同僚。祈り。世界平和。

昨年末、日本人の同僚ができた。
女性でかつ五十代。

フラットかつニュートラルな態度で接した、と思う。
なんの偏見もなかったし。
単純に仲良くなれたらいいな、とも思ったし。

そんなこちらの思いとは裏腹に
彼女と話せば話すほど、しんどくなっていく。

あれ?なんだろこれは。

話が、通じない。
話が、交差しない。
話が、発展しない。
彼女の言ってることが、なんのことかよくわからない!

して欲しいと願うことが実行されない。
頼んでもいないことが実行される。

あれ?えーと。これって一体どゆこと。

小さかった違和感は時間と共にじょじょに膨らんでいく。

あ!えーと。
もしかしてこの人、ばか???

いっぺん、そう思ってしまうと
ことある度にそのひとことですべてが説明できてしまう。

あ。この人、ばかだからこうなんだ。
あ。この人、ばかだからこうなるんだ。
あ。この人、ばかだから。

同僚を愛する必要なはい。
同僚はわたしではない人に認められてここにいるのだ。

わたしは自分の仕事だけを精一杯こなせばいいだけの話。
ぐちは言いたくない。言う必要もない。

自分の気持ちが重たくてつらくて、周りには早々、宣言した。
「わたしはあの同僚のことを嫌いです」。

それだけで少し、楽になった。
言った自分、いいぞ。

そしてその後に気がついた。
わたしの大きな願いは世界平和だった。

世界平和は遠くにあるわけじゃない。
わたしのいる「いま・ここ」を平和にすることがわたしの世界平和なんだ。

嫌いな同僚のしあわせを祈りはじめた。
ジュンちゃんには「やだやだ、こわいなあ、なにそれ」と笑われた。

好きになる必要はない。
嫌いな人のしあわせをただ祈るだけ。

不思議なことにそれだけでこころが軽くなった。
さあ。今年も祈り続けるぞ。

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