「花屋日記」30. それはすでに情熱と呼ばれるもの。

 6歳くらいの男の子がうれしそうに店に駆け込んできた途端、
「なにしてるのよ、やめなさい!」
と母親の叱る声が聞こえた。しかし少年は気にもとめず、ブーケひとつひとつに見入り、棚の上の観葉植物も興味津々に観察しては「サボテンだ!」と歓喜の声をあげたりしている。こんなテンションの高いお客様のご来店は久しぶりだ。

 やがて「これがほしい」と少年が言うのが聞こえた。
「なんでよ、出来合いのブーケじゃだめなの?」
「このお花がいいんだよ」
少年が迷わず指差したのは「オールフォーラブ」と呼ばれる濃いピンクのバラと「バターキャラメル」と呼ばれる柔らかい黄色のバラだった。優しい色合いながらもはっきりとしたコントラストを生む、素敵な組み合わせだった。
「これ1本ずつでいいわね?」
「ううん、ピンクが2本で黄色が1本だよ!」
と少年はひるまず主張する。私は困惑しつつ、横からそのバラを取り出して
「合わせるとこんな感じになりますね」
と少し高低差をつけてお見せした。少年は
「うん、長さはこれくらいがいい」
と納得した表情で頷く。こういうとき、子どもには迷いがない。
 やがてため息をついた母親が
「…じゃあこれを包んでください」
とおっしゃった。

「あの、お友だちへのプレゼントですか?メッセージカードをお付けいたしましょうか?」
と遠慮がちにお聞きすると、
「違うんです、ただの自宅用。この子、やたらこだわって仏花まで自分で選びたがるんで。スーパーで売っている花も全部見るし、家では種から花を育てたりして一人で勝手に喜んでいるんです」
と母親はうんざりしたような表情でおっしゃった。きっと毎日こんなふうに振り回されて困っていらっしゃるのだろう。

 でも私は単純に、こんな天才少年が存在することに感激してしまった。
「素晴らしいセンスをお持ちのお子さんですね、すでにそんなにこだわりがおありだなんて」
「そうですか?」
 母親は怪訝そうだった。
「私、なんだか羨ましくなってしまいました。あまりにも純粋にお花を見ておられるので。私どもの店は、夕方から夜にかけて会社帰りの男性のお客様が大勢いらっしゃるんです。観葉植物を育てておられる男性も多くて、皆さんかなりマニアックですよ。きっといつか、そういったお仲間とも出会われるのでしょうね」

 私が包み終えたバラを少年に差し出すと、彼は嬉しそうに背伸びしてそれを受け取った。
「またお花、見に来てください。見るだけでいいから、ぜひ遊びにきてくださいね」
そうお伝えすると、やっと表情を緩めた母親が
「ありがとうございます。ほら、お姉さんにありがとうって言いなさい」
と言って少年を出口まで促した。
「うん、ありがとう。バイバイ!」
「バイバイ!」
私も少年に手を振った。

 純粋な情熱というのは、なんと清々しいのだろう。あのプロ顔負けのこだわり。あの子の10年後、20年後が楽しみだ。そんなことを思いながら、私はその親子の後ろ姿を幸せな気持ちで見送った。

このノートが参加している募集

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

すべての記事は無料で公開中です。もしお気に召していただけたら、投げ銭、大歓迎です。皆様のあたたかいサポート、感謝申し上げます。創作活動の励みになります。

また来てね
29

切島カイリ

花屋日記 そして回帰する僕ら

ファッション女豹から、地元の花屋のお姉さんへ。その転職体験記を公開しています。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。