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Vtuberとリアルな自分はどれぐらいリンクさせるのが適切なのか

Vtuberになって最もよかったことは、Vtuberというエンターテインメントに対してファン目線だけでなくVtuber目線からも考えることができるようになり、そのおかげでVtuberファンへの解像度が上がったことだと思っています。

自身の動画投稿についてはクソほどサボりながらも「Vtuberとか何なのか」みたいなことはずっと考えておりまして、ちょっと前から考えていたのは「Vtuberとしての自分とリアルな自分はどれぐらい結びつけるのが適切なのか」ということ。

ある仮設を立てましたので、よければ最後までご覧ください。

企業勢と個人勢のリンクのさせ方

Vtuberは大きく分けると「企業勢」と「個人勢」。
前者はVtuberとリアルを切り離していて、後者は結びつきがかなり強いというイメージ。

企業勢で多いのは、言わばキャラ売り。
現実の自分とは離れた位置にあるキャラを演じることで配信プラットフォーム上で活動を行うもので、にじさんじやホロライブに代表されるような売り方であり、現状最も需要の多い売り方です。

一方の個人勢で多いのはある程度の自分との結びつけ。
とはいえ、まんま自分の見た目をアバターにしていない以上はこちらもキャラを演じてはいるのですけれども、
例えば甲賀流忍者ぽんぽこさんで言えば、
①滋賀県在住
②Vtuber活動以前はフリーターをしていた
③兄に誘われる形で動画投稿を始めた
④やらかしが多く、ぽんぽことして活動するうえでもネタにしている
などなどリアルな自分とVtuber活動をある程度リンクさせて日々のVtuber活動をされています。

ロート製薬やHappy Elementsのように企業が広報活動の一環としてVtuberを運営することもありますが、個人勢ですと例えば私の周りでいえば賃貸不動産経営管理士の神宅 建士さんや牧場勤務の銀蹄じゅんさんなど、自身の職業まで紐づけて、それを活かして活動している方もいらっしゃいます。

プロフィールなど文字に起こしてはいなくとも「今日のお昼はこれを食べた!」みたいな感じでランチの写真を投稿しているVtuberさんもいて、リアルとの結びつけが強いなと思わされます。

という具合にVtuberとリアルとのリンクについて書いていましたが、とはいっても企業勢だって例えば宝鐘マリンさんの中の人の年齢をそれとなく感じさせる発言や、NJU歌謡祭2021で「ニホンノミカタ - ネバダカラキマシタ-」を歌い、なんとなく触れてきた文化圏がわかるような内容での盛り上がりもありますから、Vtuberとリアルとを完全に切り離すというのも求められていない

また、Vtuberはアニメキャラとは異なり中の人とアバターとの結びつきも強いというのは、かつてのキズナアイ分裂騒動やゲーム部声優交代騒動から明らかになっていることでもあります。

Vtuberとリアルのリンクに対するファンの心理

ここまではVtuberとリアルのリンクについて書いてきましたので、ここからはそれに対するファンの心理についてです。

まあこれに関しても完全に人によって異なるものですから、一概にこのタイプこのタイプと分類できるものではありません。

極端に真っ二つにするのであれば
⑴あくまでキャラ売りが好きで「あまりリアルをにおわせないでほしい」というファン
⑵顔もわからぬ中の人まで徹底的に好きな盲目的なファン
的な感じにはなりますけれど、Vtuberのファンのうち99.8%はこの中間層であり、どこまでリンクされているのが心地よいのかというのは個人個人においてめっちゃバラバラです。

Vtuberとリアルのリンクですと昔おめがシスターズのリオさんが出産報告をしてかなり話題になっていましたが、あの動画を観て100%の気持ちで「おめでとう!」とはいえないファンもいたと思います。

最近ですと甲賀流忍者ぽんぽこさんが100の質問動画のなかで元カレとのエピソードを話していたりしました。

出した例が極端で卑怯な感じもあるのですが、決して童貞の妄想やユニコーン勢の話をしたいのではなく「なんかリアルが浮かぶような表現が嫌だな」と思う層もいるだろうなという話です。

