編集をしていて思う「読みやすい文章」を作るコツ

おおげさでもなんでもなく、言葉は魔法です。

誰かの人生を大きく変えたり、時にその人生を豊かにする。そして諸刃のごとく隣人のやる気を無邪気にそぎ落とし、時に人を傷つけてしまう。

言葉には、余りある力があります。だからこそ言葉とか文章とうまく付き合っていきたいですよね。

広く一般のユーザが使うサービスを提供する人は、
誰にでもわかる言葉を使って表現できるようになるといいと思います。

ぼくは文章のプロでないのですが、
最近他の人が書いた文を編集をすることが増えてきたので、
編集する時によく気をつけていることを書いてみます。

一文を短く。

まず一文を短くすること。1行の文字数にもよりますが、3行も4行も句点「。」(=マルのこと)がない文章は一般的には読みづらいです。読点「、」(=テンのこと)で文章を何個も何個もつなげてダラダラ書いてしまわないよう、必要に応じてしっかり区切るクセをつけましょう。

読点を使いすぎない。使うのは原則2つまで。

意外に盲点だと思うんですが、一文が短くても、言葉の区切り区切りで必要以上に読点を使いまくる人がたまにいます。これも読みづらいです。

「、」をつける目安は、1つの文章に原則2つまで、を心がけるといいと思います。もちろん、それがそぐわない場合もあるのであくまで目安、原則です。言葉にして発してみた時に、一切の区切りなく繋げて話している箇所は、無理に「、」で区切る必要はありません。繋げて書いたほうが読みやすいです。

専門用語や略語は「」をつけて必ず説明を加える

僕は、文章を編集する際、いつも心に「イエローカード」と「レッドカード」を持っています。これは読み手がわからないであろう専門用語が出ていて、それに関する説明がなかった時に、その文章に対して心の中で出すカードです。

すなわち、人は自分のわからない単語が出てきた時、その文章を読む気が半減するという個人的な肌感に基づくものです。1回出てきたら気持ちが半減し、2回出てきたら、そっとパソコンが閉じられてしまうだろうと考えています。

略語も同じです。変にわかった風に言わない。その文章を、限られた人だけに伝えない。そういう表現を、人は意外にサムいなと感じています。人は、みんなにわかりやすくメッセージを伝えようとする、スケールの大きい人に惹かれるんだなあと思います。

語尾にバリュエーションをつける

語尾が単調だと、人は流れに乗って文章を読みづらいものです。例えばよくあるのが、「〜と思いました。」という語尾がずっと続く小学生の読書感想文。

小学生だから微笑ましいですが、社会人になってまで進歩が見られないと悲惨です。みなさん笑うでしょうが、そういう人は決して少なくありません。ちゃんと我が身我が文章を振り返ってみましょう。

 一つの文章に同じ単語を二度使わない

理屈でいうともっともですが、これは意外に難しいです。そしてみんな意外に書いている。ググったら、あるあるな実例がたくさん出てきました。

ひとつひとつは些細な違いなんですよね。でもそういうレベルでそぎ落としていかないと、文章というものは累乗的に読みづらくなってしまう。僕はこの「累乗的」という要素が大事だと思っています。一つ一つのネジを少しずつ許してしまうと、それが積み重なってしまうんですよね。

メドレー的にいうと、「凡事徹底」とはすなわち「累乗的に積みあがる芸術」です。「誰にでもできる凡事を、非凡な水準で追求する」ということは、それすなわちアートだなと思うわけです。

(→ちなみにこういう表現はちゃんと背景や意味を説明しないと伝わりづらく、イエローカード的です。笑 逆に言うと、わかる人にはわかるでしょうということを伝える隠し味にもなる。目的によって使い分けようという敢えての事例)

思ったこと、疑問点、などを書く時は「」で区切る

これはちょっとしたテクの話です。語り調と文章として流すところは、抑揚をつけたほうが伝わります。なので、表現の形態が違うものは、明確に区切ってあげたほうがいいと僕は思っています。

漢字をなるべく5文字以上並べない

漢字を羅列する文章は、「どうせインテリ向けだろう」という心理を与えてしまいます。「〜的〜」とか、医学用語とかもまあそうなってしまうんですが、どこか特定のクラスターの人たちだけの共有財産だと思われてしまう。これがもったいない。

さらに、心理的な話をするとあとでも触れますが、漢字は画数が多いので、こうやってブログにして書いてもつぶれやすくなります。つぶれるものは密度が高くなり、心理的圧迫感を与えます。今書いた「心理的圧迫感」とかも、そんなにつなげてゴミゴミ書く必要って本当はないですよね。

もっと平易な日本語で置き換えられるはず。置き換えることで、みんなとその表現をもっともっと共有できるようになりますよね。最悪「心理的な圧迫感を与えてしまいます。」というように、漢字をひらがなで区切ってあげるなど。言葉で相手を威圧しないようにしましょう(俺がいうな)。

字画の多い漢字はなるべく用いない

これも同様の理由です、さっき話した話。例えば「魑魅魍魎」とか。小説に書くならまだしも、なんかこの言葉怖くないですか?この言葉がどうということ以前に、先ほど話した「心理的な圧迫感」が強いんですよね。誰かに何かを伝える、というストレートな目的を果たしたいなら、誰かの気持ちに不用意に入り込んで、威圧する必要はありません。

一方で小説は違います。この圧迫感こそが表現の一部であり、表現そのものなのです。目的に沿って熟語を使いましょう、という話。

文頭と接続詞と文末が表現として合っているか常に意識する

最後に「当たり前」なことを言って、このブログを締めたいと思います。「僕は〜と思いました。」というのは自然な文章ですよね。「僕は〜に行きました。」これも自然です。

ここまで書いて、みんなどう思うでしょうか。そんなの当たり前だよ、と誰しもが思うでしょう。でも実際はそうじゃない文章が実に多いのです。これから先、誰かの文章を編集する機会があったら、気づく時がくると思います。

「今日の目標は、溜まっているタスクについてすべての納期や優先度をリスト化します。」

あれ、主語と述語が整合していない。「今日の目標は」なら、「〜することです」で終わりたい。でもそうなっていないよね、とか。こういう些細なところに読みでは敏感になってしまうんですよね。こういうもったいないことをひとつずつなくしていく。シンプルにそぎ落としていく。

ということが、受け手への愛だと思う今日この頃です。

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"kyo"のマネジメント小話。

あまり世の中のマネジメントの本には書かれていないけど、大切だなと思っていることを少しずつまとめていきます。
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