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躁鬱大学 その14 孤独を保ち、いろんな人と適当に付き合えば、薬は要らなくなる


14 孤独を保ち、いろんな人と適当に付き合えば、薬は要らなくなる

 さて、僕の講義もいよいよ後半戦です。ここはひとつ落ち着いて、カンダバシのテキストを読むことにさらに集中していくことにしましょう。6段落目の真ん中あたりです。
「いろんな人と付き合えば、薬は要らなくなるか減らせます」
 躁鬱人について書いてある本、もしくは病院で医者から「薬は要らなくなるか減らせます」という話を聞いたことがありますか? 僕はありません。躁鬱人にとって、精神科医から渡される薬を一生飲み続けることは当然のことになってます。おかしいなと思ってはいるのに、誰も疑いません。そして必ず躁鬱人は、鬱状態のときは薬を飲もうとしますが、躁状態になると完治したと勘違いし、もう自分には薬は要らないと言って、突然やめます。そして、しばらく暴れたのち、また当然のように陽は昇り、そしてまた落ちていきますので、ちゃんと鬱状態へと移行していきます。そして、自分が薬を飲んでいなかったことを思い出し、また飲み始めることになるのです。僕も毎回、これをやってしまいます。そして、しばらく前から薬を飲むのをやめました。コロナ問題で病院に行けなかったことと、担当医が転勤することになったとかいろんな言い訳はありますが、今、薬をやめてます。だからまた鬱状態に入ったら、飲み始めるんだと思います。と書きながら、そっかまたやめようとしているんだと思い出し、今日、やっぱり病院に薬もらいに行こうかなと思ってます。でもそれでも僕が前回鬱だったのは2019年9月9日で、翌日の10日に鬱が明けました。しかも、そこから一度も鬱になっていません。今日は2020年5月16日ですので、数えると今日は鬱が明けてからちょうど250日目にあたります。いつも僕は三ヶ月に一度くらいは必ず鬱になっていました。ここまで鬱にならないで続いているのは、2009年に躁鬱病と診断されてからは初めてのことです。もちろん、また鬱になるかもしれません。これまでの歴史を見る限り、必ず鬱になると言った方がいいと思います。それでも結構粘ってます。今までにこんな気持ちで日々を送ったことはないと言ってもいいのかもしれません。僕はこの講義のために毎日8,000字ほどの分量の原稿を朝書いて、大学に向かうのですが、そんな分量はとてもじゃありませんが、普通の精神状態では書けません。皆さんも試してみたらいいと思いますが、はっきり言って無理です。つまり、お前は躁状態なんだろ、ただのシャブ中みたいにやってるからでしょ、寝てないでしょ、ご飯食べてないでしょ、観念奔走始まっちゃってるんでしょ、と思われるかもしれませんが、皆さんが毎回講義に出席してくれていることが証明してますが、全く躁状態ではありません。論理も破綻していないはずです。躁状態は必ず論理が破綻します。思いつくことが考えることよりも先を走り始めるために、前の文章と後ろの文章が繋がらなくなっていきます。語呂合わせが増えます。思いついたまんまに書くので全体的にまとまりもありません。でも、おそらく、この講義はそんなことないんだと思います。ちなみにこれは僕の意見ではありません。躁鬱人が自分で言う「いや、今躁状態じゃない」という言葉は一切当てになりません。周囲の人がそういって初めて、躁状態じゃないと認定されるわけです。つまり、躁鬱大学の担当編集者が見たところ、論理も破綻してないし、電話の応対も落ち着いている、何よりも原稿が面白い、躁的なところは見受けられるが躁状態ではないとのことです。確認する必要があるのは睡眠時間です。僕は昨日夜9時に寝ました。起きたのは2時半です。そのまま少しむにゃむにゃして午前4時に書き始めてます。つまり7時間横になっている。僕の目安ではそれであれば十分睡眠は取れているということになります。躁鬱人は基本的にそんなに睡眠時間がもともと必要な人たちではありません。僕の中では熟睡5時間、その後むにゃむにゃ2時間の7時間寝ればオッケーということにしてます。他者からの評価は躁状態ではない、さらに睡眠時間は7時間取れている。それなら僕の中ではとても健康な状態です。薬は飲んでいません。でも完全にやめているわけではありません。ちょっと調子が悪いかもな、と思う日には薬を飲んでます。