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謙譲の美徳でつけられる心の箍(たが)

子供と話すと「絵を描ける」「英語を話せる」「ピアノを弾ける」など、「●●ができる」と自信を持っていうことが多い。

自信があることはもちろん良いことだが、自分(というか日本人?)とギャップを感じたのでちょっと考えてみた。

「できない」という日本人

以前、何かのテレビで観たのだが、日本人に「英語はできますか?」と聞くと大半の人は「できない」と答える。

逆にアメリカ人など外国人に「日本語はできますか?」と聞くと、「できる」と言う人が多いと答える。
できると言っても「スシ」「ソバ」「ニンジャ」などの単語を知っているだけとのこと。

日本人も英単語をいくつか知っているんだろうけど、自信が無かったり謙遜して「できない」と答えることが多いようだ。

謙譲の美徳

ちょっと調べると、日本には「謙譲の美徳」という精神文化があるようだ。

日本には「謙譲の美徳」という精神があり、 人を先に立てて、 自分は出しゃばらないということが美しい行為であるとされてきた。

日本の武士道の中にも、 真に優れた武士は外見上あくまで威張らず、 武勇を誇ったりしないものという精神文化が存在したと言われている。

この日本特有の“謙譲”の精神とは、 「謙譲に値する能力・資質を身につけること」 「相手を立てる行為に、 “愛情”を注ぐこと」である。

人々にも“愛情深く”接し、 決して、後ろ指をさされるような行為をしない。あらゆる人々から尊敬される。

その精神が、尊い精神で、昔からが受け継がれていたものである。

via : 今日の一言「謙譲の美徳(けんじょうのびとく)」(恥を知る文化)

なるほど〜、と思ったけど、現代社会で良いのかちょっと分からない。

うちの子供も今は「できる」と言っているが、そのうち「できない」に変わるのだろうか。

心の箍をつけられていく、そんな気がした。

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