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「花屋日記」21. 消えない「消えもの」。

 花屋になると、いわゆる社員割のようなものが使える。知り合いに花を贈るときなどに、少しだけ値引きがきくのだ。私はそれを利用して、今までより頻繁に誰かに花をプレゼントするようになった。それまではお祝いやお弔いでしか花を注文することはなかったが、今はもっとパーソナルな贈り物もできる。理由なんてなくても「いい花が入ったから見せたくて」と配送することさえあった。

 ある日、私は以前習いごとを通じて知り合った、ある高齢の知り合いに花を贈った。毅然として生きている彼女は、私から見ると「理想の大人」だったが、周りからは「とっつきにくい人」だと思われているようだった。外界を遮断して一人で生きているのは、長年家族とうまくいかなかったことが原因だと聞いている。彼女に会う機会はそう頻繁ではなかったし、私の気持ちも、はたしてどれだけ相手に届いていたかは分からなかった。
 そんな彼女が病に倒れ、誰にもSOSを出さず、たった一人で二週間も寝こんでいたらしい。「やっと地獄のような痛みから生還した」と聞いて、私は慌ててお見舞いの花を用意したのだ。

「誰かから花をもらうなんて、今まで一度もなかったし、そんなこと想像したこともなかった。別世界にいるようだ」
 後日、そんな電話をもらった。完全に戸惑っているようで、なんだか申し訳ない気持ちになった。気持ちを伝えるということは、どうしてこうも難しいのだろう。良かれと思ってしたことが、まったくの見当はずれだった。
 私は自分の身勝手な行動を反省しつつ、せめて花が「消えもの」でよかったと思った。なんせほとんどの花は5日ほどで枯れてしまう。そのほんの5日だけ、私が彼女のことを想っていることを思い出してもらえるのなら、それでいい。だって、心配くらいさせてほしかったから。

 しかし、それからひと月が経った頃、ちょっとしたサプライズが起きた。
「まだあなたからもらった花を飾っているのよ」
と彼女から弾んだ声で連絡がきたのだ。

 詳しく聞いてみると、ブーケに入れたドラセナという葉っぱが、花瓶の中で根を出したのだという。だから花が枯れたあとも、彼女の一人暮らしのテーブルの上でドラセナは今も飾られ続けていたのだ。その意外な展開を聞いて、私はなんだか笑ってしまった。神様も、粋なことをなさる。植物の生命力をこんなにも頼もしく思ったことはない。

 私はちょっと安心して、そのドラセナたちに感謝した。ありがとう、私の気持ちを託すから、そこでその方をずっと見守っていてね。とても大切な人なのよ。

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