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『おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2』 村上春樹

読んだことのあるエッセイが入っていた。大学生の頃、ananに連載されていたらしいから、何かの特集で買ったときに読んだんだろう。そんな再会もあるんだな。発行は2011年。

村上春樹のエッセイを積極的に読んだことがなかったが、Twitterで「村上春樹のつぶやき」というエッセイの一文を紹介するようなbotをフォローしていて、読んでみたいと思ったのだ。軽快だし、着眼点が私とは違って面白い。ギリシアとかに住んでみた体験、スペインのサイン会の話なども私は体験したことがないから「なるほど」と思って面白い。そして大橋歩さんの版画も素敵。

なんだろう、この人とは決定的に脳内のシステムが違いそう。面白い言葉遊びとか私の引き出しにないし。もちろん、何かを一緒に話して、合意に至ったり、プロジェクトを遂行したり、とっておきのシーザーサラダを分け合って微笑みあったりできると思う。だけど、彼と私のシステムは決定的に違うから、どうしてもなぞれない箇所がありそうな。うっかり寝ることになっても、逆に、なってしまったとしたら、そのどうしても触れられない箇所がより明確になって寂しくなりそうな気がする。それがそそるのか。というか、そもそも人は分かり合えないから彼と私が特別ではない、という考え方もできる。

何でみんな村上春樹のエッセイを読むんだろう?軽快な雰囲気を味わうため?例えばミンティアを食べると、口の中がすっきりする、というような。Amazonのレビューを眺めると「ゆるさがいい」「村上春樹の裏話がわかってファン的にうれしい」みたいな感じだった。別に作家と分かり合えるかどうかは面白い本の必須条件ではない。おいしいレストランのシェフと話が合わなくても全然問題がない。でも、エッセイだからかちょっと甘えるというか、その人をわかりたくなる、近寄って触れたくなる、と思うのは村上春樹の魅力にたぶらかされているんですかね。これが色気?

117 おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2


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