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プレ皇室研究: 廣瀬大社

明神大社の大和国の神社を調べています。

これ、祭神はニギハヤヒらしいのです。


またまたWikiから引用します。

「主祭神

若宇加能売命(わかうかのめのみこと)
「廣瀬大忌神(ひろせおおいみのかみ)」とも。社伝では伊勢神宮外宮の豊宇気比売大神、伏見稲荷大社の宇加之御魂神と同神とする。龍田大社の龍田風神とも関係があるとしている。
相殿神

櫛玉命(くしたまのみこと)
社伝では饒速日命を指す。社家の樋口氏[1] は饒速日命を祖神とする物部氏の末裔であり、社家の邸宅内には饒速日命を祀る境外末社の饒速日命社がある。
穂雷命(ほのいかづちのみこと)」

1人目は、いわゆる食料の女神です。伊勢神宮にも祭られています。
2人めがニギハヤヒです。
3人目は、カグツチです。
創建は崇神天皇のころのようです。まあまあ古いです。古墳時代ですね。

「鎮座地は、高田川と一緒になった曽我川・大和川・飛鳥川など奈良盆地内を流れる河川のほとんどが合流する地点であり、このことから水神を祭る。社伝では、崇神天皇9年、広瀬の河合の里長の廣瀬臣藤時に託宣があり、水足池と呼ばれる沼地が一夜で陸地に変化し橘が数多く生えたことが天皇に伝わり、その地に大御膳神として社殿を建てて祀ったのに始まるとしている。龍田の風神・広瀬の水神として並び称された。『日本書紀』天武天皇4年(675年)4月10日条には風神を龍田立野に、大忌神を広瀬河曲に祀ったとの記述があり、これが4月・7月に行われる廣瀬大忌祭の起源とされている。

延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では大和国広瀬郡に「広瀬坐和加宇加乃売命神社(廣瀬坐和加宇加乃売命神社) 名神大 月次新嘗」として、名神大社に列するとともに朝廷の月次祭・新嘗祭で幣帛に預かった旨が記載されている。」

住所は、 奈良県北葛城郡河合町大字川合99番地です。
ニギハヤヒやナガスネヒコは、ちょっと大阪よりに住んでいたので、近いほうだと思います。
葛城山は、まあまあ高い山です。


ちょっと変わっているのが、なんと戦艦大和関係らしいです。
こういうのって造船所とか、海アリ県でやるのが普通かなと思うのですが、海なし県の奈良県の神社がまつられるのは興味深いです。

大和国が艦名の由来となっている日本海軍戦艦大和には、当社の祭神の分霊艦内神社として祀られていた。戦艦大和は1945年(昭和20年)4月7日に坊ノ岬沖海戦によって沖縄沖で沈没したが、その時に戦死した第二艦隊司令長官伊藤整一中将以下2717名が末社・祖霊社に合祀されている。1969年(昭和44年)、境内に「戦艦大和記念塔」が建立された。更に1972年(昭和47年)9月24日、軽巡洋艦矢矧駆逐艦8隻の戦没者も合祀し、坊の岬沖海戦の全戦死者3721柱が国家鎭護の神として祀られている。

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