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『TOURISM』 『ひかりの歌』公開記念 往復書簡6(杉田協士→宮崎大祐)

宮崎さん、こんにちは。

『TOURISM』公開おめでとうございます。

最後に宮崎さんからいただいた手紙の日付は昨年の12月12日で、半年以上が経ちました。この往復書簡をはじめるにあたって、私の方から宮崎さんに、新作である『TOURISM』のスクリーナーをお借りしたいとお伝えしたのに、いざ自宅のモニター前に座ると、再生をクリックすることができませんでした。この作品にはスクリーンで出会いたいという気持ちが勝ってしまったのです。それをいまお伝えすることを、どうかお許しください。

昨夜、スクリーンで見ることが叶いました。

前回の宮崎さんの手紙の冒頭には、シカゴのラッパー・Sabaのことが書かれていました。そこにある言葉は、宮崎さんの『TOURISM』そのものを表しているようでした。

「ラッパーだからといって着飾って喧嘩やら麻薬やら拳銃の話をしなくてもいいんだ、ただただ良い音楽を作ればそれで良いんだ、だってミュージシャンなんだから」

見はじめてすぐに予感がしました。きっとこの映画では出来事が起きないだろうと。喧嘩やら麻薬やら拳銃が絡む出来事です。起きるタイミングはいくらでもありました。でも、そこではたとえば童謡が、歌詞があいまいなまま歌われていました。たとえば古びたビルの屋上で夜景を眺めるふたりがいました。そのときのニーナの視線で気づきました。主演の遠藤新菜さんは殺し屋にならなかったフォレスト・ウィティカーだと。もし『TOURISM』のなかで出来事が起きていたら、きっとニーナは武士道を身につけ、屋上で鳩と暮らしていたでしょう。そして中井貴一のように、もう二度と日本に帰らなかったことでしょう。最後にニーナとスーちゃんが選んだ行動を目の前にして、私は勇気づけられました。それはスクリーンのなかでのことでした。私もこれからずっとそうありたいと願いました。あのシーンのカメラの視点はスナイパーの位置でしたね。この映画がはじまってからずっと、背後には銃声が聴こえていたかもしれません。でもきっとニーナとスーちゃんの姿をスコープ越しに追い、トリガーに指をかけていたスナイパーは、最後にその銃を置いたのだと思います。エンドクレジットの暗闇は、そのスナイパーの閉じられた瞼によるものでした。この映画にもしテーマを見出すなら、それは「戦争と映画」でした。宮崎さんはドローンを使って街を俯瞰するのではなく、あくまで地上から軍用機を見つめる眼差しとともにありました。そしてゲリラ兵として銃を構えながら、最後にはそれを下ろすことを選択するのです。

前回の私の無邪気な質問に、宮崎さんは『スパイダーマン:ホームカミング』と答えてくれました。同じ条件で私がいま挙げるなら、それは『TOURISM』です。これが宮崎さんとの往復書簡だから選んでいるわけではありません。いま、だれに会っても私はそう答えます。

ここからは余談です。

前回のやりとりのころ、上映館が2館しか決まっていなかった『ひかりの歌』ですが、ありがたいことに、いまも上映がつづいています。この『ひかりの歌』の第4章で、定食店にやってくる客を演じてくれたのは、マレーシアの劇作家であるリャオ・プェイティンさんでした。あの親しみやすさに戸惑いを覚える人もいるみたいですが、『TOURISM』を見てくれたら、本当にそうなんだと、わかってくれるだろうと思いました。それぞれの立場が逆ですが、私が勝手に見つけた両作の共通点です。

そして、これはほとんど見た人がいない作品ですが、私が2012年に作ったドキュメンタリー映画に『洪水』というものがあります。そのラスト近くに、脚本を書いて演出した場面を入れました。

舞台はブラジルのサンパウロで、アコーディオンとギターを弾きながら歩くゾンビのウサギとスカンクがいます。途中見かけた店でウサギが買い物をしている間に、スカンクの姿がなくなっています。ウサギはさまよい、バスに乗り、気づけばベロオリゾンテにいます。そこの道端でチェロ弾きの人間を見かけます。ウサギは足をとめ、その音色に耳をかたむけます。最後、夜の荒れた空き地を、アコーディオンを弾きながらウサギはひとり歩いていくのでした。『TOURISM』を見ながら、ベロオリゾンテの夜の光を思い出していました。大事な記憶です。ありがとうございました。

タイトルそのままに、夜の街を彷徨うように、『TOURISM』がこれからもこの地上をどこまでも旅していきますように。


映画『TOURISM』 7月現在渋谷・ユーロスペースにて上映中、その後順次全国公開

映画『ひかりの歌』 全国順次公開中、8月3日(土)より恵比寿・東京都写真美術館ホールにて東京凱旋上映決定


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