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【Sottoの穴】 第2回 ~偏差値で測られる安心感~

「Sottoの穴」2019年1月26日に開催したシンポジウム「比較社会漂流記」に際して、Facebook上で連載した全5回のコラム集です。 Sottoのスタッフたちと、シンポジウムコーディネーターの野呂さんに「比較社会の苦しさ」をテーマとして執筆してもらいました。

 執筆・・・(広報スタッフM)

 つまらない人生を送っていた。高校生だった僕は、これといった長所がなく、自信もなく、難しい思春期のまっただ中で自分の価値など実感できずにぼんやり生きていた。

 大学受験が迫り、受験勉強を始めた。勉強はある意味楽だ。問題集をひたすら解いていたらある程度成績は伸びる。偏差値の上昇に比例して、周りの目が変わった。皆「すごい」と言いながら近づいてくる。自分には価値があるのだと感じた。

 大学生になり社会人になった。ある時気がついた。僕は自分を誰かと比較して安心しながら生きている。自分の内にある自信や自己肯定感はいまいち低い。どうやら、高校時代の成功体験をどこか引きずっているようだ。しかし、今となっては偏差値みたいに努力が順調に報われて褒められるような指標はない。どうすれば、どうすれば自分を素直に肯定できるのか・・・分からない。

 自分の価値が数字で表されたら、落ち込むことも当然あるがなんだか安心する。人間性とかコミュニケーション力とか、よく分からない指標よりずっと分かりやすく、対策ができる。偏差値70なら文句なし、60も上出来、50を切ったら人並み以下、もっと良い点を取らないと・・・焦る、焦る。あれ。俺の本当の良さって何だ。そんなのあったっけ。

 偏差値というものさしは、年収や職歴というものさしに変わり、時々僕に指図してくる。「おい、お前に自分自身のものさしなんてあるのか。俺を使えよ。数字や経歴で人と比較して安心すれば楽だろうよ」

 それは時によっては甘い誘惑だが、そこで屈していてはいつまでも自分の人生を真に肯定できない気がする。しかし、この誘惑とはいつまで戦わないといけないのか。いずれ自由になれるのだろうか。自由になったら幸せなのだろうか。僕にはどれも分からないが、1月のシンポジウムで何かヒントが見つかれば嬉しい。まぁ見つからなくても気長にやっていこう。個人的に、小林エリコさんの文章が好きなので彼女の話を聞けるのが楽しみだ。

~団体について~
私達はNPO法人京都自死・自殺相談センター Sottoです。
「死にたいくらいつらい思いをもつ方の心を居場所づくり」を活動理念に掲げて京都で活動しています。
電話やメールでの相談受付、死にたいほどのつらさを抱える方の居場所づくりや、年に一度のシンポジウム開催などを行っています。
団体としての思いを以下の記事に書いていますので、よろしければ併せてお読みください。

あいさつ

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