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初めて行った猫カフェには人生が詰まってた

日曜日の昼下がり、僕はふっと思い立った。

「猫カフェに行こう」

前に付き合ってた彼女がバスに乗っていた時に「今度行ってみたいな」と話をしていた猫カフェ。興味が無くて薄い反応をしたけども、日曜日に何もしない訳にはいかないと例の猫カフェの場所を探して実際に行ってみることにしました。生産的な日曜日ですね。

いつもは一人で動物園に行ったり、水族館に行ったり、街中をカメラを持って撮り歩きをしたり、とにかく一人で何かをするのが好きな僕。

決断してしまえば話は早いもので、例の場所をスマホで調べ、パンツとズボンを履き、猫カフェに行っても恥をかかないようなシャツを着て、カメラをメット入れにぶち込んでから、愛用の原付にまたがり目的地に向かいます。

約20分の道中では猫に興味の無かった僕でもいまから癒されるのかと思って口角が不意に上がりますが、これを世間では「ニヤニヤしている」と言うそうですね。

特に変わった場所にある訳でもないので、すんなりとお店に到着します。隣に動物病院が併設されているということで、その横にあるドアから2階に上がって猫カフェに入るという訳です。

ドアを開けて2階へ続く階段を見上げると猫のステッカーやイラストが散りばめてあり、本当に猫カフェに来たんだと実感します。急に今になって「男が一人で猫カフェに来ている」という状況が恥ずかしくなってきたものの、ここまできた以上は勇気を持って店内に入ってみます。

そもそも猫カフェのシステムを知らなかった僕としては、コーヒーを飲んでたら椅子の下やらに猫が歩き回ってるようなものだと思っていましたが、どうやら違うらしい。確かに衛生的にも、猫ちゃん的にも良くなさそう。

僕の行った猫カフェの場合は、「最初の60分は猫ちゃん専用スペースで猫ちゃんたちと触れ合って、その後に時間が来たら外のカフェコーナーでコーヒーを楽しむ」というもので、僕の場合は日曜日の昼下がりという人が一番多い時間帯だったらしく猫ちゃんたち専用のお部屋である「猫ちゃんスペース」には人数制限があるので先にコーヒーをいただいてから猫ちゃんと触れ合うというプランに変更になった。

最初に「ご来店は初めてですか?」と尋ねられ、猫ちゃんに対して人畜無害をアピールするために爽やかな笑顔で「初めてなんです~」と答えると、このお店について紹介をしてくれました。

「このお店はすべて佐世保の保健所で殺処分されてしまう猫ちゃんたちを引き取っているんです」という事と、猫ちゃんたちにしてはいけない禁止事項(無理に抱っこをしない、膝に乗ってきた場合はそのままで大丈夫)を説明されて、服や身に着けているものを破損させてしまっても責任は負えませんということや猫に危害を加えないことなどの同意書に記名をしていざ入店です。

僕の場合はカフェから先に楽しむプランだった為に、アイスコーヒーを頼んで25分ほどと伝えられていた待ち時間をツイッターをしながらワクワクを押し殺しながら待ちました。周りにはマダム、若いカップル、それに若い女性が一人。とても楽しそうに自分たちの順番が回ってこないかと会話を楽しんでいました。

続々と入店してくる人がおり、僕が受けたものと同じ説明をされているのを片耳で聞きながらツイッターを楽しんでいたところで、猫ちゃんスペースの時間が終わった人が出てくる様子が見えました。満足そうというか、とても充実した表情の女性二人組。

「やっぱり女性の2人で猫ちゃんを愛でながらその後に猫ちゃんの可愛かったエピソードや写真を見せあって楽しむのだろうなあ」

などと物思いにふけっていると、どこかで聞いたことがある声。

女性2人組のうちの1人は例の「猫カフェに行きたい」と言っていた昔付き合っていた彼女でした。

どうして広い世界の中でこんな偶然は起きてしまうんだろうと絶望を感じ、僕が一人で猫カフェに来ているということをバレないように顔をレジから背ける形で時間を待つ。いまだにあの失恋から立ち直れてない僕、複雑な感情を抱えながら2人が会計を済ませるのを待ちます。

