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創作大賞で学んだ現代社会の闇

みなさんこの記事を読んでください。
そして率直な感想を教えてください。

頭がおかしい

おそらくこう思ったことでしょう。
しかし、彼は現代社会が生み出してしまった悲しきモンスターなのです。

下の引用を見てください。

学内に残った新入生たちとは違って、私には時間があるので、マドレーヌを食べながらテレビを見たり絵を描いたりしてました(ん〜優雅)。

~中略~

世の中の新入生が着たスーツは、その多くがその後二度と着られることなく廃棄されていきます。
その点、私のスーツは、風呂に入っています。
そのへんの雑魚スーツとは経験値に圧倒的な差があるのです。
これなら数万円の価値はゆうにあるといえるでしょう。
スーツに払った金額を無駄にせずに済んだ、というわけです。

これを見てわかるとおり、彼は他者との差別化、自己実現を行おうとしています。

彼は自分の存在理由を模索している最中なのです。
しかしそれを導いてくれる、正しい知識や方法を教えてくれる大人がいなかったため、スーツで風呂に入るという異常行動をとってしまったのでしょう。
本来であれば、自己表現の方法というのは多岐にわたるべきです。
ですが彼はそれをしなかった。いや、できなかったというべきでしょうか。
私はこれに現代社会の闇を感じずにはいられませんでした。

…本当にそうでしょうか?

よく考えてみると自己実現というのは他者からの一方通行です。
一般的に正しいとされている自己実現というのは、既存の概念にとらわれた形式的なものでしかありません。「金を稼ぐ」「スポーツや勉強でいい成績をおさめる」「創作活動などを行い評価を得る」これらは一般的な自己実現ですが、それらすべての判断は他者が下します。

「大勢に認められているから自分は自己実現できている。」
「認められていないから自分は自己実現できていない。」
先に挙げたような自己実現しかない世界では、そういった二極的な観念に陥ってしまうのではないでしょうか。
その点、彼の行動は誰の評価も必要としていません。
彼がスーツで風呂に入ったことの是非は、誰にも下しようがないのです。
なぜなら、彼はすべて自己完結しているから。
彼に対する評価を下すのは彼であり、その彼が満足している以上彼の自己実現は果たされているのです。
この事実に気づいたとき私は戦慄し、今までの自分の考えを深く反省しました。
結局人間は、せいやっそいやはーどっこいしょ!と生きてるほーが幸せなんすよ。ペイペイ。士官学校卒業生。俺はスーツで海に入りてーな。以上。


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