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帰国子女教育の変容

「帰国子女」とは “帰国した「海外子女」” ですが、海外に帯同されたり帰国したりする日本の子どもの教育は元々、旧 厚生省の管轄でした。日本人の海外移民・派遣者の子どもの教育は「海外在留邦人保護・支援」の政策に含まれ、旧 厚生省の仕事だったのです。そうした子どもの帰国後(引揚子女、残留孤児なども含めて)の教育も、同様でした。

ところが、1970年頃から日系企業の駐在員が急増するに伴い、「海外に数年間帯同される子どもに 国内と同様の教育を施す責任が日本政府にある」という機運が高まります。
しかし、例えば、日本人学校を建てる予算を外務省に付けたい場合、厚生省の “縄張り” を脅かすことになるので、「海外子女」の概念規定が厳しく求められました。
「海外子女」の概念規定が、①いずれ帰国することを前提として渡航し、②1年以上滞在の予定で、③義務教育就学年齢の子(小1~中3)、と定まるまで、延々と議論が続きました。これに基づいて、外務省は 在外邦人子女数の実態調査を行い、文部省(当時)と協力して政策立案と予算化を行いますが、厚生省は渋々、それを黙認しました。
また、「海外子女」が帰国すると 国内の教育システムに馴染めない子どもも少なくないので、「帰国子女」のための政策立案と予算化を文部省は行いました。

つまり、海外子女教育・帰国子女教育の対象は “海外駐在員の子女” に厳しく制限され、それ以外の長期滞在者(現地で起業する人や移民など)の子や 引揚者子女、残留孤児などへの教育サービスは、厚生省の管轄のままでした。
また当初は、未就学児童(幼稚園・保育園レベル)と高校生も除かれていたことにも注意が必要です。外務省の助成を得て建てた校舎に 幼稚部や高等部を設置することは違法であり、行政監察の対象でした。(それだけ 厚生省の抵抗は執拗、かつ強烈だったのです)

帰国子女教育は 適応教育なのか?

ここからは「海外子女」の帰国後の教育、つまり「帰国子女」の教育に絞ってお話しします。
まず、1970年代になって問題になったのが、中学卒業相当以上で帰国する「(元)海外子女」を「帰国子女」に含めてよいのかという点(横槍!) …… 朝日新聞などで「除外するのは、現代における棄民政策となる」とキャンペーンが張られました。
実際問題として、帰国子女教育の最大の課題が「国内高等学校への入学・編入学」であったわけで、国会でも全党一致で承認されますが、具体的な政策化・予算化となると大変でした。

しかし、「帰国子女」を国内教育のシステムに受け入れていく際に、海外で得た経験や知識をどうするかという問題が、もっと深刻でした。
「日本国民として教育」は、根源的に自文化中心主義の要素を色濃く持っており、ともすると「適応教育」に名を借りた “外国剥がし”(海外経験をないものとさせること)が横行します。
大事なのは、海外で得た経験や知識を保持伸長していくことで、子ども自身の健全な自尊の心(self-esteem)を育てることなのですが、「まず (日本式の)この基本ができないと…」と子どもを責め立てるのが一般的でした。

当時は 日本社会一般の理解として、そして保護者や教師の “常識” として「日本は特殊だ(他の国とは別格で 素晴らしい)」「(その子を)早く "正常" にしてやらないと可哀想」といった感覚があったことも否めません。
他方で、欧米文化に対する憧れや羨望の心情も渦巻いており、その反動で「帰国子女」の言動を “異分子/よそ者” と批判的に見る環境も、1990年頃まで強固にありました。

多文化相対主義の芽生え

もう一つ、わが国には 英語が「外国語」を僭称してきた歴史があります。学習指導要領に「英語科」という教科はないのに「英語科教師」という呼称が ”のさばって” きたのです。そのため「“国際人”=英語話者」という思い込み/誤解から、幼児期から英語教育をやらせたい情熱は絶大です。
しかし、世界には さまざまな言葉や習俗があることを知らないので、「帰国子女」には “英語が上手” のレッテルを貼り、そうでない者は “ダメな奴” と虐めます。日本人学校で学んだ子どもの多くが(自己防衛のために)「隠れキコク」となる現象も、新聞ネタになりました。
また、1980年代から 工場の海外移転が活発化すると、かつてのビジネス・エリートだけでなく、海外赴任など想像もしていなかった工場労働者(それも地方都市在住者)の子どもが海外に帯同され、しかも 英語圏以外の地方都市で育って帰国する例が急増していきます。そうした ”英語があまり得意ではない帰国生” も 「隠れキコク」に加わりました。

