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原体験から

こんにちは。久しぶりに書きます。

水戸に来てもうすぐ3ヶ月。大学卒業して1ヶ月。
忙しない毎日ですが、自分から決めた道で、本当に刺激ある充実した毎日を送っています。

先週アカデミーのGM研修で自分の価値観や原体験を話す機会があったので、その延長線上とこの2ヶ月半を少しまとめようと思います。備忘録。


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毎日スクールで、子供たちとサッカーをして。幼稚園に行き、走り回り。ユースの公式戦振り返り映像を作ったり。イベントを企画したり。選手のオフザピッチの活動のサポートや映像を作ったり。ホームゲームの日はスーツを着て、フリーマンをしています。先日はグランドゴルフ大会もありました。
クラブの色々なことに触れれています。というのも自分はアカデミーコーチとフロント(ホームタウン)を兼任しているので、クラブの活動を通して、多くのスタッフや多くの人たちと関われています。

ホームタウンの活動を通して、「頑張ってよ!」「ありがとうね」と言われたり、グランドで子供たちに「かっしーボール蹴ろうよ」、スタジアムで「推しメン総選挙出ないの?」などなど、何気ない会話が本当に楽しいです。

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遡ること14年前。
故郷10万人の街にプロのフットサルチームができました。そのチームのスクールに通い始めたのが僕のサッカーとの出会いです。コーチはプロのフットサル選手。知っているコーチ(選手)を見に毎週アリーナに行ってました。ほとんど満員になったアリーナで(のちにほとんどが招待券だと知った笑)家族や友達と熱狂していました。数年見に行ってたけれど、ほとんど勝ったこと姿を見たことはありません。それでも前のめりに食いついて熱狂していました。

その後サッカーを始めて、いつしかサッカーが常にそばにあり、良くも悪くも離れられない存在になりました。なんとなく一生サッカーに触れていたいな、関わりたいなと半ば中学生で思い始めて、そこから大きな決断をサッカーに委ねることになりました。サッカーは居場所になって、友達が増えて。ピッチでは感情を解放して、ふとした瞬間に1人じゃないんだと気付かされました。Jリーグを見に行っては、隣の知らないおじさん、後ろの知らないお兄さんとハイタッチをして、ハグをしてゴールを喜んでました。そうして、家族、友人、コーチ、サッカー選手、スタジアムで同じ時間を共有した人、あらゆる人のおかげでサッカーが当たり前に素晴らしいものだと享受して生きていました。


この僕の"感覚"を疑ってしまうような体験がありました。それは、コロナ禍でのステイホーム。前のめりだったサッカーを、サッカー/スポーツ界を俯瞰して見れるきっかけになりました。当時、前クラブでコーチをしていました。ただ家にいて何もできない自分、サッカーのゲームが失ったクラブは活動休止状態。
でも、世界を見渡すとこの状況下でも求められ、尽力される人たち、動き続ける世界。このギャップに無力感を覚えました。また色んな違和感を感じました。


僕が信じてきたサッカーって、サッカーの持っている価値や可能性って、サッカーが求められるって、地域に必要とされ、愛されるって、サッカーの職業って何なんだろうなって思いました。


狭い世界から少し外れて、俯瞰して、色んな違和感や課題感を感じました。それは誰が悪いとか、それが不正解とかそういうわけではなく。また自分もその当事者であると思いました。


ただネガティブに悲観するだけでなく、改めてサッカーっていいなって思える時間でもありました。
これまで抱いていた感情だけでなく、サッカーって、サッカークラブって誰かの"不"を無くせる存在でもあると期待し始めました。
プレイすることだけがサッカークラブではないと気付きました。結果に至る過程とその先を、ふと感じる違和感を自分の大切な価値観にしたいなと思いました。




自分の歩みたい道筋が決まりつつあった中で、色々なクラブを調べまくりました。その中でビビッと来たのが水戸ホーリーホック。発信や活動を見て、勝手ながら自分の感覚に近そうな人が多くいて、自分の目指す先とクラブの目指す先が近いなって直感で感じました。速攻調べて、速攻で連絡しました。

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(↑実はこれ納豆の日狙ってたんです)

ストレートに自分がこの世界に感じる違和感や不安、期待感を話しました。それよりもクラブの色んな取り組みとその背景を聞いて、ゾクゾクしました。これは面白いぞ!と。生意気ながら提案したり、しつこく連絡したり、作った映像を送りつけたり、自分なりにアピールしました。

そんなこんなで今水戸にいます。もちろん今もゾクゾクワクワクしています。


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水戸に来て、クラブに関われる喜びを、同じような価値観を持っている人たちと仕事できる充実感を感じています。

一方で、リアルな話、忙しなく活動する中で、あのときに感じたスポーツ界に関わる人たちの課題感や空気感にのまれている自分がいるのも事実。
1つ例を挙げると、社会と繋がれていないあの感覚。
大学時代はこの世界の色に染まるまいと意識的に外へ出ていましたが、今では外の世界と接点を以前より持ててない、新しい情報をキャッチできてない。
こうして、自分が感じた違和感を正に自分で体現していっていることに皮肉にも感じています。

他にも沢山ポジティブなこともネガティヴなことも感じています。それをどう解決したり、どう表現しようか模索中です。

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色々な活動の中でもホームゲームは特別です。
中学生の時に長くサッカーと関わりたいなという思いを持ち続け、クラブに入り、毎週迎えるホームゲーム。

選手はかっこいいし、ゴールは叫ぶし、勝ったらとにかく嬉しい、論理なしの感情は、小学生の時からアリーナやスタジアムで見ていたときと何ら変わりません。
ただそれ以上にクラブに関わることで、この1試合があることの重みを感じます。
あのときゴール裏で見ていた1試合は、あの試合の結果に至る過程には、クラブに関わる人たちの情熱や想い、使命感があるんだと目で肌で感じています。
朝早くに来て、夜遅くに帰るスタッフ、目の前の子供たちや選手に何かを掴んでもらうために日々情熱を注ぐアカデミーコーチやスクールコーチ、華やかそうに見えるけど、そうではない名前なんてないような小さくて細かい業務、オフザピッチでは考えられない目の色を変えてトレーニングする選手、そんな瞬間を僕は少しだけ知っています。

だから、まじで勝ちたいなって思えます。勝つ可能性を高めるアクションをし続けないとと思えます。


このクラブで働けることへの喜び。自分を導き、望んだ形で仕事できる機会をいただけたことへの、これまで関わってくださった皆さんへの感謝。これまでこのクラブを築いてくださった先人たちへの敬意。スタジアムで爆発したあのときの感情。自分の活動を素直に認めてくれる皆さんへの憧れ。あのとき感じた違和感と不安。もっとこうなりたいという意志と野心。このクラブや一緒に働くスタッフに貢献したいと思える情熱。サッカーのスポーツの凄さ素晴らしさを感じれた原体験。

全てを忘れたくないなと思います。


自分の成長がクラブの成長に、クラブの成長が自分の成長に繋がること、これからもサッカーの可能性を信じ続けて、日々一歩前に踏み出します。

頑張ります!!!

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