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言葉にするとものごとは死ぬ

小田和正は言いました。「言葉にできない」と。

どうもこんにちは。キャシー(@cathyletter)です。
突然ですが、あなたの一番好きな映画は何ですか?それはどんな映画ですか?
よろしければ、それがどんな作品なのかを説明してみてください。

説明できますか?

先日友人と話していた時に、最近観て面白かった映画について説明する機会がありました。そしてその時に私は絶望したのです。あまりにも自分の説明が至らなかったことに。とても気に入った映画だったので言葉を尽くしそれなりの時間をかけて説明したのですが、自分が感じていた作品の素晴らしさが微塵も伝わらず喋れば喋るほどその作品の価値を損ねていくようでした。

私は、「言葉にするとものごとは死ぬ」と思っています。説明しようとして「損なわれた部分」が、私が言葉によって「殺した部分」です。言葉というツールはとてもシャープで境界線がはっきりしています。ぼんやりと存在するものごとを鋭利な型でくり抜いて、はみ出た部分は切り捨てる仕組みになっているのです。わかりやすく簡単で便利ですが、とても乱暴な手段。それに対し、言葉では表せない生きた表現を求めて音楽や映画やアートを志す人が多いのかもしれません。それらの手段の方が「曖昧さを生かす」ことには向いている気がします。

我々アンテナは言葉を使って情報を発信する集団ですから、極端な言い方をすれば、生きているこの世のやわらかいものごとをピックアップしては殺しまくっている集団と言えるかもしれません。やわらかいものごとは放っておくといつか霧散して消えてしまうので、この先ずっと残るように、昆虫標本のごとく固定して見せているのです。その行為に価値があると信じて。

何が言いたいのかというと、言葉はそういう性質を持つのだということを胸に留めて、その上でぜひ実物を見て体感するべきだよねということです。でないと本当の素晴らしさは決してわかりません。
1匹の虫の命を奪って針を突き刺したとしても、その標本を見た誰かが空を舞う数多の虫たちに興味を持ってくれたとしたら、その行為には価値が生まれるのではないでしょうか。言葉によって大切な何かを殺すことになるかもしれませんが、自らの手によって輝きが失われていく苦悩と戦いながらも、少しでも光を当てられるようにと心を尽くし、それを読んだあなたの頭の中で何かが生まれ何かを動かすことを強く信じてライターは記事を書いています。

いや、他の人はどうか知らないけど、たぶんね?

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