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私がインド赴任を決断した理由

「日本は最高の旅行先である。」
成田発のシンガポール便の中で、私はそう確信をした。
四季によって変わる景色模様、優しくオモテナシ精神満載の人々、言うまでもなく美味しい料理、久しぶりに帰ったとしても、温かく迎えてくれる家族や友人、世界各地に旅行に出掛けたが、日本以上の国はない。言うまでもない、最高である。

4年前の今頃、私は焦っていた。何に焦っていたかは覚えていないが、とにかく焦燥感にかられ、「このままじゃいけない」と強く感じていた。「このままじゃ、このままじゃ、、、」それに続く言葉を分からないまま、今に焦り、何かを求めていた。そんな中に選択肢としてあった最も大きな一つが、「海外」であった。幸いな事に、弊社には海外拠点がたくさんあったため、海外勤務希望を出し続けて機会を待った。暮れども来ない吉報に苛々し、行けないなら辞める。そう決断までしていた。

きっかけは、ある秘書からの一本の内線電話であった。「会長がお呼びです」。私はついに、目の前にあるであろう機会に胸を躍らせ、なるべく高揚を悟られないように会長室に入った。その時の会話は、今でも鮮明に覚えている。
「あなた、海外へ行きたいんだって?」
「そう、それなら、来年からインドです。」
是非をも問わない言い方に、高揚がスローモーションのように戸惑いへと変化していく。インド?え?

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インド行きを決断した本当の理由。

今でも聞かれる質問だが、何故インド行きを決断したのか。
これについては何のドラマもないし、悩みがなかったわけでもない。ただ、インド行きを迫られた一週間、私が考えていたのは「私が断ったら、誰かがアサインされる」という事であった。もし、その誰かがインドに行き、実績を出すような事があれば、私は身投げをする思いに駆られるであろう。勇者になるには、今しか決断出来ないのである。その頃から、断る理由を探すのを止め、誰も抜いた事のない剣を抜いて、冒険に出掛ける手続きを始めた。

当時既に11月、年末までの2ヵ月間で住居の解約、業務引継ぎ、各所報告、親への業務、そして彼女との別れと、矢継ぎ早に色々な事が起こり、全く現実味を帯びない日々であったが、最後の大送別会はボディーに響いた。こんなに優しい人たちに囲まれているのに、何故私はそこから抜け出そうとするのだろう。考えても答えは出なかったし、既に出した答えが変わる事はなかった。

評判の悪いレストラン。

私はインドについて一切知識を持っていなかった。ただただ市場に溢れていたのはネガティブなイメージばかり、それ以外は行った事も勿論なかった。調べれば調べるほど、あらゆる側面からネガティブな事を見聞きする、改めて凄い国である。腹痛、ぼったくり、婦女暴行などなど、こんなにも人に毛嫌いされて、それでも尚、訪れる人が後は絶たない。

美味しくないって言ってるのに、そのレストランには人が訪れる。美味しくないって言ってるのに、またそのレストランを訪れる人がいる。

でも、何故だか、そこの料理を食べれば、一気にレベルアップが出来る、人生が開花する!インドに行けば人生が変わる!などの歌い文句に、人々は誘われる。で、実際に人生が変わったのかって言うと、それはこの後を読んでくれれば分かる。かもしれない。

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落ち込んだりもしたけれど。

初めてインドを訪れた衝撃は今も忘れない。
目に入ってくる景色、場所の匂い、雰囲気、どれをとっても私には初めてのものであった。2014年のはずなのに、気分は200X年、ジャギステージである。砂埃が舞う街並みに、そこらに寝転がる明らかに貧しそうな人々。ヒデブ!とは言わないまでも、まじか…と何度も何度も口にした。そして、これからの生活と仕事を思い、途方に暮れた。

あの日の絶望を忘れたわけではないが、私はインドに行って良かったと本音で思っている。本当に行って良かった。インドにいる中で色々なものを手に入れたと思うが、その最たる例が友人達である。

インドの中で、友人とはその年齢を問わず、例えば50代の大先輩であったとしても、ある種では友人と呼ぶに相応しい、そういった間柄を築けるのである。その貴重さは計り知れない。

インドに到着して間もない頃は、絶望の微睡から抜け出せずに、何をどうすればいいのかパニック状態である。そんな中で出会う日本人の方々は、口を揃えてこう言う、「困った事があったら、何でも聞いて下さい」。その飾りのような言葉が信憑性を欠くのだが、数ヵ月後、自分より赴任日が浅い人に出会った時、全く同じ台詞を放つ自分がいる、それも純粋な厚意に包まれた状態で、である。部族の強みか、私は友人達がいなければ、インドでは生き残っていけなかったと思う。

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不便さとダイナミズム

慣れというものは恐ろしいものであり、次第にインドという国の不便さにも疑問を抱かないようになってくる。目に入ってくる、およそ異常な光景にも、普段からそこにあったものと同じように捉えるようになる。

インド北部では、ある季節になると、素足で、派手な格好で樽を担いで一生懸命歩く人達が急に現れる。彼等はガンジス川の水を聖なる水と呼び、それを遠い道のりを歩いて持ち帰る事で神様を信仰する。最初はそれを見て疑問を抱く、彼等の宗教への信仰心、そしてその合理性の欠如に対して、価値観の許容範囲を軽く超えてくる。それも、2年目以降は季節の風物詩へと変わってゆく。

食の不便さも同じように、日本食を求めて、タイやシンガポールへ出掛け、大量に食料を買い込んで帰るものの、食材の賞味期限がどんどん切れていくのに気付いた頃、本当に食べるものだけを買い込む技術、そして勿体ぶらずに食べる勇気を見につけていくのである。「慣れ」とは人間が持つ、生き抜くための力なのである。

魔の巣窟といった代名詞を欲しいがままにしているインドだが、良いところも勿論ある。経済成長だって凄いし、ビジネスのダイナミズムは他国では味わえない。チャンスだって無数である。ただ、実感できるレベルで聞かれれば、私はインド人だと答える。彼等ほど純粋で、愛嬌に溢れた人間はいない。一緒に仕事をする中で、何度もパソコンを放り投げかけたし、騙されたことだってある。約束は守らないし、平気で嘘をつく。嫌だった事を数えれば、天文学的数字になるだろうが、それでも尚、彼等に救われた事だって何度もある。

ーお腹が痛いと言えば、5人から5種類の薬をもらったりした。
(結局怖くて一錠も飲めていないが)
ーどれだけ怒鳴り散らしても、翌日には笑顔で「おはよう」と投げかけてくる。
―覚えたてのヒンディー語を話した時は、赤子が初めて喋ったかのようなリアクションをしてくれる。

辛い辛い辛いーーーそう思う日々も勿論あったけれど、多くを教わったと思う。

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ちなみに、インド人は全員ターバンを巻いているわけではない。ターバンを巻いている人は一部のシーク教信者である。これを見ている貴方は、インド=ターバンというイメージを変えた方がいい。
インド赴任経験者に「毎日カレーを食べるの?」も聞かない方がいい、100回以上回答している。「やっぱりお腹壊すの?」も「牛肉食べれないの?」も同じである、そんな質問はOK Googleと冒頭に付け加えればよい。

その代わり、貴方がインド赴任経験者という未だレアな存在に出会ったなら、どうかこの質問を投げてみて欲しい。「インドに行って良かった?」と。
多くの彼等は頷くだろう。もし首を横に傾ける人がいたら、きっと、その人は、インドが大好きに違いない。

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