ものづくりに全く興味がなかった私が、町工場の虜になった理由

福田恭子、26歳、独身。

働き始めてもう2年が経ちますが、ふと考えることがあります。
私は、どんな未来を過ごしたいのか。
誰と、どんな人生を歩んでいきたいのか。


前回のnoteで高校卒業から大学進学、MGNETに入社するまでのお話を書きました。
私にとっての学生時代は、大きく人生を変えた時期でした。
上京してから今まで自分が知らなかった生き方をする人達と出会いました。そして自分自身が行動することで、社会に新しいものを生み出す生き方を知りました。そうやって全力で生きる人達のかっこよさに惚れました。


私も、そうなりたい。

何ができるかわからないけれど、何かしら達成できる存在になりたい!
とちょっと自分よがりで大雑把な夢を抱きながら、私は新潟に戻ってきました。


MGNET入社を決めた頃。なんか若い..。



入社した会社が謎すぎた件

私が入社したのは、新潟県燕三条にある 株式会社MGNET

金属製の名刺入れを作ったり、他社の製品開発のコーディネートをしたり、地域のイベントを手がけたり、人材育成をしたり。とにかく色々な事業をやっている会社です。


入社して、周りの人たちに一番言われたのは、

MGNETって何している会社なの?

そうですよね。私も入社当時、紹介が難しすぎて困ったことがありました。というか今もどうやって伝えると一番伝わるのかは日々模索しています。


今振り返ると、当たり前です。
初めてMGNETと出会った時から謎でした。
「MGNETのオフィス」と言われる建物に行くと看板には「名刺入れ専門店」。つまりは、名刺入れを専門に扱うショップをやっていました。


と思いきや入るとなぜか、名刺入れ以外も置かれていて。燕三条のいろんな工場の商品を扱っています。奥のミーティングルームに通され、今まで自分達が手がけてきた製品です、とバーっと並べられます。「最近だと人材育成や商店街活性化、いろんなことを手がけていて。MGNETオフィスの隣もあとで案内するけど、武田金型製作所という町工場が親会社なんだよね」と。

いろいろと謎すぎました(笑)

説明難易度かなり高めの会社で、工場見学、会社説明を担当することが多く、そんな経験からやっと自分の言葉で話せるようになってきました。今回のnoteでは、ちょっと謎めいた MGNET について説明したいと思います。



MGNETは、元々は町工場の一部署からはじまった

MGNETにきてくださった方には、やっぱり会社の根源から説明しています。そうするとあーだからか、と理解してもらえることが多いんです。


MGNETの代表、武田修美さん(通称タケダさん)は、お父さんが立ち上げた金型屋(武田金型製作所、以下武田金型)の長男として生まれました。

「金型」という言葉、聞いたことないという方も多いと思いますが、たい焼き器やたこ焼き器などを想像してもらえれば分かりやすいです。大量に同じものをつくるために必要な道具で、金属でできたなので「金型」といいます。私もMGNETに入って初めて知りました。


製造業に勤める人以外は目に触れることのない製品を売っていたお父さん。学生の頃からバイトとして武田金型の仕事で手伝っていたこともあったそうですが、当時から父親の仕事が何なのかよく理解できなかった、と振り返ります。


「金型屋の倅」と呼ばれどこか父親の仕事が気になる存在ではありましたが、学生時代、このまま決められた道をそのまま進むなんて選択肢は取りませんでした。自分が好きだったことが色々と学べる専門学校を卒業後、父親の仕事とは相反する仕事に就きます。

武田金型では当時某大手自動車メーカーの仕事を受けていたことから、ライバル自動車メーカーに勤めました。わかりやすい抵抗です(笑)。

5年間働き、そろそろ結婚もと考えていた頃。大病に。



起き上がるたびに、目の前がぐるぐると高速回転するような激しいめまい。もちろんこのままでは働けない。今まで勤めていた会社は辞めざるを得なくなってしまいました。

自宅療養生活が始まり、この状態じゃ働ける会社もないんじゃないかと思っていた、そんな頃。

お父さんから

武田金型で働いてみるか?


今まで父親の意見に全て反発してきた自分を、受け入れてくれるなんて全くもって考えていませんでした。

うちで手伝ったらいいっていってくれたときは、え、まじで?と思ったよ。純粋に嬉しかった。
ただ、うちの父親はそう甘くはなくて、「お前は出社するな」と。手伝えばいいといったと思ったら、出社してくるなって言われて、衝撃しかないよね(笑)父親はアメとムチを使い分けるような人なんだよね。

父親いわく「病弱のお前を救ったと言われるなんて思われるのはいやだ。何か実績を作ってから出社してこい」ということだったらしいんだけど。当時は面倒くさいなあとしか思えてなかったけど、でも後から母親から聞いたのは、体調が万全ではない俺に対する、父親なりの気遣いだったらしいね。

結果を残すまで出社するな、と条件付きで働き始めたタケダさん。
寝たきりの状態でもできることとして、武田金型のホームページを制作したり、情報発信をしたり、「全てが初めての経験」という状態から独学で勉強しながら事業を進めていきました。


