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ねえねえ、故郷の住所、覚えてる?

珍しく電話をかけてきた姉は、開口一番、そう尋ねた。
なんだか少しあせっているみたいだと、答えを探しながら、そう思った。

「いや、覚えてないや。でも確か慶尚南道◯◯郡のどこかー―」

あ、そっちじゃなくて、母方の方。ちょっと今、役所の手続きで必要になっちゃったんだよね。』

「ぇっ、と…●●郡、だっけ??ごめん全然わかんないや。オモニ(母さん)に直接聞いた方が早いんじゃない?」

『うん…、それが、オモニも覚えてなくって。いまメモを探してもらってるところなんだ。もしかしたらと思って一応アンタにも聞いてみたけど、まさか知ってるわけなかったね。』

軽く笑った姉は、オモニの連絡を待つよ、ありがとう、とだけ言って電話を切った。

ちょうど外回りに出ていた自分は、電話を閉じて、軽く息をついた。

故郷ーーーー。

故郷って一体、何なんだろうな。

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韓国籍を持って日本に暮らす在日韓国人には、「コヒャン」というものがある。漢字で書いて「故郷」。言葉の意味も、そのまんま「故郷」だ。
でも在日韓国人がこの言葉を使う時は、日本語のそれとは、ちょっと違う意味になる。

姉と自分は、在日韓国人の「三世」にあたる。この言葉を使うたび、無意味にルパン三世を連想するが、もちろんそれは、読者の皆さんにはどうでもいい話だ。

在日「三世」というのは、『朝鮮半島から日本に渡ってきた世代を「一世」として数えて、「三代目」』という意味だ。要するに、うちの場合は、祖父の世代が日本に渡ってきた「一世」で、親世代は「二世」、孫世代の自分たちは「三世」になる。

そしてそんな自分たちの言う「コヒャン」とは、朝鮮半島にあるルーツ、
つまり、『祖父世代の出身地』という意味だ。

もちろん、「おじいちゃんの出身地の住所」なんて、現代日本で暮らす兄弟には何の関係もない情報で。暮らしていて必要のない情報なんだから、親が覚えていなくったって、ちっとも不思議じゃない。別に在日韓国人に限らず、そんな情報をさらっと覚えている人が、日本にどれくらいいるんですかって話だ。

でも韓国に籍を置いている関係もあって、むこうの戸籍管理か何かの都合で、たまーに必要になる。パスポートの更新だとかそんな場合に、唐突に『住所』を聞かれて、それで、ちょっとあたふたして、家族に聞いて回ったりする。ちょうど、今回の姉のように。

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「故郷」について考える時、以前ひとから聞かれたある質問について、ちょっと思い出す。その日、自分はいつものように渋谷で、酒を飲んで談笑していた。相手は初対面の、すこし年上の人で、ビールを傾けながら、お互いのことを尋ね合ったりしていた。

「きみは、故郷はどこなのかね?」 彼は、そう尋ねた。

こきょう。

なかなか面白い言い回しをする人だなと思いつつ、
すぐに、返事に詰まる自分に気がついた。

・・・こきょう。

じいちゃんの出身地はじいちゃんの故郷であって、自分の故郷じゃないし。

生まれは東京、育ちは埼玉―――それはなんだか「故郷」と呼ぶにはいまいち、ピンとこなかった。もしかするとそれは、見知らぬ人たちから「朝鮮に帰れ」とか言われるのに慣れていく内に、自分にとっての日本が、「故郷」って言葉のあたたかいイメージからは少し外れてしまったから、かもしれない。

・・・不思議だよなあ、と改めて思う。「じいちゃんがどこで生まれたか?」なんて、そんなどうでもいいトリビアが数十年の時を経て、孫の生活に多少なりとも影響を与えてる。もしおじいちゃんがどこか日本の群馬やら広島やらで生まれていたら、きっと自分の人生も、ずいぶん違っていたんだろう。


自分の故郷については、今でも正直、よくわからない。
もしかすると、「無い」が答えなのかもしれない。

ただ、自分は土地よりも人が好きで、
日本でよくしてくれた人たちや、友人たちが大好きで。
だから、どこかに帰るとしたら、そこに帰るのだろう、とだけ思っている。

そろそろ、日本に帰ります。
短い間でもすっかり暮らし慣れたロンドンを離れるのは、寂しいけれど。
日本でまた家族や仲間たちの笑顔に囲まれる日が、待ち遠しくもあります。

帰ったらまた、乾杯をしよう。みんなと焼き肉が食べたいよ。

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