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👩‍🏫特別じゃないちっぽけな私でも「自信」を育てることのできる方法【BOOK 南洲翁遺訓/西郷隆盛】

◇ずっと「自信」が持てなかった。
ずっと「自信」が欲しくて欲しくてたまらなかった。

パッと目を引くような華やかで魅力的な容姿ではないし、
学生の頃は体育の先生にいじられるほどの運動音痴、
学ぶことは凄く好きなのに、それが上手く結果に繋がらない。

そんな私が自信なんて持てるわけがなかった。
生きているのが辛くなってしまうときもあった。

私の今までの人生、途方もない時間を「自信」について考えることに費やしてきたと思う。

最近「自信」についての新鮮で素敵な考え方に出会ったのでここに書き残しておきたいと思う。

道を行う者は、固より困厄に逢うものなれば、如何なる艱難の地に立つとも、事の成否身の死生抔に、少しも関係せぬもの也。
事には上手下手有り、物には出来る人・出来ざる人有るより、自然心を動かす人も有れ共、人は道を行うものゆえ、道を踏むには上手下手も無く、出来ざる人も無し。
故に只管ら、道を行い道を楽み、若し艱難に逢うて之を凌がんとならば、弥々道を行い道を楽む可し。
予、壮年より艱難に罹りしゆえ、今はどんな事に出会う共動揺は致すまじ。
夫れだけは仕逢せなり。
【南洲翁遺訓/西郷隆盛】
(現代語訳(一部抜粋):
周りを見渡してごらん。なんでも上手にやっている人もいれば、下手な人もいるだろう。一つ一つのものごとに、それぞれ上手な人もいれば、下手なひともいる…。
だから、そういう周りの人の様子を見て、“それに比べて自分は…“と、動揺してしまうこともあると思うよ。けれども、“生きる“というのは、そういう“技術“のようなものとは、全然違うんだよ。
もともと人というのは、全て“正しく生きる“ように作られているものなんでね。だから、“正しく生きる“ことには、上手もなければ下手もないし、まして、難しくて出来ない、ということもない。
【新訳 南洲翁遺訓 西郷隆盛が遺した「敬天愛人」の教え/松浦光修】)

苦しい時ほど、正しく生きるべきだということを説いた西郷隆盛の言葉。

ずっとぼんやりしていた「自信」についての考え方に輪郭をつけてくれた言葉たちだった。

ふと、こんなことをおもった。
「正しく生きる」ことで「自信」は生まれるのではないか、と。

私は、色々な事が下手なのだと思う。
勉強も運動も、人付き合いも。しょんぼりしてしまうほどに、何から何まで。

今まで、“下手な自分“と“上手な人“を比べるようにして生きてきた。

この考え方では“下手な自分“をいつまでたっても肯定してあげることはできない。
“上手になる“ことしか道はないし、上には上がいる。
“上手“のてっぺんに行かないと、「自信」は得られないと思っていた。

でも、「自信」はそうやってえられるものではないのかもしれない。

『道を踏む(=正しく生きること)には上手下手も無く、出来ざる人も無し。』

なんて勇気をくれる言葉なのだろう。
色々な事が下手で、特別上手な何かを持っていなくとも、「正しく生きる」ことならできる。

必ず「自信」は生きる力になるから、
正しく生きていきたい。

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