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「多様な働き方に向き合う」とは?という話。

半年ほど前の話ですが、at will workさんのカンファレンスに登壇させていただき、「多様な働き方を支える文化」というテーマでお話させていただきました。

多様な働き方を支える文化、というテーマは要素を分解すると、

「多様な働き方を認めることって、そもそもいいことなの?」=Why
「多様な働き方を認めるとして、誰に何を認めればいいの?」=What,Who
「多様な働き方を認める文化づくりって、どうすればいいの?」=How

という話があります。

「支える文化」まであるので一見「How」の話から入るのがよさそうに思いますが、会場の方に質問をしてみると、「文化づくりで悩んでいる」というよりもその前段、上段として、そもそも「多様な働き方を認めること、会社として目指していくことが本当に必要なのか?」というところの方に関心を持っている方が多いようでした。

「多様な働き方」って本当に必要?

僕は、働き方の主張と許容ないしはその推進というのは、どこまでも、企業側にとっても働く側にとっても健全な競争環境の中に成り立つものだと考えています。そして、それを支え合うだけの成熟度が双方にあるかということ。

雇用側からすると、多様な働き方を支えることが、企業競争力につながる、もしくは社会の公器として自分たちがどう在りたいか、という組織ビジョンに通ずる場合にその推進を加速させるんだと思います。

社会の公器の観点は在り方の問題なので、経営陣が事業成長とのバランスの中で、経営意思として決めればいいと思います。企業競争力という点でいうと、他の会社ではその人が活躍する場所を提示することができない、でもうちならできる。できるからその人は輝き、事業は加速する。そういうループを作れるからこそ、多様な働き方を認めるんだと思います。

逆に、そういう全体像がない状態で手段だけおりてきてもそれはサステーナブルではないので続かないと思うし、そもそも必要性もないと思うんですよね。単純な人気取りやその場の取り繕いでは持続しないほどにその継続は難しいものだと。なぜなら、多様な働き方を認めるには、雇用側と働く側の相互尊敬関係と、マネジメント側の高度な成熟度が求められるからだと思います。

雇用側は、fairnessを担保することがカギ

多様な働き方を実現する制度を作り、その運用を継続する上で、一番気を使うのがfairnessだと思います。このfairnessを納得感を持ってチームが受け入れられるかどうかがモチベーションにおいて重要なポイントになる。加えて、もしチームが受け入れていても、他のチームからの声というのもバランスさせていく必要がある。それを実現するためには、高度なマネジメント能力が必要だけど、そういうのってなかなか正しく教育を受ける機会がマネージャー側にない。

自分の能力に応じて適切な権限と責任を持ったマネージャーが、自らの権限と責任の範囲においてそういう自由度を認めながら結果責任をおえるかどうか、というところがポイントではあるけど、そこまでの過程の管理というところに思いの外多くの要素があり、思いの外難易度が高い。

働く側は、自分の市場価値と向き合うことがカギ

働く側からすると、多様な働き方を認めてもらえるためには、そもそも自分の市場価値と向き合わなければなりません。単純な話で、多様な働き方をしてでも来て欲しい!と思われない限り、どこにいっても働き口がないからです。なのでそう主張する前にまず、自分の「市場価値」と向き合う必要があります。

ここで敢えて「市場価値」といっているのは、そういう人は不確実な環境変化の中にさらされるリスクが他の人よりも高く、そういう中でも強く生きていかなければいけないからです。すなわち、特定の会社の中で自分の中に情報を集約して溜め込むことで「その会社にとっていなくなったら困る」価値を高くしても、それは会社の経営方針が変われば暴落するだけのものでしかないわけです。

もしその会社の状況が変わっても、どこにいっても生きていけるだけの実力をつけなければいけない。それはなかなか過酷です。「どこにいっても生きていける人」は数多くいるかもしれません。でも、ちゃんと市場価値をつけてそれを実現できている人があまりにも少ないように感じます。

だから僕はチームメンバーに「どこでも生きていけるよう、仕事と情報を抱えるのではなくオープンに、そして市場価値を高くすることを意識して日々を生きてください。そしてそれ以上の価値を、会社に返せる人であってください。」と伝えています。そして、そういう人が市場価値が上がっても、この会社にいたいと思えるようにすることがマネージャーの役割だと思います(全部前の上司の受け売りですが)。

これからの「超高齢化社会」に向けて

これからの超高齢化社会を考えて、自分たちがこれから社会に対してどれだけの税金を支払っていくか、ということを真面目に計算していくと、ちゃんと稼げるようにならない限り日本に居続ける限り生活はあまりにも悲惨です。今生きていけるからそれでいい、は、20年後、40年後ではまったくもって通用しない。今の親世代は通用していた金銭的な常識感は、僕らの世代や僕らの子供の世代では総崩れするという危機感があります。

だから、一見矛盾というか相容れない話のようにも見えますが、多様な働き方を追求しようとすると、例えば20代は一心不乱に死ぬ気で働くとか、もちろん30代でもそうですが、「多様な働き方を認めてほしい」っていうことを求める人は、働ける時に働けるだけ働いて市場価値をあげることに集中したほうがいい。

あと家庭の事情は今後どうなるかわからないです。
この年にしては今まで、非常に「多様」な人をマネジメントしてきたつもりですが、やっぱり人の事情は日々変わります。それも、自分が想定していないタイミングで変わります。今はそんなこと考えていない人でもいつかそういうことを考えざるを得ない状況に置かれる人は今後莫大に増えるはずです。だからこそ、思っているより多くの人にとって、市場価値を上げておくことが大事だと思います。

多様な働き方を認める。それは雇用主やマネージャーからすると、やっぱり率直に言うと「めんどくさい」はずです。画一的な方が管理が楽だし、そうじゃない要素が増えれば増えるほど、めんどくささは自乗的に膨らんでいくからです。でも、マネジメントが成熟しており、働く側がそれを認めてもらう以上の価値を返す、という関係が実現できれば、それは間違いなく企業競争力の源泉になります。

まとめ

まとめると、

・経営陣は競争力の源泉とするために、そして社会の公器としての在り方に向き合うために「健全な大枠」を作る。そして、マネージャーを育て、適切なレベルの権限(≒裁量)と責任を与える。


・マネージャーは権限と責任の中で、自らの裁量のもと多様な働き方への包容力を最大限発揮して、メンバーの実力を引き出して大義を成す。


・働く側は多様な働き方を認めてもらえるよう実力をつけ、認めてくれた組織の包容力に感謝し認められた以上の成果を出し続けながら自らの市場価値を高める。


という理想をどう追求できるかというところの交差点が文化の醸成につながるのかなと思います。そして、その際になにより大事なのが相互尊敬の関係があるかどうかだと考えています。

というお話でした。

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