僕が飲んでいるのはデパケン400mgです。なんの薬が合っているかはカンダバシに直接聞きに行きました。「君は躁鬱研究家だからデパケンだ。デパケンを飲みなさい。調子がいいときは減らしていい、調子が悪くなったら増やす、研究者だから自分がどの調子かはすぐにわかるだろうから、自分の按配で薬を調整していい」と言われました。こんなこと言われたのは初めてですし、こんなところで書いて、カンダバシが糾弾されなければいいと思いますが、ぶっちゃけるのが本業の躁鬱人ですので事実をお伝えしておきます。でもこうやって言われると、それだけで落ち着くんですよね。躁鬱人には科学的証拠なんかどうでもいいですから。それよりも感覚的に合っているかどうかだけなんですよ。医者が言う通りにちゃんと薬を飲まないと、なんて気持ちでやってたら、すぐに窮屈になりますから、必ず鬱になります。躁鬱人ではなくて、躁鬱病なんだと感じるだけで窮屈になります。躁鬱病じゃなくて躁鬱人なんだよ、と伝えると、その言葉の響きだけで、なんとなく躁鬱病よりいいかも!となり、それだけで自分を治療し始めます。躁鬱人は非常に単純です。心地よければ全てよし、なのです。だから心地よい自分に都合の良い言葉をひたすら集めていけばいいのです。堅苦しい医学書なんか読むと、読んでいる行為だけで、その内容はともかく、体調が悪くなります。背筋をしゃんとして、躁鬱病を理解しないといけない、みたいな堅苦しいことがはじまると、体調が悪くなります。真面目になればなるほど悪化します。適当にすればするほど、感覚的に動けば動くほど楽になります。理屈では動きません。なんとなくフラッと動くと心地がいいんです。そして、まやかしだろうが、感覚に作用すると楽になっちゃいます。その人に興味を持つと、その人が言う言葉がそのまま薬になります。飲み込みが早い分、さっと飽きます。飽きちゃダメだと思って、粘りのある人付き合いをすると、すぐに疲れます。さっさと諦めましょう。
 なんで今、そんなに楽になったのか。確かに前にも言ったように日課を作ったということが理由の一つでしょう。昨日も夜9時に寝て、朝4時に起きました。毎日原稿用紙20枚分(8000字)の原稿を書いてます。この二週間で、原稿を書くのを休んだのは一日だけです。僕は休みの日は特に設けていません。休むと調子を崩すので、休みの日を作らないようにしました。その代わり、だいたい毎日朝9時には原稿を書き終えてますから、そこから次に絵を描き始める午後2時くらいまで5時間休みにしてます。一週間だと35時間休める計算になりますので、週休1日半ってことです。執筆を休むと、戻すのにとんでもなく力がいるので、こっちの休み方の方が効率が良いようです。しかも作品制作は進むので、とにかく充実感が半端ないです。躁鬱人は休みの日に暇していると逆に体調が悪くなります。逆に充実すると、その充実した時間自体があなたを癒します。もちろんやりすぎると体を壊しますので、毎日書く分量を決めてそれ以上は書かないことにしてます。とこのように日課による充実、日課による睡眠時間の正確な確保
、日課の中に組み込まれた毎日5時間の休みで僕の生活はずいぶん楽になりました。これまでも様々な日課を試してきましたが、今の最新版の日課はとても体に合っているようです。
 それと同時に、カンダバシが言うように、人付き合いの面でも工夫をこらしました。
 まず躁鬱人は一人だと機能しません。一人だと多分死にます。退屈すぎるからです。これは何度も話してきましたよね。しかし、人といるとこれまた疲れてしまいます。これは人の観察をしすぎてしまうからです。一人ではいけないが、人といるのも限定する必要がある。しかし、カンダバシは「いろんな人と付き合えば、薬は要らなくなるか、減らせます」と言うのです。カンダバシが薬は要らなくなる、と書いているのは、この「いろんな人と付き合う」ということのほかに「自分の長所が生かせる」という項目もあります。つまり「自分の長所を生かして、いろんな人と付き合うと薬が要らなくなる、つまり、躁鬱の症状はほとんど出なくなる、躁鬱人としての特徴を最大限に生かした生活を送ることができる」ということです。これは福音です。これをやるしかないじゃないですか。しかも、内容的にもやってみたいことじゃないですか。ということで、僕はひたすらこれを実現する方法を考えて過ごすようになったというわけです。
 果たして実現したのか?
