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「花屋日記」50. そして回帰する僕ら。

 ある日の午後、ブランドの新作展示会に向かうため代官山Tサイトを通り抜けると、青山にある花屋「ル・ベスベ」のポップアップショップが開かれていた。つい立ち止まってしばらく花材を眺める。今すぐあのカウンターの中に入ってさくさくブーケを組める気もするし、まったく途方にくれてしまう気もした。花を2週間以上も触っていないなんて初めてのことで、なんだか他人の人生を生きているみたいだ。

 東京に引っ越してくるとき、私は一連の道具を荷物の中に入れた。花鋏とフラワーナイフ、ワイヤーやフローラルテープも。今後のめどはなにも立っていなかったけれど、花を辞めるつもりはない。私はこの街でまた、自分の心を突き動かす花にどこかで出会えるだろう。そう思っている。

 私は街を歩いても、誰かが軒先で育てている植木鉢を必ず覗く。道に生えた野草の種類を確かめる。街路樹の木漏れ日を楽しむ。落ち葉を拾い、木の実に触れる。花の香りで季節を確かめ、太陽を、影を感じる。風に吹かれ、こぼれ落ちる感情を手のひらで受け止めながら。

 世界のありのままを見つめることは、自分自身を見つめることに近かった。あれだけの絶望を経験したけれど、私はもう「このまま目が覚めなければいいのに」とは思わない。同じ東京でも、今は随分と違った街に見える。それはとても不思議な感覚だった。

 なぜそこまで心が回復したのか、自分でもよく分からない。もしかしたらこれも一時的なもので、また落ちたりもするのかもしれない。でもそれでもいい気がした。たぶん心はもう同じ「回路」ではないし、絶望とどう向き合うかも、きっと変わっている。

「つらい局面はこれからもあるかもしれません。でもそういう時、花がカイリさんを助けてくれます。そのことを覚えていてください」
 ご挨拶に訪れた時、私に花の世界を教えてくれた先生がもう一度そう教えてくれた。そうあって欲しいと思うし、きっとそうなると思う。

 こうして私は世界の一部に戻るのだろう。一度摘まれた花が、花器の中で新しい美となって再び咲き誇るのと同じように。私はこの場所を生き直すのだ。

 それが、私が花をとおして学んだこと。私の花屋生活のすべてだ。

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