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なぜ夢をもてなくなるのか


自分の夢を、時を経て形は変わったけど叶えた話

「あなたの夢はなぁに?」

そう聞いたところですぐに答えられる人は少ないのかもしれない
夢って願望でもある、大きなことから小さなことまで夢でくくっていく

何だっていいと思う

今でも覚えていることがある
本当に本当に小さな夢があった

小学生の頃、当時はバブル全盛期だったのに我が家は貧乏だった(と、思い込んでいただけで両親がバブルに踊らされず倹約家だったので派手な生活ではなかっただけ)

楽しみにしていたおやつがあった
ブルボンの『ルマンド』
さくさくのパイ生地がたまらなく美味しい!

けれど1日2個と決められていて、なぜ一袋食べさせてもらえないのだろうか、それでも親の言う事は絶対なので我慢した
もちろんルマンドは2個だけど他のおやつは食べてもOK!

きっと、さくさくのパイ生地をこぼすから掃除が面倒だったんだと思われます(笑)

当時はそんなことはわからないので、
「大きくなったらルマンド一袋食べるぞ!」

小さな小さな願望と言う夢が出来上がった瞬間です

もちろん自分で稼ぐようになって(お小遣いで買う発想はまだありませんでした)一袋思いっきり食べて夢は叶えました!
叶えた瞬間に満足感でいっぱい、そして達成と言う幸福が訪れます

こんなことを考えたこと一度はあるのでは?

誕生日ケーキをワンホール独り占めしたい(笑)
切り分ける事なくこれを1人で食べたい!

もちろん私は大きくなって自分で買って夢を叶えましたよ
量が多い(笑)満足したので一度きりで終えましたけどね

子どもの頃って本当に願望は小さなことだらけで、それが憧れる夢となるんですよね
実際は大きくなって叶えられる程度の小さな夢が多いですが、時には努力なしには難しい夢もありますよね

この小さな夢は誰が聞いても微笑ましいくらいの事なので、誰にも止められることはありません
時にはそれ自体に興味がなくなることもある=願望がなくなっただけなので決して夢を諦めた訳じゃない

大きな夢ほどつぶされる

最初に子どもの夢をつぶすのは親とされている
生まれてくる我が子には大きな夢を見ているのに、実際に子どもが夢を見ると現実をぶつけてくる

小さいころ、
歌が上手ければ「歌手になれるかもよ」
可愛ければ「ジャニーズに入れるかも、モデル?女優俳優?」
走るのが早ければ「オリンピックに出れるかも」
野球を始めたら「甲子園に行ってプロ野球選手になるかも」

我が子に大きな期待を膨らませる、親になるとそういう思いが溢れてくるものです
そして子どもたちにも、夢を見させるのではないでしょうか?
全親がそうとは限らないけどね

だんだんと子どもたちが大きくなるころ、小学生高学年、中学生のころ親も現実を突きつけます

「そんな夢みたいなこと叶うわけないでしょ」

子どもらしさが残る中、急に大人扱いが始まるからだ
実際に現実を知る大人は、無理な事は無理と教えてしまう

けれど、夢は見てもいいじゃないって思う
これは私の持論ですけどね
何も現実を突きつけて夢を諦めさせる必要はないと思う

本人が自覚して難しいと気づくか、飽きるか、思い続けて叶えるか
それは現時点ではわからないから
そして親子と言っても子どもは所有物ではないので、温かく見守る事も大事じゃないでしょうか

夢をもっても無駄なんだ!と思い知らされるのは、この頃現実を突きつける大人たちの何気ない一言です
親じゃなくても先生だっていうかもしれない

夢をもつのは自由です
プロ野球選手に慣れなくても、思いが強ければ野球に携わる仕事に夢を変換するかもしれない

プロ野球選手になるのが夢と思って叶えることが出来る人はほんの一握りなのはわかっています
だけどここで「無理」とわざわざ言わなくてもいいんです
現実に気づき野球が好きだからTV局に入って野球中継がしたい!とか、子どもたちに教えるコーチになろう!とか、自分のチームを作ろう!とか思えたらいいんです

願望が夢になるのだから、夢が叶えば満足する
途中で夢が変わったとしても本人にすれば誰かに言われたからではなく自分で選択した道なのだから、それで満足するんです

「そんな夢は叶わない」なんて言わず、叶うと良いねと言ってあげる方がいい

いくつになっても夢をもつと言う事が出来る大人になると思う
どーせ叶わないからと小さい夢すら持たなくなるのって満足する人生を味わえない気もします

私は小さい頃叶わなかった「留学する」と言う夢を30年以上経って叶えましたよ
当時の夢を少し変換しましたが、夢が叶って満足しました

そしてまた、新たな夢を見るのです






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