 もちろんまだわかりませんが、今のところの僕の感想としてはかなりいい線いってそうなので、どのようないろんな人との付き合い方をしているかをお話してみたいと思います。ある1日の僕の様子です。
 
(1)朝4時に起きる。起きると、仲の良い女の子に「おはよー」とメールを入れます。これはメール送る日課にしていいですか?と聞いて、いいですよ、と言ってくれましたので送るようになりました。
(2)昨日、山梨で僕が開催している絵の個展に来てくれた友人の写真家石川直樹くんから感想メールが来てたので、今度は熊本に遊びにおいでよ、と返信しました。かつ躁鬱大学のこともお知らせして講義録がnoteにあるから読んでみてとリンクを送りました。
(3)ツイッターでのフォロワーの方にいつもの朝の挨拶「おはよー、さ、原稿書くぞ」と打ち込みました。これ自体も僕なりの人付き合いなんですね。ツイッターで僕を知った方が「お会いしたい」と電話をかけてくれることがあるのですが、それは全て断ってます。僕は会いたい人にしか会いたくないので、会いたいと言われても知らない人ですから会いたいとは思いません、と説明してます。ただインターネット上で適当に会うのが、知らない方とはちょうどいいんですね。さらに起きたとツイッターで書くと、必ず、二人くらいから電話がかかって来ます。それでそれぞれ早く仕事がしたいにおで短くていいですか?と断りを入れて、5分ずつ話します。
(4)一応、朝寝ている家族の顔を確認して、原稿を書き始めます。
 この時点でもうすでに仲の良い女の子、石川直樹、いのっちの電話の二人、家族の7人と連絡をとってます。フォロワーは75000人いますから、75007人と連絡を取っているような感覚でいるようにしてます(笑)。ま、そんなことはないのですが、そういう人付き合いをしているという感覚を得るためだけに、ツイッターをしてます。もちろんそれだけだと生身がありませんので、退屈で鬱になると思いますが、生身にプラスアルファとしてはとても有益です。
(5)原稿を書いている時は一人ですが、書き終わると、橙書店の久子ちゃん、そして仲の良い女の子、担当編集者の梅山くん、この三人にこの日の原稿を送ります。これで朝9時。
(6)さらに原稿の後は、「着信履歴のあった番号にいのっちの電話を折り返します。休憩がてら横になって電話してます。この日は4人でした。いつもこれくらいです。
(7)友人からホテルの設計をしているのだが、そこで使うスリッパを探して欲しいと言う依頼がきました。これは仕事ではありません。僕はいろんなお店を探すのが好きで、よく知っているので、こういうものが欲しいんだけど、どこかにない?しかも知り合いなら特注とか頼める?みたいな依頼がよくあります。これも仕事のためではありません。躁鬱人の特性をいかすという目的のためです。つまり健康のため。雑貨系、料理系、芸術系、あらゆる角度のお店を探しに行きます。人に伝えるためだし、いろんなことを知っていると思われるためです。もちろん、探す行為自体も、お店の人と仲良くなったり、新しい蓄積が増えるだけで体調がよくなるので、とにかくお店探しは、いろんな局面で活躍します。
(8)お昼ご飯を食べたあと、友人の女の子の家に行き、彼女が疲れていたので僕が通っている鍼灸院に連れて行きました。少し遠いところにあるので、車で送ってあげたのです。鍼灸院の夫婦とはとても仲がよく、15歳からの付き合いです。僕に躁鬱人としての健康、つまり心臓の大切さを教えてくれた恩人でもあります。そして、僕は体調が悪い人をこの鍼灸院に紹介する、仲介人の仕事もしてます。もちろんマージンもらってません。そして、よく人を車で送ってあげます。それだけで人の役に立って喜ばれるだけなのでオススメです。僕の場合は早朝に仕事が終わっているので、休み時間がとにかく長いので、こうやって人の役に立つようにしてます。