2人組がお店を出るとすぐに自分が猫カフェに入るお時間になったという報告を受けていざ猫カフェデビューです。

案内されて猫ちゃんスペースに入ると、この子はよく噛むから気を付けてくれといった情報を伝えられて60分の猫ちゃんとの触れ合いタイムが始まります。「猫ちゃんに噛まれて血が出てたり持ち物が破損してもこっちが好きでお金を払ってきているのでむしろ服を引きちぎっても構わない、これでクレームを言うような変わった人が世の中にはいる、或いは過去にいたのだろう」と思いながらも猫ちゃんたちとのご対面です。

時間も時間だったこともあって、ほとんどの猫ちゃんたちがぐっすりと眠りについていました。さらには猫ちゃんたちは窓際に集まっており、そこに他のお客さんも集まるもので自分のポジショニングが難しい。

他の方が楽しんでいるところを邪魔する訳にもいかないので一定の距離感をおかなければいけないし、猫ちゃんたちはそんなことお構いないので自由気ままにスヤスヤと眠りに勤しんでいます。

僕はカメラを持っていたのでちょっと離れたところに一人でいようと「写真を撮る人なんだろう」と浮いたポジションでもなんとなく合理性を持つことができたのでセーフ。まずは窓際で寝ている小さな猫ちゃんたち(爆睡中)の元に寄って満面の笑みで観察します。

スヤスヤと身体が上下に揺れながら眠っていました。邪魔にならないようにこっそりと背中に触れて「ふわふわしてる!!!!」と心で叫びながらカメラを消音にして写真を撮っていきます。

こんなに小さな身体でも生きているんだと、猫の身体のこともそんなに分からなかった僕でも、生命というものは不思議だなあと猫ちゃんたちの様子を楽しみます。

猫ちゃんたちは模様や大きさ、よく見ると顔つきなんかも全然違います。よく触らせてくれる猫ちゃん、嫌がる素振りを露骨に見せてくる猫ちゃん、全く起きることない猫ちゃんなど多種多様。猫にも個性があるんだなと。

僕は写真を撮りつつ、他のお客さんが構っていない猫ちゃんの所に寄って写真を撮って時間を過ごしました。猫ちゃんを直感的に好きな角度から写真を撮ります。

カメラを持ち始めて約半年。世の中には沢山の素晴らしい写真を撮影されるカメラマンがいますが、僕は駆け出しのしょぼカメラ持ちの貧乏大学生なので直観力や構図力で勝負しなければなりません。そもそも勝負に持ち込んでる時点で僕の負けなので、ただ気ままに楽しむために写真を撮ると割り切っているつもりなのですが、良い写真を撮るスキルは自分の価値を増大させてくれます。

様々な角度から猫ちゃんの写真を撮り、撮影したものを見直してさらに構図を変えて・・・・と猫ちゃんたちの好きなところを納得いくまでカメラに収めていきます。猫カフェに来たのに猫とそんなに触れ合っていないのは、猫ちゃんたちの世界に自分がお邪魔しているので自分から触れ合いにいくことは迷惑になってしまうのではないかという言い訳をしておきます。

なんて考えていると早いことで時計を見ると残りが15分。これまでの時間で僕が一番好きだった窓を挟んだ遠巻きからしか見れない子猫コーナーを覗くことにしました。すると3匹が僕の方を怪しげな顔で見上げる。そりゃ自分よりもはるかに大きな生物が目の前で怪しげな機械をこちらに向けているともなれば警戒せざるを得ません。

しゃがんでカメラを見えないところに置いて、こっそり窓の端から子猫ちゃんたちを覗き込みます。

彼らは自由でした。

僕は水族館に行くと「ここの魚たちは果たして幸せなのだろうか」ということをよく考えます。

大きな世界から狭い水槽の中に入れられて、制限のある生活を強いられてしまう。確かに決まった時間に餌は貰えるかもしれない。ただ彼らには自由がありません。あの狭い水槽の中で一生を終えていくのです。それが果たして幸せなのだろうか。

