見出し画像

凡人は天才を見極めることができるか? コンペティションの意義を考える

「わかる/わからない」の視点で、アートに関わるお話を、思いつくままつらつらと綴っています…。
今回は、「天才」を凡人の私たちが今現在の段階で見極める事ができるかどうかという、アートの世界に限らず、古くからの定番命題について、少し考えてみようかと思います。

ゴッホと言えば、天才アーティスト。アート好きではない方にも、作風まで含めて、名前が挙げられる巨匠の一人です。耳切り事件をはじめ、奇行も有名ですが、存命中に作品が一枚しか売れなかったというエピソードも結構知られています。
 そうです。後世、天才と呼ばれる人ほど、自分の生きている同時代人には、なかなか認められないケースが多いようです。その時点の「常識」からかけ離れた思想や視点を持つからこその「天才」ですから、「常識」で固まっている平凡な人(≒凡人)に理解しろというのが土台難しいわけです。では、逆に非常識な人が常に天才かと言えば、それもそうとは言えず、単なる「変わった人」だけの場合もあるわけで、ここの見極めが本当難しい。

 1401年、イタリアのフィレンツェで若き天才が二人、見出されました。ロレンツォ・ギベルディフィリッポ・ブルネレスキです。
 当時、街のシンボルであったサン・ジョバンニ洗礼堂の入り口を飾るブロンズの門扉を制作するにあたり、コンペティションが開かれました。最後まで候補として争ったのがフィレンツェ出身の先の二人。なんと審査に二年の歳月をかけて、最終的にはギベルティが勝利を手にし、その後およそ50年!にわたり洗礼堂の装飾に関わることになりました。
 一方のブルネレスキは、ローマへ古代建築を学びに一時フィレンツェを離れますが、その後故郷に舞い戻り、今やフィレンツェと言えば誰もがイメージするサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の建築を任されることになります。二人とも、歴史に残る“公共事業”のアートディレクターとして、若くしてその才能を発揮したというわけですね。

画像1

 若き二人の才能が発掘されたのが、先のコンペティションです。参加者は、旧約聖書の"イサクの犠牲”をテーマに40㎝四方のブロンズパネル1枚を一年以内に制作するという課題が与えられました。

画像2

《イサクの犠牲》
左 ギベルティ作  /  右 ブルネレスキ作

 二人のコンペ参加作品は、今もフィレンツェのバルジェッロ美術館で隣合わせにみる事ができます。どちらがより優れいてるか、私では到底判断はつきませんが、一つだけわかったことは、若者にも全く平等にコンペに参加できたという事実です。
 どこぞの公共事業のコンペが、すでに有名な設計事務所に所属していないとエントリーできないような「参加条件」が付いているのとは、恐らく違うということです。何世紀にもわたって名を残すような天才を新たに見出すためには、せめて現時点での評価/評判という「常識」だけでも外して臨む必要がありそうです。
 もっとも、当時の都市国家フィレンツェとしては、他都市の芸術家を招き入れるということはプライドをかけても許さなかったはずで、誰でも公平にコンペに参加できたかは、ちょっと怪しい気もしますが…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?