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「人と自然の乖離を、神話的に表現したい」華道家・片桐功敦インタビュー vol.2

個展「FLOWERS AND THE AFTER」を開催中の花道みささぎ流家元・片桐功敦インタビュー後編。〈vol.1はこちら〉
シアトルの芸術大学で陶芸を学び、24歳で家元を襲名したという経歴からも想像できるとおり、波乱万丈な運命を生きている方だ。そしてきっと、たくさんの痛みと絶望を見つめてきた人なのだろう。彼の作品を鑑賞するたびに、私たちもまた根源的な命題を問われることになる。生と死を、命のあるべき姿を、私たちは直視できるのかと。

>作品展をされるときに、家元としての立場は意識されていますか?

全然考えたことない。完全に個人ですよ。僕が教えている子たちも、みんながみんな僕みたいに生けたいわけじゃないと思うし、好きなように生けたらいいと思ってます。教えるのは技術的なことであったり、まあ例えば「ちょっと季節感が違いすぎて気持ち悪くない?」とかそういうことですね。

>新作では人物モデルが登場しましたが、背景にあるストーリーは?

あれは、これから撮っていこうと思っているシリーズの一発目。福島の本(※『SACRIFICE - 未来に捧ぐ、再生のいけばな』)を出したとき思ったんですけど、けっこういろんな人が「よかったよ」と言ってくれて。「救いがある」とか、「そこに花がなかったらかなり痛々しい景色なのに、一輪あると風景が全然違うように見えてくる」とか。まあすごいよね、お花の力って…。

だから人と自然の相入れない乖離みたいなものを、花を使って浮き彫りにしたいなと去年くらいから思い始めて。もはや福島のことだけじゃなくて、もっと大きなレベルでそのことを人に理解してもらうにはどうしたらいいかなあと思ったら、神話めいた絵画的なアプローチで、人が(画の中に)入らないと無理だな、と。これも試行錯誤で一枚だけ撮ったんですが、これから増やしていこうと思ってます。来年はこれを大掛かりに発表する機会があると思うので。

>汚染土のモチーフは2年前の個展「SACRIFICE」でも展示されましたね。

ずっとあの頃から「福島」っていうのを冠に掲げて何かものを言うと、どうしても社会的な問題になって。例えば「反原発ですか?それともプロ原発ですか?」とかいう話に陥りやすいんですね、人の目線から見たら。そうじゃなくて例えば土の目線から考えると、ただ土は汚れたら、自分でなんとか時間をかけて綺麗にしていくしかない。そこに種が落ちれば、普通に育てあげるだけのポテンシャルは残っているのに、汚れたものとして袋詰めにされて、いわば暗闇に葬り去られているわけじゃないですか(苦笑)そのことの方が恐ろしいな、というか。

「汚染土」って一言で言うけど「誰にとって汚れてるんだ?」っていうこと。それって福島のことだけじゃないと思うんですよね。人が宿命的に、自然の流れと相入れない生き物になってしまったということの象徴みたいに見える。しかも袋詰めにされた土も死んでいるわけじゃないんですよね。破れたりすると、そこから草が生えてくるし。だからその袋自体がすごく神話的だなと思って。

>作日はスタジオで撮影されているのですか?

新作を撮ったのは自宅(※大阪・主水書房)の八畳間なんですよ。だから本当はもっと広く画を撮りたいんですけど、右も左も天も地も、あれ以上引くと天井や畳が見えたりするので、あれが目一杯の限界のフレームなんです(笑)他のシリーズもほとんどは自宅で撮ってます。何点かは福島に住んでいるときに、向こうで撮ったものですけど。

>会場にお花も生けられていますが、会期中に変えていく予定ですか?

今回は、淡路島の久住くん(※久住有生)っていう左官職人の友達がうちで展示してくれたときに作ったインスタレーションの一部を切り取って置いたんですよ。(初日に生けたものは)最後まで持たないので、あと2回くらい変えるんじゃないかな。



会期/2019年 3月9日(土)まで

会場/GALLERY DE ROOM 702 

住所/大阪府大阪市浪速区稲荷 2-7-18

時間/12:00〜18:00 ※入場無料

休館/日曜・祝祭日
URL/www.dr702.com/gallery.html

なお会期中に片桐功敦による、いけばなのワークショップも開催。2月26日(土)、3月2日(土)と、会場1階の中庭にて少人数制で行われる。

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