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プレ皇室研究: 佐賀県 桜馬場遺跡

これ、末盧国の遺跡なんですが・・・。



「唐津市桜馬場遺跡は、弥生時代中期からAD1世紀あたりの後期の甕棺墓地である。松浦川左岸砂丘上に当たり、戦中防空壕構築中に桜馬場3丁目の宅地から甕棺が出土し、棺内から副葬品として、後漢鏡2面、銅釧26個、巴形銅器3個、鉄刀片1個、ガラス小玉1個が発見された。昭和30年に発掘調査が行われ、これらの副葬品を納めていた甕棺が後期初頭のも
のと位置づけられた。銅鏡2面は、「流雲文縁方格規矩四神鏡」と「素縁方格規矩渦文鏡」でいずれも王莽の新代から後漢初期の鏡である。有鈎銅釧は南海産のゴホウラ製貝釧をモデルとしたもので、巴形銅器は小型で、有鈎と無鈎のものがある。
これらは一括して国の重要文化財に指定され(昭和32年2月19日指)、佐賀市城内の佐賀県立博物館にある。その豊富な副葬品から、宇木汲田遺跡、柏崎遺跡、桜馬場遺跡と続く、3代にわたる弥生後期の「末廬国」王墓とされている。

あいにくと、三種の神器ではない。勾玉が足りない。

「柏崎には幾つか発掘調査された地点があり、それぞれ柏崎xx遺跡とその地区の名前を付けて示されている。柏崎石崎遺跡からは、我が国でこれまで3例しか出土がないと言われる「触角式有柄銅剣」(*)が出土して注目を浴びたし、柏崎田島遺跡からは「連孤日光銘鏡」という前漢中期の鏡が出土し、日本と中国の関係を示す遺物として、これまた注目を浴びた。
これの特異な出土物から、柏崎遺跡は「魏志倭人伝」に記されている末廬国の王墓に比定され、有柄銅剣は有力部族長の権力を象徴するものとされた。故佐原真氏は「銅剣の貴重さからみて墳丘墓は王族の墓であることは間違いない』と評価していた。
(*)佐賀県唐津市柏崎遺跡のほか、福岡県糸島郡前原町三雲遺跡、山口県西端の向津久保遺跡。
   その後「触角式有柄銅剣」は吉野ヶ里遺跡でも同様のものが発見された。」

鏡はこれで、古い。


末盧国は、うーん・・・いかんせん、皇室の先祖ではない気がしてきた。
1つめの、宇木汲田遺跡から出た三種の神器は、単純に「たまたま、3種類揃って出土しただけ」なのかもしれない。

これはまた難しい判断なのだ・・・・。

ただ、ちょっとだけ、もしかして「月読命」が王だったことはないかなあ? という気はする。

佐賀県に月読の神社はない。→検索0


ついでに、イザナギイザナミの男女神社があったが、創建は鎌倉時代なので、意味なしだなあ。


これ、天照大神の墓や高天原は、朝倉市を狙って探したほうがいいかもです。
唐津や佐賀県は、いったん研究対象から外します。

別の一族のクニだったんだろうなあと思います。どっちかというと渡来系な気がします。珍しい銅剣とかすごく前に入手しているわけですし、菜畑遺跡も近いですしね。

ちなみに佐賀県の鉱脈とか探したけど、花崗岩とか、炭田であって、あまり銅山や水銀鉱脈ではないかんじー。


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