見出し画像

光GENJI、特殊メイク、そして漫画という道。 漫画家・深谷陽インタビュー vol.1

深谷陽(Akira Fukaya)が漫画家デビュー25周年記念個展「enak, cantik」を8月14日(水)まで、東京のLusso Cafe Harajukuにて開催中だ。深谷陽は『バーフバリ 王の凱旋』や『鉄男 THE BULLET MAN』など映画のコミカライズでも知られる、ベテラン漫画家。そして東京ネームタンクでは「コマ割り」に特化した授業も評判の人気講師でもある。

会場では貴重な生原稿のほか、B2サイズの描き下ろし作品も展示。個展タイトルは「美味しい、可愛い」を意味するインドネシア語だそうで、さすがバリ島やベトナムなどアジアを舞台にした作品で知られる漫画家らしい独特の世界が広がっていた。今回のインタビューでは、その25年のキャリアを振り返ってもらった。

映画の特殊メイク、そして光GENJIのスタッフという仕事遍歴。

>今年はデビュー25周年ということで、おめでとうございます!

「(講談社の漫画新人賞である)ちばてつや賞を1994年に(『神様の島の愛ある食卓』で)獲ったので、その受賞作が掲載された時をデビューと数えて25周年です。27歳の時でした」

>もともとは特殊メイクのアーティストをされていたそうですね。

「大学在学中に『鉄男II BODY HAMMER』(塚本晋也監督、1992年)のスタッフをやって、出演もして(笑)それをきっかけに特殊メイクが面白いと思ったんです。学生時代に芝居もやっていたので、そのツテで大道具もやってたんですよ。いわゆるコンサートとかの大道具を建て込む仕事で、わりと日給も良くて。だから特殊メイクの仕事がないときは大道具もやりながら、という感じで3〜4年やっていました。

大道具の仕事で思い出深いのは、光GENJIツアー。光GENJIってローラースケートを履いているじゃないですか。あれがアリーナクラスの会場ではすごく威力を発揮して。センターにステージがあって、アリーナの外周にコースを作るんですね。そこを縦横無尽に歌いながら走り回るわけです。みんなスター性も運動神経もあるから『キャー!』っていう歓声がすごくて、その熱量に圧倒されました」

光GENJIのステージに女の子の下着が落ちてる!?

「コンサートが終わった後に外周のステージを点検して回るんですけど、そこに汗だくになった女性ものの下着が点々と落ちているんです。エキサイトするあまり、脱いで投げちゃうんですね(笑)先輩のスタッフは『勘弁してほしいよなー』と辟易とした感じなんですけど、僕は『女の子が下着を脱いで投げるなんて、どういう世界!?』ってすごく面白かった。

その後、特殊メイクでは塚本組の『TOKYO FIST』(1995年)のメイクをやらせてもらいながら漫画をやって、それが賞を獲ったので。解散直前まで光GENJIの仕事はやってましたね。なんだったら漫画家をやりながら、光GENJIのツアーだけやりたいなーって思っちゃったくらい」

バリ島で出会った女の子との恋がデビュー作につながった。

「一番最初に描いたのは『アキオ紀行バリ』。バリ島に行ったときに現地で会った女の子を好きになっちゃって…という他愛もない話なんですけど『この一作だけ描いてみようかな』と。漫画はそれまでなんとなく『描いてみようかな』と思っては難しくてやめるっていうのを繰り返していたんですけど、その時は『今、自分に描ける、背伸びしない画力でいいや』と開き直って」

>そもそもバリ島に行ったきっかけは?

「最初はバリ好きの友達に誘われて行ったんです。現地の女の子と付き合い始めてからは、向こうで年貸しで家を借りてました。当時は60日までビザが無料だったので、2ヶ月ごとに日本と行き来する生活を『運び屋ケン』の連載終了ぐらいまで3年ほど続けました」

初投稿した漫画が初受賞、そのまま初連載、初単行本へ!

>漫画は独学ですか?

「そうですね。姉(=漫画家の深谷かほる氏)の手伝いは時々やってましたけど、誰かの弟子になって教わるとかもなかったので、ほぼ独学。だから癖の強い、読みにくい漫画だったと思います。でも『せっかく描いたからこれだけでもどこかに載せてもらえたら嬉しいな』と『モーニング』のちばてつや賞に送ったら、入選して。担当の方がついて『これで連載用のネームを一緒に作りましょう』と。

それで担当者からのダメ出しを片っぱしから直して送り返して…っていうのを何度も続けたら『じゃあ、第1回の原稿を描いて。これはもう正式な仕事になるからね』と『研究費』みたいな名目で100万円をくれたんです。連載にはお金がかかるので、アシスタントを呼べる物件に引っ越したりとか、そういうことのための準備金」

漫画を描いてお金をもらうことを覚えてしまった!

「それで次は『今ベトナムが熱いから、ベトナムの漫画を描こう』ということになって、派手なストーリーを考えてネームを描いて見せたら、編集さんが『なんだか編集者が入れ知恵して描かせたみたいなネームだね…』って(苦笑)『やっぱり君は現地に行って、経験してきた方がいいのかもしれない』ってまた100万円くれて。それですぐにベトナムに行って現地の写真を撮って、連載にしたんですね(『アキオ無宿ベトナム』)。

そうなると『調子に乗っちゃダメだ』って自分に言い聞かせてたはずなのに『漫画を描いてお金をもらえるなんてことを覚えてしまった! うわー、もう漫画だけ描いて生きていきたい』っていう気分になっちゃって(笑)

でも次の連載企画が売れなかったので、その後は企画が全然通らなくなって。しょうがないから他の出版社を回って、『アキオ紀行』に出てきた脇役のタカハシ君を主人公にした『運び屋ケン』という読み切りを発表したら、けっこうアンケートも良く、連載化が決まり。この連載をしたことで『やっと漫画家になれたのかな』と思えました」

〈インタビューVol.2に続く〉

すべての記事は無料で公開中です。もしお気に召していただけたら、投げ銭、大歓迎です。皆様のあたたかいサポート、感謝申し上げます。創作活動の励みになります。