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プレ皇室研究: 古代のお墓 と青銅、鉄の製造

古代のお墓の様式の違いが一発でわかるので、この人の説明いいと思います。


しかし、朝鮮半島から方形周溝墓が伝わったってある学説と、AD300年くらいだから、朝鮮半島のほうが遅いって言っている人がいて、うへえ。面倒くさいです。
どっちか、はっきりしてよー。

この場合は、「最古」で検索してみるのだ。。
えええー、京都かい。京都おおーーーー??? どゆこと。→京都からも出たけど、大阪茨木市のほうが古いらしいです。

https://www.kyoto-arc.or.jp/news/leaflet/112.pdf



引用します。
「1997 年5月から6月にかけて実施した京都市山科区の中臣遺跡第
76 次調査では、弥生時代中期の初め頃(紀元前 150 〜 100 年頃)に
造られた方形周溝墓を3基発掘しました。
この3基の方形周溝墓は、
周囲の溝がしっかりと残った、保存状態の良いものでした。」

「そして、墳丘上に穴(墓壙)を掘り、遺体をいれた棺を安置します。まれに周囲の溝の中にも棺などを安置することもあります。
棺の数は複数あるのが普通で、また男女がペアで葬られていたり、子供用の棺があることから、家族墓であったと考えられています。」

これだと平原遺跡より古いです。
朝鮮半島と比べてどうかは、まだわかりません。

え、こっちのほうが古いの?
Wikiあまり書いてないぞー。→たまに間違いがあるので、要注意です。

「東奈良遺跡には、二重の環濠の内部に高床倉庫など大型建物や多数の住居があり、外部には広大な墓域もあった。発見された工房跡から、銅鐸の鋳型が35点も出土しており、ほかにも銅戈・勾玉などの鋳型が発掘されている。ここの鋳型で生産された銅鐸が、近畿一円から四国でも発見されている。」
「また、高さが14.2センチメートルの小さな銅鐸が見つかっている。銅鐸の起源は解明されていないが、この銅鐸がその謎を解く鍵となる可能性もあるという。

この付近は「沢良宜(さわらぎ)」と呼ばれ、主な神社に「佐和良義神社」があり、迦具土神がまつられている。カグは銅の古語であり、サワラギもサワラ(銅器)ギ(邑)となることから、この一帯が銅製品の加工と関係が深かったことがうかがい知れる。

2013年(平成25年)10月1日から12月27日に行われた発掘調査では、弥生・古墳時代の溝などのほか、牛の足跡などが残る中世の水田跡も見つかった[1]。」

すごい。弥生時代でどのタイミングかわかりませんが、九州以外にもハイテク工房があったのです。


うへえ。また創建時期がわからん神社がでてきたよ。古い。

やべえ。祭神がカグツチじゃんか。イザナミを殺した火の神である。


続けます。
「遺跡は弥生時代から古墳時代前期を主とし、土壙墓(どこうぼ)・木棺墓・壷棺墓・かめ棺墓などのほか方形周溝墓・竪穴式住居跡・掘立柱建物跡・井戸・大溝・貯蔵穴などの遺構があり、遣物には各種の土器・石器および農具などの木製品がみられています。さらに、昭和48年(1973)11月から翌年9月にかけて銅鐸・銅戈(どうか)・勾玉(まがたま)の鋳型をはじめ多数の鞴口(ふいごぐち)など鋳造に関連する遺物が出土しました。 東奈良遺跡でこれまでに出土した銅鐸の鋳型は完形に近いものや破片を含めて35点で、外縁付鈕式(がいえんつきちゅうしき)と扁平鈕式(へんぺいちゅうしき)の2形式がみられ、また流水文5種と袈裟襷文1種に分けられます。これらの鋳型から鋳造された銅鐸の個数は10個体以上と考えられます。」


長期間存在した集落のようなので、時代がよくわかりません。

銅鐸で調べると時期はこんなで、400年もあります。そして、おもっきり私の推測しているプレ皇室時期とかぶります。

「銅鐸(どうたく)は、弥生時代に製造された釣鐘型の青銅器である。紀元前2世紀から2世紀の約400年間にわたって製作、使用された。


技術者集団なので、青銅加工は渡来人によって作られたのかもしれません。
いえ、もしかしたら、日本で独自に作れるのだろうか?
わからん・・・。なんでもかんでも朝鮮半島から来るとは限らないのだ。


青銅についても調べました。引用します。

日本には、紀元前4世紀頃、鉄とともに九州へ伝わりました。

青銅も鉄も最初は輸入されていましたが、青銅は、紀元前1世紀頃、国内での生産が始まりました。

鉄の国内での生産(製鉄)は紀元後5世紀頃だと推測されています。→これ間違いみたいです。

2世紀には大型銅鐸(どうたく)が作られ、技術は東アジアでもかなり高い水準に達していました。

日本の場合は実用の道具としては鉄製品が主に用いられ、青銅製品は祭器が中心でした。

戦国時代後期から江戸時代初期にかけて、大砲の技術が伝来し、日本でも青銅砲が製造されることとなります。」


あれ? 製鉄ってそんなに遅かったっけ? 外国は青銅が先だけど、日本はちょっと遅れて伝わったので、青銅と鉄はだいたい同時期ときいたのだが・・・。

「最初は谷から吹き上げてくる山腹の風を利用した自然送風、紀元前2ー3世紀頃よりフイゴを利用した手押し送風または足踏み送風へ

「一般に鉄は3200年前頃、今のイランを中心に普及してゆき、中国には春秋から戦国期にかけて鉄器文化が本格化します。そして日本列島においては、縄文時代末から弥生時代のはじめころ、朝鮮半島から九州地方にもたらされます。弥生時代中期には、鉄素材を輸入に頼りながらも国内で鉄器の加工生産がはじまり、やがて、弥生時代後期になると、小規模ながら製鉄が開始されます。鉄生産が本格的に行われるようになるのは古墳時代後期に中国山地が中心と考えられます。」

縄文時代末  紀元前5世紀 →全部輸入ってことだろう。
弥生時代中期 紀元前1世紀 →鉄素材を加工する。
弥生時代後期 紀元1世紀後半から3世紀前半 →製鉄からできる。

うーむ、スサノオのヤマタノオロチの剣って、紀元前1世紀かー。
スサノオの子供のときは無理だけど、大人になったらOKってことかな?

私のプレ皇室の時代感覚とはそれほどおかしくないですね。

追記
日本でいまのところ一番古い鉄の出土は、やはり糸島市のようです。

「物語の始まり
鉄は稲作とともに伝わったと言われている。

日本で最も古い鉄器は、縄文時代(紀元前3~4世紀)と言われていれ、
福岡県糸島市二丈町で出土した。


これ、山梨だけどいっぱい。すごいー。


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