ものが作れる街だからこそのものづくりの難しさ。「まずは話を聞いてくれ...」

タケダさんが武田金型に入社してから手掛けた大きな取り組みの一つが、当時お父さんが製作した金属製名刺入れの販売でした。

今ではmgnブランドとして、そして新ブランドFORとして知っていただいている方も多い名刺入れですが、最初は、形も色も大きさも全く異なる状態。加工が難しい素材を活用して何か作れないかというところから始まった商品で、年に売れた数は11個。


さっ、どう売っていこうか...(絶望)

といったスタート。


当時はインターネット販売なんて普及していなかった頃。
名刺入れのネット販売に注力して取り組んでいきます。マーケティングを実践しながらゼロから学びました。(結果的にはインターネット検索「名刺入れ」の分野で売上NO.1になるまでに。)

当時のネットショップ。金属製に限らず名刺入れが欲しい人の悩みを全て解決してくれる情報メディアのよう。



ネット販売と同時に、製品自体の改良を重ね、武田金型の現場、そして地域のあらゆる工場に足を運ぶようになります。


「もう少しこういう風に加工をお願いできますか」と職人さんに相談すると、帰ってくる答えは

これは無理だな



ん?ものづくりの会社なのに、何でものをつくってくれないの?

設計図かCADがないとつくれないや(それってどうやってつくるの...)

ものを見せてくれいや(いや、その、ものを作ってほしいんす...)

最低ロットが足りないな、最低1000個から(試作...そんなにいらない...)

もちろん物理的につくることができないから断られたこともありますが、つくることをお願いすることすら難しいんだということに気がつきました。


燕三条はものづくりのまちだと地元の人は言っているけれど、こんなにものをお願いすることが難しい街だなんて。

今は仕事があるからいいのかもしれないけれど、いつかこれは仕事がこなくなるな。

自分も含め変化しなければいけない。
こういった経験からMGNETの根元の思いが培われています。



伝えるのではなく、伝わる方法を考える

タケダさんが武田金型で初めて手掛けた取り組みのもう一つが、マジックメタルです。

金属が消えてしまうようだ、ということから「マジックメタル」と呼ばれています。今では多くの人に知られるようになり、現在の工場見学ではスタッフよりも一番注目を集める的になっている、この金属のオブジェ。しかし、この金属が世の中に広まるまではそう簡単な道のりではありませんでした。

武田金型に働き始めてから、タケダさんがずっと感じていたことがあります。

今金型屋がするべきことは何だろうって考えたときにとさ、
金型のことを知っている人たちばかりだけに伝えていていいのかなって思ったんだよね。今は仕事があるかもしれないけれど、このままでは産業の衰退と一緒に市場が減ってしまうんじゃないかなと。
金型のことを知らない人たちにも届けることでもっとものづくりの幅は広がるだろうし、これこそものづくりの原点を支える金型屋ができることなんじゃないかなと思ったんだよね。


ものづくりのことを知らないひとたちに伝える必要性を感じ始めた中、お父さんとは意見がぶつかりました。会社を苦労しながら経営してきたお父さんにとっては、言っていることはわかりつつも「そんな簡単な話はない」と、事業を大きくすることの厳しさを伝え続けました。この頃は毎日喧嘩していたよ、と振り返ります。

ぶつかりながらもある日、お父さん考案の元、工場長の加藤さんが試しに、とマジックメタルをつくります。
それは今から遡ること12年前くらい前、タケダさんは当時の広報部署の部長として、Youtubeやホームページ、SNSを通じて発信し続け、お父さんも展示会で金型の技術力の高さを伝える手段としてマジックメタルを持参しては見てもらうことを繰り返し行いました。

地道な活動を続けに続けつつも、大きな転機はいつくるかわかりません。
2013年、MGNETの社員がTwitterに投稿したところがきっかけに。2時間で1万リツイートを超え、クリエーター、メディアに取り上げられることになりました。第一弾マジックメタルブーム(と呼ぶことにします)からすでに6年が経過する今でも多くのメディアに取り上げられ、この動画は世界にまで普及されています。


今では「あのマジックメタル、見たことあります!」と言われるようになりました。しかし実は、タケダさんがその着想のヒントを、お父さんが考案をして、工場長が形にした、3人タッグの努力の賜物だったのです。


金型のことを知ってもらうために、
「金型とはね、、」と伝えるのではなく、
「わっ、なんかすげえ」という面白みを伝える。

事実をただ伝えるだけだったら誰でもできる。
必要なのは、「楽しい、ワクワクする、面白い」というエンターテイメント性なのではないか。それは自分たちにできることなのではないか。

今まではきっとものづくりに無縁だった、エンターテイメントという要素を入れることで、仕事の振り幅が大きく変わりました。「金型」という一般消費者の人が聞くこともなかったフレーズが、今では日本全国のお茶の間で使われています。社会を大きく変革させた出来事は、決して派手なことではなく、日々の地道な努力の賜物です。