現実、男女二人で活動していて「まあこの二人つきあっているんだろうな」というのは薄々わかっていながらも暗黙の了解で誰も触れず、あるとき動画で「実はつきあっていまして、この度結婚しました!」と関係性を報告したら、その動画公開以降の動画再生回数や配信の同時視聴者数が減ってしまったというVtuberもいます。

「今までそのVtuberが築きあげてきた像を好きでいたが、Vtuber側が情報公開することによりその像を越えてきてしまい違和感を覚える」といった感じでしょうか(伝わるかしら…)

もっと単純な言葉でいうと「そこまでのリアルは知りたくなかった」という感じです。

私の友人に「推しのVtuberがボイチェンであることをわかっていて好きだったけれど、ある日ボイチェンを外した配信を観て急に熱が冷めた」という人がいました。

冷たい言い方をすると「別にお前の地声を聴きたいわけではなかったんだよな」ってところで、こういうラインで冷めてしまうファンもいるという例です。

Vtuber側の視点で考えると、ファンが自分のことをどこまでのラインで好きなのかというのは非常に図りづらい。

ファンのためにと自分の情報を小出しにしていたつもりが、ファンを興ざめさせていたケースもあります。

結局のところ、Vtuberのファンで「中の人のこともすべて好きだ」と声高に叫べる人が超絶少数派であり、もはや存在しないと考えたほうがよいまであります。

Vtuberはどこまで自分の情報をリンクさせるのがよいのか?

では、Vtuberはどこまで自分の情報をリンクさせるのがよいのか?

当然正解はありませんが、「これが現状のベストなのでは?」という考えがあるので以下に記します。

「何をやるのか決めるのと同時に、何をやらないかを決めることも大切である」
これは私が職場の上司から言われた言葉で、今の仕事以上にVtuber活動で役に立っています。

「こういう活動はする」と決めるだけでなく「こういう活動はしない」と決めるのも大切ですし、最初にVtuber活動のコンセプトを決める段階で「ここまでは現実の自分とリンクさせるけれど、これ以上はリンクさせない」と決めることが重要。

またかつてnoteで「コンセプトに立ち戻る重要さ」について書いたことがありました。
そんなに長い文章ではないので、もしよければこちらも併せてご一読ください。

まあつまるところ
①最初の段階でVtuberとリアルでリンクさせる箇所を線引きせよ
②その線引きを定期的に振り返れ

ってことです。

正解はわからないけれど、少なくとも「最初に決めたライン以上に個人を匂わせる発言をすることは悪手なのではないか」という仮説です。

説教臭い文章になりましたが、「その線引きを守り続けることが難しいんだよ」っていう内容をつらつら書いて本文を〆たいと思います。

自己顕示欲と上手く付き合っていくことは一生の課題

これまた昔に「Vtuberの活動の原動力は自己顕示欲である」という内容のnoteを書いたことがあります。
こちらもそこまで長くはないので、お暇があればぜひ読んでみてください。

自己顕示欲がある程度満たされてくると、今度は
「自分を知ってほしい」
「Vtuberとしての自分だけでなく、リアルな自分も受け入れてほしい」

という気持ちが湧いてくる方もいると思いますし、その気持ちは当然のものだと思います。

だって現状ファンの方が愛しているのは自分ではなく、Vtuberという皮を被った自分ですから、推しアイドルに対する愛され方や家族からの愛され方などとはベクトルが異なりますし、そちらの方向へ持っていきたくなるのは人間であればそれはそう。

できうるものなら自分のすべてを理解してほしいですし、それを知ったうえでなお好きでいてほしい。

でも前述したように、「ファンはあなたのすべてが好きなわけではない」

自己顕示欲と上手く付き合うというのは、デビューしたてのVtuberにとっても、チャンネル登録者数数十万人を誇る大物Vtuberにとっても、いつまでもつきまとってくる課題です。

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