥に神社のお札があったりするのはこの街の文化だけれど、そのくらい。
「京都でっせ」「和風でっせ」というアピールが一切ない、本当に普通にうまいラーメンを作ってます、という店。
店の前にはバイトが通勤に使っているのであろう白のクロスバイクが停めてある。
確かに僕が観光客だったら行かないかもな、とは思う。
でもその東京ではあまり食べたことのない貝出汁のラーメンは、一人京都に暮らすの僕の心に染みた。それはもうとにかく染みた。
なんていうか、誰のためにも飾らない空気がめっちゃ心地よかった。
京都の真ん中にいるのに別に京都を押し出さないという自由さ。
そして店主こだわりのラーメンは、それはもう美味かった。
初めて食べた時には冗談抜きで涙するかと思うくらい染みた。
東京から友人が京都に来るたびに、僕は彼らをそこに連れていった。
全く京都っぽくなくて申し訳ない気持ちもありながら、そうじゃないんだ、と、「これが僕のここでの暮らしなんだ」ということを伝えたかったのかもしれない。
僕はここで「普通に」暮らしてるんだ、と。

昨年の暮れ、会社を辞めて以来4年ぶりに京都へ行った。
会社員を辞めてからようやく心と体に少し余裕ができて、ふと凱旋なんてしてみようかな、なんてことを思ったのだ。

当時住んでいた御池の家に行ってみたり、通勤で使っていた地下鉄に乗ってみたり、当時休みの日に1人散歩していた鴨川の河原へ行ってみたり、よく本を読みに行っていたカフェに行ってみたり。
感傷に浸りまくる、それはそれはいい旅だった。
初めていくお店もあり、京都の深さを知ったりもした。

久しぶりにいったそのラーメン屋は、バイトの面々が入れ替わったくらいで、全く変わらずそこにあった。
貝出汁のラーメンの味もそのまんま。
メンマを追加トッピングするのも当時と同じ。
4年越しに味わったそのラーメンは、やっぱり涙が出るかと思うくらい美味かった。

知り合いもいない京都で1人新社会人として頑張っていたあの日々、自分の人生これでいいのか?と問い不安になりながら、それでも目の前の仕事の日々をどうにか生きていた新社会人の日々。
自分の夢のために会社をやめるべきか?
目の前の与えられた仕事のやりがいをもっと感じるべきなのか?
この先20年後にここに自分の未来はあるのか?
そんなことを自問しながら、平日は朝から会社で働き、夜は買ったばかりのパソコンで一人粛々と音楽らしきものを作り、「大丈夫、おれは進んでいる」と言い聞かせながら暮らしていた日々。
それはまさに、「塩の効いた貝出汁の味」そのものなのだった。
あのスープには僕自身の暮らしも溶け込んでいる。

きっとこの先何十年経っても、あの味を食べれば全てが蘇るんだろう。
生きる道を模索して、一人悩み暮らした日々を。
そして、そこからいかに自分が生きてきたか、を。

そして再訪の感動がポジティブなものであるように、こんな風に感傷に浸りすぎていてどうかと思うくらいの文章を書く気持ちになるくらいに、今日現在を頑張って生きていたいよな、と改めて思うのであった。


(うん、天ぷらの話はまた今度…。)

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