技術を持たない自分達ができることって何なのか。自分達だからこそできることって何なのか。めっちゃ考えたよ。
ずーっと見えてこなかったけど、やり続ける中で見えてきたものがあったんだ。本当に少しずつ。

何がやりたいのか、何ができるのかと考えてもきっと見えてこない。
どんなに周りに何を言われようとも、やり続け、前に進み続け、夢を形にしてきたタケダさん。自分に似ている部分もありながら、やりたいことを実現させているタケダさんの姿は、私に夢を見せてくれました。


武田金型製作所の一部署(マルチメディア事業部)として事業を展開して約6年。

タケダさんは、お父さんとの挑戦する方法に違いを感じました。
目標は同じところをみていました。しかし、それぞれの強みを生かして、違う表現で挑戦したほうがいいのではと思うことがありました。またありがたいことに名刺入れネットショップも、一部署としては抱えられないほどまでに売上が上がってきたということも要因の一つです。


タケダさんは、独立したいと伝えます。
しかし、お父さんは最後まで反対し続けました。

父親は、息子に苦労させたくないとずっと言っていた。
自分自身が、プレスの中に頭を突っ込んで死のうと思ったこともあった。だからこそ息子に苦労させたくないし、苦労している姿をみたくないと言われた。

でも俺は、だったら尚更やりたいと思った。その苦労も知らないで、父親の後をついていくなんてやりたくないと思ったんだよね。


ものづくりのしやすい環境づくりを。

2011年にMGNETが独立してから今年で8年目。

父親の仕事を絶やさないためにも、自分はものづくりの現場に入ることはできないが、ものづくり産業にまつわる周辺産業を支えることはできる。

その想いからMGNETは「モノ」を中心に、ものづくりに関わる全ての物事に目を向けて、広く事業を展開してきました。


タケダさんが本気でぶつかったからこそ、納得のいかない社会の現実。
現実を変えなければ衰退する産業の未来に、気づいてしまった危機意識。
自分ごととして社会の課題を捉えた強い原体験は、立ち止まることを知らないようです。

ものづくりのしやすい環境づくりを。
どこか複雑に感じるものづくりをよりシンプルに、身近なものに。
ものづくりに関わる人たちが働きやすい環境を。



ものづくりに興味がなかった私が、町工場の子会社を選んだ理由

入社当時、私はタケダさんに思いの丈をぶつけまくっていました。

「地域の魅力を発信する仕事がしたいんです。」
「新潟で一番輝いている女性になりたいんです。」
こんな自分になれたらいいな、という思いは強く、やりたいこともたくさんありました。思いは先走るわりにはただ具体的な策がなく、当時の自分から何をしたら目標にたどり着くのかわからずに立ち止まっていました。ただただ思いを伝え続け。


そんな状況の中、入社をしたMGNET。
今思うとものづくりをする企業に、ものづくりに興味がなかった私が、「まちづくりがしたいんです」と言って入社すること自体不思議なことだった。笑


実を言うとMGNETが具体的にどんな仕事をしているのかよくわかっていませんでした(いいのか笑)。それでも何かここで活動していたら、きっと自分の目標にたどり着ける気がする、という直感があったんだと思います。


ありがたいことに入社してからすぐに、いろんな企業にお邪魔させてもらうようになりました。
MGNETが生まれた親元・武田金型製作所。また、一年中いつでも見学ができるオープンファクトリーなどにも足を運ぶことが増えました。それ以外にも、普段なら見学することのできない「工場」も見させてもらう機会が多くありました。

早朝、工場長を捕まえては自主研修をしてもらっていました。工場潜入。


人の暮らし、その街にずっと興味があった私だが、街を構成している地域産業にこんなに深く関わったのは初めてでした。

ただの板から自分達がよく使う製品が出来上がるまでの工程。見るもの全てが新鮮で、情報を処理しきれず、「もう、なんかすごい。」としか言えなかった(語彙力乙)。
全くすごくない感を出しながら、真似できない技術を持つベテラン職人。
職人たちの背中をみながら試行錯誤して技術を習得しようとする若手職人。その師弟関係や切磋琢磨する同志の関係が、仕事=素早く効率的に作業を進める力を身につけることだと考えていた私には、美しく、尊くて、外からみて勝手に愛おしくなりました。

燕三条のこと、町工場のことをしれば知るだけ、どんどん魅了されていきました。


MGNETに関わったことがきっかけで、ものづくりに興味がなかった私がものづくりのこと、燕三条のことを好きになっていきました。


MGNETって、多分私みたいな人を増やしていく仕事なんだと思います。

「この会社で働いてみたい」「この人と働いてみたい」
そのきっかけがものづくりに関わる人たちを増やす大きな一歩になるはずだと思っているんです。私もそのひとり。この地域で自分の夢を叶えてみたいって思っているんです。

日常生活の中で、どんな些細なことでも、「楽しい」「おもしろい」「わくわくする」そんなきっかけをつくることが私たちMGNETの仕事です。


モノに、エンターテイメントを。

次回はもう少し、MGNETのこと、燕三条のことについて深掘っていきたいと思います。

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福田 恭子

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