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趣味と就職

妻の三年越しの念願を叶えるべくフランス移住を決めるも諸々手続きに半年かかり、実際に引っ越す頃には2001年の秋になろうとしていた。

シャルル・ド・ゴール空港に着いてとりあえず新しい勤め先に電話すると、社長のヤンが迎えに向かってくれているとのこと。空港ロビーで待っていると、程なくフランス人としては大柄なヤンが満面の笑顔で現れた。

ぼくたちをフランスに呼んでくれたヤンと知り合ったのはパリ留学時代に遡る。世界中から様々な人々が集まるパリで、学生時代の2年間を過ごせたことは貴重な経験と出会いをもたらしてくれた。
後にマレフィスというユニットでメジャーデビューを果たした友人と、どういう経緯でだったか夜のレ・アルで路上セッションしていたときに、初対面だったヤンがたまたま持っていたポータブルのリズムマシンをぼくが指でドラムを叩くように演奏したことがあって。その「手動演奏」が印象的だったそうで、数年後にヤンが東京に暫く住むことになってバンドに誘われた。
飯田橋の日仏学院(現・アンスティチュ・フランセ東京)や六本木、原宿のホコ天などで一緒にライブをけっこうやって楽しかったけど、その頃はまだ、後年一緒に働くことになるとは想像もしていなかったよ。

そんなことを思い出しながらヤンの車で空港からパリ市内へ向かう高速道路を走っていると、空に虹が。
なんだか歓迎されているように勝手に解釈して凄く嬉しかった。これは幸先いいぞ?!と。

「疲れてるよね?」と訊くヤンに、
「大丈夫だよ、会社に行こう」とぼく。
そのままモンパルナスのオフィスに直行し、会社のみんなに挨拶。
3年前は4人の小さなスタートアップだったけれど、株式会社になりメンバーは20人近くに拡大していた。

そして翌朝から出勤。更にその翌日には仕事の後にバンドの練習まで開始したのだから、当時は元気があったものだと思う。おそらくテンションが上っていたんじゃないかな。

そう、おそらくヤンはデザイナーはもちろんだけど、同時にドラマーも欲しかったんだと思う。

これは妻が、フランス移民局主催のフランス生活に馴染むための説明会で重要事項としてレクチャーされたそうだけど、就活ではCV(セーヴェー:履歴書)に趣味を詳しく書くことが超だいじ!らしい。
好きなことをしっかり書いておくと、担当者と趣味が合うという理由で採用されたりすることがあるそうで。ときに趣味は就職を助ける、ということなのだろう。
図らずも実体験として腑に落ちたのだった。

それにしても、留学先がその後の人生に与える影響は思ったより大きいようだ。
これはヤンにとっても同様で、聞けば彼のお父さんは外交官で日本にも赴任経験があり、それでヤンも高校時代を東京のリセ・フランコ・ジャポネで過ごしたそうだ。彼自身もかつて新卒から2年ほどフランスのビジネススクールの東京校で働くことにしたのだが、その選択は日本に住んだ経験があればこそだったし。

なので例えばこれを読んでくださった貴方や、貴方のお子さんが留学するとしたら、単に語学等を習得するためだけと考えず、将来その街・その国との縁が続くかもしれないことも充分に考慮した上でどこにするか決めることをお勧めします。


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