(9)その後、アトリエに行きました。アトリエは現在、熊本市現代美術館を使わせてもらってます。アトリエに行くと、学芸員の池澤さんが待ってくれてます。小柄でとても可愛いかたです。そして、昨日作った僕の絵などについて話をします。それでも話すのは5分くらいです。すぐにアトリエで制作を一人で始めます。2023年にこの美術館で僕の過去最大規模の個展が開催されることになっているので、それまでここを使わせてもらうことになったのです。もちろん家でも仕事はできますが、こうやって、他のところを使わせてもらうと人付き合いが当然増えます。出来るだけ他のところで作業するということを僕は実践してます。美術館ですから、掃除のおばちゃんもいます。この人が僕の絵が好きで、いつもあの絵が良かった、この絵が良かったと感想をくれます。僕は昔からこの掃除のおばちゃん、売店のおばちゃんが好きで、話をし続けてきました。
(10)それが終わると、すぐにその日に描いた作品を、美術関係の僕の仕事を見てくれているキュレイターズキューブというギャラリーの旅人くんに送りました。「この風景画はだいぶいいからシリーズにして描いてみて」と言われました。彼はこうやっていつも僕が描きあげてわからなくなっている作品に対して次の道を提案してくれます。さらには僕に絵の描き方を教えてくれた角田さんという画家にも送りました。「めちゃ綺麗だ、ぼんやりとした光に溢れてる、開眼したみたい、なんかあった?笑」というメールが返ってきました。
(11)畑に向かいました。畑にはヒダカさんという地主の方に、この人が優しすぎて、しかも新聞連載で僕の記事を見つけてからは、僕の仕事が気になってくれて、twitterまで読んでくれているらしいです。隣の畑のシミズさんからは「あなた本作ってるんだって、次は畑の本でも作ったらいいじゃないね。そして、私たち畑仲間も一緒に書きたい、共著出しましょうよ」と大胆な提案がありました。畑には家族を連れて行きました。最近畑を通じて、家族との付き合い方も変わっています。アオが特に必死に草取りをしてくれて楽しいと言ってます。畑の隣の廃屋には野良猫のノラがいます。最近知り合いました。
 そして、午後7時に家に帰ってご飯を食べて、いのっちの電話を三人ほど聞いて、ギャラリーの人と次の展覧会の打ち合わせをしながら、今度ニューアルバムを出すので、メンバーの寺尾紗穂ちゃんと話したり、マネージャーの平川さんとジャケットデザインについて話したりしてたら眠くなったので、寝ました。
 こうやって書くと、毎日疲れそうですが、実は実際にはほとんど人に会っていませんし、多くが友人ともメールか電話でもやり取りです。これはコロナだからではありません。僕はもともとそうだったのです。僕の仕事の大部分が東京を中心に進んでいますので、友人も実は東京の方が多いです。だからリモートワークするしかなかったのですが、それがとても良かったみたいです。僕は飲み会に参加すると、すぐ疲れたり、女の子を好きになってしまって、ヘマをしてしまいます。ゆきずりのセックスは楽しいですが、やはり疲れます。そして、妻に申し訳ないと思うので、落ち込みます。東京にいた2010年頃まではそういったこともしていたのですが、今では全くないです。今、実際に会う友人は、橙書店の久子ちゃん、アトリエの池澤さん、掃除のおばちゃん、そして畑仲間くらいです。しかもそのどの人たちとも話すのは5分くらい長くても1時間以上になることはありません。それなのに、この日だけで二十人以上の人と連絡を取ってます。しかも、文学、音楽、美術、畑、鍼灸院、お店調査、いのっちの電話、車送迎、といくつもの分野別に人と会ってます。それぞれの人は重ならない方が楽しいです。そうすると、それだけ全く違う角度の対話が行われるので、心にどんどん風が吹くのです。多様な刺激が脳みそに送り込まれます。それでも仕事は朝一番に終わっているし、横にはなっているし、人には実際には会っていないので人酔いみたいなことも全くありません。これが僕が今の時点で一番体に合っている人付き合いの方法です。知らない人とは一人も会っていません。