僕が魚だったら広く大きな世界の方が良いなと思います。もちろんリスクはあります。餌は安定的に得られないかもしれない、さらには天敵に襲われてしまうかもしれない。だけど、そういったリスクがありながらも自由というものが欲しいと思います。

魚は脳みそが小さいので常に本能で生きているらしく、彼らにはいまの状況が幸せであるかどうかを考えることができないかもしれません。そして僕自身も食べているものはどこかで必死に生きてきたものかもしれません。考えていることとやっていることが矛盾しているように見えますが、人間は自己の幸せを追求していくことを目的に生きていると思っています。

誰かを幸せにしてあげたいという場合でも、誰かを幸せにしてあげたいという自分の欲求から成ると考えてしまえば自己利益です。

だからこそ、生きているものを口にするということはその生物の幸福を奪っていることに変わりはないので「いただきます」という言葉を忘れないようにしなければなりません。

さて自由というテーマから壮大に話が逸れたところで、話を最後に持っていきますが、猫ちゃんたちはとても幸せそうに生活をしていました。

最初に説明された通り、この子たちはそのまま過ぎてしまえば殺されてしまう存在だったのです。そういった子たちがのんびりとくつろぎ、知らない人が来ても大きな警戒をすることなく時間を悠々と過ごしている背景には、その施設を管理する人たちがいます。

ここでは猫カフェの従業員の方々や、この施設を作った動物病院たちがそれにあたりますが、そういった人々にも生活があります。お金を得なければなりません。

人々に猫との触れ合いの場を提供し、猫にはそこで得た資金を使って快適な環境を用意してあげます。ストレスに悩む多くの人々はこの猫カフェで悠々と時間を過ごす猫たちを見て癒しを貰います。そして、その対価としてお金を払い、猫ちゃんたちがさらに住みやすい環境を作ることができると同時にそういった場を作る組織が継続していくための資金となります。

僕はこの仕組みを作り、僕たちに癒しを、猫ちゃんたちに快適な生活を提供してくれているこの猫カフェをとても気に入りました。

僕が日々抱えている悩みなんてちっぽけなもので、世のため人の為になることをしている人々を尊敬します。

僕はいま大学生ですが、就活というものを少しずつ本気になって考えていかなければならない時期になってきました。その時期になると画一的な価値観に自分をねじ込んでいかなければなりませんが、そうしなければ生きていくことができません。

何か自分で価値を生み出さなければいけないと自分にできることを考えてみると、ライティングスキル、カメラスキル、コミュニケーションスキル・・・しかしそれを証明する外部評価はない。今後の日本が長期的に見ると市場が縮小していくことを考えると言語も勉強しなければ多くの価値を生み出すことはできないかもしれません。対戦相手は日本からアジア、ましてや世界にの人々になってきます。

また自分の本当幸せとはなんだろうといつも考えており、結婚をすること、多くの富・名声を得ること・・・それを総合して自分なりの哲学を持ち日々の細かな選択をして生きていますが、どこか心の底から幸せと思えない自分がいます。だから哲学を練り直して・・・と繰り返しているうちに自分を見失ってしまいます。

そんな時、猫ちゃんたちがのんびりと日向で毛づくろいをしている姿を見るとすべてがどうでもよくなりました。

猫カフェには人生が詰まっている。

また僕は猫カフェに足を運ぶことになると思います。

ありがとう猫ちゃんたち。

ーENDー


今回訪れた猫カフェは佐世保に唯一といわれている「ニャンコプラス」という場所でした。

猫が大好きな方が働いているのだろうなあという素敵な場所でした。

佐世保の殺処分されてしまう猫ちゃんたちのために少しでも力になれればという想いがあるらしく、九州在住の猫ちゃん好きな方はぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。とても有意義な時間をご体験あれ。


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