そんな中、「帰国生受け入れ校」という学校が 着実に増えてもいました。
帰国生の特性が英語だけではないことはもちろんですが、滞在した国の環境で培われた素養に、現場の教師が刺激を受けたり共感を覚えたりしたのです。とりわけ、一見 “個性の強いわがままな子” に見える帰国生の “自ら学ぶ姿勢” を面白いと感じ、「双方向型学習」とか「アクティブ・ラーニング」、「学習者主体の学び」などを実践するようになります。
そうした学校では「多文化相対主義の視点に立ち、知的好奇心をかき立てられて ウキウキ・ワクワクするような授業や指導をしていこう」という空気が当たり前となって、帰国生たちの人気を博します。
また、1990年頃から、そうした学校を卒業した、欧米育ちで英語が堪能な「帰国子女」が、タレントとしてマスコミ等で大活躍するようにもなります。彼らの英語力だけではない素養の豊かさ、コミュニケーション能力の高さにより、「帰国子女」のステレオ・タイプなブランド化も進みました。

しかし、そのことは、先ほど触れた ”英語があまり得意ではない帰国生” を "「帰国子女」らしくない帰国生” として からかう風潮も助長させ、学校現場に緊張感が走りました。
また他方で、1990年以降の「日系二世・三世の “帰国”」など 海外労働者家庭の大量流入は、地方都市の公立学校の現場にまで 多文化共生の必要を迫る事態となりました。
そうして、「帰国生受け入れ校」では、蓄積したノウハウを活用して “海外育ちの子” をますます積極的に受け入れるようになります。それは 少子化による生徒減少傾向への対策も兼ねていました。

日本の大学でなくてもいい?

帰国子女教育を支えてきた “常識” に、「日本の大学を出ないと 出世できない」という "神話"(関係者の思い込み)が根強くありました。ところが、2000年頃には、日系企業では そんな狭い考え方を捨てていました。国内の中学・高校までが グローバルなマーケットの中に投げ出される時代を迎えて、「父親が帰国しても 家族は現地に残る」という選択肢まで可能になったのです。
「グローバルなマーケットに投げ出される」という意味は、
 (1) 海外にいる生徒が、国内の学校も選択肢の一つと考えていること、
 (2) 国内にいる生徒が、海外の学校も選択肢の一つに考えていること、
 (3) 海外の大学に進学することを前提にした教育を 国内校に求めるよ
   うになっていること、
ということです。
実際、2005年頃には「PISA」(OECD加盟30ヵ国による国際学習到達度調査。満15歳が対象)や グローバルな資格(国際バカロレア(IB)、TOEFL、IELTS など)が、保護者の間でも話題となってきます。
そして、母語確立と外国語獲得との関係も正面から捉えられるようになっています。また、海外育ちの子どもへの国語教育を「外国語としての日本語教育(JSL)」として捉えるなど、あらゆる ”学び” が  “世界共通の学力観” へと向かっているのです。

こうした事情を背景として、学校現場では、従来の帰国子女教育の対象を「何らかの異文化的な背景を持つ者」と読み替えることによって、多文化共生社会の実現に向け、これまで蓄積されてきた研究成果やノウハウを活用していく時代を迎えてます。
国籍をも相対化して、「国境をまたぐ子ども」「第三文化の子ども(Third Culture Kids)」として 子どもたちと向き合うわけです。
もちろん、国内の一般生徒の間にも 異文化はあります。国内における地域差のほか、家庭、その子の資質・性格・生育暦といった さまざまな要素が…。 異なる者同士が接触するところに “文化差” はあるわけで、それを前提にした相互啓発の可能性を追求していくべきでしょう。

※ 帰国生受け入れ校の最近の裏事情については、下記の『塾ジャーナル』の記事で ご覧ください。

[お詫び] 上記の『塾ジャーナル』の記事(2023年9月号)に、「読解力」では日本と韓国は10位前後と予想されていると書いたのですが、その点は外れました。また、低得点層(習熟度レベル1以下)の比率は増えていると書きましたが、この点も回復しています(16.9%⇒ 13.8%と減少)。誠に申し訳ありません。お詫びして訂正します。
 文科省は、コロナ禍で休校した期間が他国に比べて短かったことや、学校現場で授業における取り組みが進んだこと、それにICT環境の整備が進み パソコンで受けるPISAの試験に慣れたことなどが影響したと観ています。
 しかし、コロナ禍にもかかわらず 学校が荒れないで安定していたことが大きいでしょう。つまり、たまたま他の国の得点が下がった結果であって、わが国の中学生の学力が上がったと単純には喜べません。また、スマホ・タブレット漬けの生活は、見た目はICT装置を使いこなす能力に長けているように見えていますが、「文章を読んで理解したことに基づいて、自分の考えをもち表現すること」ができない層は増えているのです。

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