会うのはトークショーや展示などの時にお客さんとしてきてくれるときだけです。プライベートの時は一切遮断してます。その代わりいのっちの電話でいつでも連絡が取れるようにもしているのです。知らない人と一緒にいるだけで、気を使って、大変ストレスになるんですね。その代わりトークショーですと、僕がただ主役で、僕は思うままに話せばいいだけで、人と接していても全く疲れません。むしろ元気をもらいます。トークが終われば、打ち上げもせずにホテルに帰ってきます。そして、友達と一緒に気になっていたお店に行って、ビールかワインをいっぱい飲めばもう満足して、幸せな気分のままベッドで眠ることができます。
 躁鬱人ライセンス初級の人は、鬱状態の時は全く誰にも会いません。そして、躁状態になると突然、外に出て、知らないお店に入って、知らない店員さんにたくさん話しかけて、たくさん買ったりして、それで道を聞いたり、昔の友達を思い出して突然電話をかけたりしてしまいます。それではやはり疲れてしまいますし、知らない人と話す時はいつも元気な時なので、鬱状態になると一切話しかけることができなくなりますので、友人関係みたいなものを築くことが難しくなってしまいます。ですので、躁鬱人はまず「知らない人には会わない、話しかけない」ということを頭に入れておきましょう。もちろん知らない店は入っていいですよ。新しい刺激になりますから。しかし、ただ商品棚を見るだけにしてください。メニューにある料理だけを頼んでニコニコしながら黙々と食べてください。決して知らない店の店員さんに、ああでもないこうでもないと声をかけないことです。相手が迷惑がるだけでなく、もはや自己中心的なわれわれとしてそれは置いといてしまいますが、何よりもあなたが疲れます。とにかくほどほどの知り合いを無限に増やす方が重要なのです。人付き合いが躁鬱人の安定した不安定さを保つ肝です。
 最後に躁鬱人の人付き合いについてのコツをお話ししましょう。
 まず躁鬱人はとても孤独です。人がいないと全く機能しないにもかかわらず、どうしてそうなのかというと、一緒にいると相手のことを考えないといけないから単純に疲れるんです。それが理由です。たとえ家族であっても疲れます。だから「なんで私は孤独なんだろう・・・」と落ち込むのはナンセンスです。なぜならそれはあなたが選んでいるからです。そうやって体を楽にしてます。しかし、そのままではダメなわけです。孤独のまま一人で1日を過ごすと退屈かつ窮屈、人との対話がなされていないとどんどん体はおかしくなっていきます。
 そこで孤独のまま、友達百人作る大作戦が必要になります。孤独なのに、孤独と感じなくていいような環境作りを設計してあげたらいいわけです。
 まず最初の一人が重要です。この人は鬱状態の時でも躁状態の時でもどちらでも会える人である必要があります。かつ、友達百人作ったとしても、その内の99人とは一切会いません。会う人でも年に2、3回です。しかし、この一人だけは毎日会ってもいいかもしれません。僕の場合で言うと、橙書店の久子さんです。このような人をあなたも見つけてみてほしいです。躁鬱人のあなたは今は落ち込んでいるかもしれませんが、実は落ち込んでいない時も同じ時間ありました。その時には気持ちのいい関係になれた人もいたはずです。パートナーといる人はパートナーがそういう存在になりうるでしょう。ですが、僕の経験ではあまり長く一緒にいると、パートナー自体も少し躁鬱人の血が入ってくるので(躁鬱人とは単なる体質だけではなく、伝染もします)客観的に対応できない場合もありますので、その場合は他の人が必要になります。この本の梅山くんももう10年以上の長い付き合いですが、彼は東京にいるので、毎日会うことはできません。でも彼も躁と鬱どちらでも会うことができます。でも、同性はなんとなく鬱の時に会いにくいなと思います。異性でしかも恋愛の対象ではない人が望ましいと思います。恋愛の相手ですと、セックスが絡んできます。