表1200ピクセル

【Sottoの穴】 第4回 ~隣の芝は青く見えてしまう症候群~

「Sottoの穴」2019年1月26日に開催したシンポジウム「比較社会漂流記」に際して、Facebook上で連載した全5回のコラム集です。 Sottoのスタッフたちと、シンポジウムコーディネーターの野呂さんに「比較社会の苦しさ」をテーマとして執筆してもらいました。

執筆・・・(広報ボランティアスタッフ)

 部活のレギュラーになりたい。行きたい学校に入りたい。好きな人に愛されたい。好きなことを仕事にしたい。家族が健康でいてほしい。子どもの笑顔をずっと見ていたい。誰かに必要とされたい。楽に暮らせる貯金がほしい。最期はピンピンコロリと苦しまずに死んでいきたい。世間に隠し事がない劣等感のない暮らしがしたい。
世間を見渡すと多くの人が幸せを手にしているのに、どうして自分はだめなんだろう・・・と周りの人と比べてしまうことってあるんじゃないかと思います。

 悩みごとや不安のタネがなく、穏やかに過ごしたいというのは、多くの人が望むことではないでしょうか。

 そのために、周りと比べず、羨まず、自分とその人生にいくらかの誇りと自信をもちさえすれば、人と比べられた時におこる悔しさや、みじめさ、卑屈な思いを味わう必要はないのでしょう。
だけど、自分で自分の人生にOKを出せず、楽しめない時があります。
それもまた、楽しめない自分を許してあげられたら楽になるのでしょうか
正論は私を守ってはくれず、正論に叩かれている気がします。
「人は人、あなたにはあなたの良さがある」し、「落ち込むこともあるから、そんな自分も責めずに生きれば楽になれるのよ」と。

 なんとか辛くてみじめな気持ちをやり過ごした所で、だましだましの人生はこのままずっとだましだまし続いてゆくのでしょうか。
正義の味方は私をまるごと支えてくれるわけではなさそうです。
限定的な支援というのは、その人まるごとのトータル的な生きる支援とは似て非なるものです。支援に私を合わせていく形ではなく、私の気持ちに合わせた支援を提供してほしいと思うのは理想が高すぎるのでしょうか。
このような「隣の芝は青く見えてしまう症候群」への特効薬はあるのでしょうか。
そんなことを登壇者のお一人お一人に聞いてみたいと思っています。

 比較社会を漂流している私たちに、登壇者の小林エリコさん、松本俊彦さん、京都自死・自殺相談センターの代表はどのように関わり、どう声をかけてくれるのでしょうか。
当日、会場に来られない方もTwitter内「#Sotto_sympo」で会場の様子をつぶやきますので、ぜひチェックしてみてくださいね。

~団体について~
私達はNPO法人京都自死・自殺相談センター Sottoです。
「死にたいくらいつらい思いをもつ方の心を居場所づくり」を活動理念に掲げて京都で活動しています。
電話やメールでの相談受付、死にたいほどのつらさを抱える方の居場所づくりや、年に一度のシンポジウム開催などを行っています。
団体としての思いを以下の記事に書いていますので、よろしければ併せてお読みください。

「あいさつ」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?