セックスがいけないわけじゃないですよ。セックスはそれ自体、腰と心臓に負担がかかります。腰と心臓に負担がかかった場合、鬱になるので、セックスは鬱の入り口にあるとも言えるからです。毎日、定点観測してもらえる人ですから、そのようなことにならない方がいいでしょう。そもそもセックスは躁鬱人にとって、実は鬱になるきっかけなので、しなくてもいいくらいなのです。好きなだけイチャイチャして、セックスはせずに、公衆トイレに駆け込んで、オナニーをする、という姿勢で最近の僕は生活してます。もちろんこのやり方は僕独自なものなので推奨はしません。自分に合うやり方を考えましょう。セックスは必要ないのではないか、ということが、僕が今、躁鬱人としての未来を考える上で次に考えていきたいことです。しかし、まだ答えはありません(笑)
 そのような人がもしも見つかったら、あなたの躁鬱生活は随分と楽なものになります。毎日報告をしましょう。その時に友達と話すように電話しても意味がありません。そのうち、躁状態でベラベラと喋って相手を疲れさせてしまいます。そうではなく、僕の場合だと毎日原稿10枚、と決めて、その決めたものを送り、それを見てもらうことにしましょう。毎日の日記でもいいじゃないですか。毎日何かの花の写真を撮るとか、ピアノを即興で弾いたものを送るとか、そのように一枚何かをかましてください。直接思いを電話や会って伝えるだけだと、うざがられます。手紙を毎日送るような感じで、相手が手紙を読む時間を選べるようにしておきましょう。誰もいない場合どうするかって? その時は迷わず、僕に連絡をしましょう。もちろん、僕は毎日電話を受けることはできませんが、どんな手紙を送ればいいのかを相談することはできます。それでメールで送ってもらってます。実際にそうやって原稿を送ってくるようになった人もいます。でも僕とは会えませんので、これはあくまでも代替でしかありません。あなたには毎日会ってもいいような人が一人だけいるのです、あとはインターネットでもなんでもあなたは暴れることができますから、適当に友達っぽいそれぞれの好きな分野で語れる顔も知らない友達はきっと作ることができます。インターネットには本当の友情はないなんて非躁鬱人みたいな真面目なことは言わず、どんなことでもいいので、どんどん友達を見つけましょう。実際に会う人は一人だけでいいです。もちろん、そこが安定してきたら、その人を中心にして、次の段階、つまり、あなたが好きなこと、趣味、奉仕したいこと、とにかくなんでもいいんですね、やりたいこと、です、長所が生かせること。その分野で、またその一人だけの友達を作った時のことを思い出して、分野ごとに一人だけなんでも話せて、毎日定期的にブツを送っても嫌な顔せず興味を持って接してくれる人を見つけましょう。そこまでいくのはちょっと難しいかもしれませんが、この先にやることがあるだけでも楽しくありませんか? われわれは躁鬱病である、われわれはもう治らない、薬を飲み続けないといけない、そうは言っても、鬱は必ずやってくると思ってます。思い込んでます。カンダバシはそこにメスを入れるのです。治らない治療なんて面白くないじゃないですか。治るから面白くなるんです。治っていくから満足感がある。夢がある。そうやって夢があることしかやれないのが躁鬱人です。
 躁状態があり、鬱状態が必ず訪れる、という常識を破りたいと思いませんか? 
 常識を打ち破ることこそがわれわれの使命です。それならみんなで一斉に躁鬱病を治し、れっきとした躁鬱人として生きる道を生きることで示してみようじゃありませんか!そのために本などでは治療することできないから始めから諦めて書かれていない、人付き合いの方法について今日は話してみました。人と付き合うことは薬の何万倍も効くのです。薬だと思って、人と付き合ってみましょう。もちろん孤独を大事に守りながら。

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