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『私はどうして姿を消すのを思いとどまり、かくも無節操に復活したのか』

第9シリーズ初回前後編のサブタイトル風(『杉浦記者はどうして辞職するのをやめ、かくも無節操に復職したのか』)の表題をつけましたw
今回は名作中の名作、第9シリーズ(新・京都迷宮案内4)第7話『逮捕されたい男!京都タワーの謎』の内容と絡めて、一度消えかけたものの私が復活した理由を語っていきます。

本放送:2007年2月22日
ゲスト:鳥羽潤
脚本:公園兄弟(真辺克彦・鴨義信)
監督:石川一郎

ネタバレを含みますのでご注意ください

1. あらすじをざっくり

最近よく朝早く目が覚めてしまう杉浦は『京の散歩道』のネタ集めも兼ねて、早朝の街に散歩に出かけた。
道端でしゃがみこんでいる若者を見かけた杉浦は、興味を持って話しかけた。中津隆志(鳥羽潤)というその若者は道路にできた割れ目に人々が躓かないように石を詰めているというのだ。
その日の午後、中津から杉浦に取材してほしいと京都日報に電話が入った。指定された公園に杉浦が駆けつけると、中津が人と言い争っていた。杉浦が聞くと、中津は公園のとがった枝を危ないからと勝手に切っていて付近の住民と争いになったということだった。
制止を振り切って作業を続けようとした中津が、突然苦しそうにうずくまった。杉浦は中津を抱え、彼の住むアパートへ連れて行った。

2. 特徴がないのが、特徴なんだよ

杉浦(橋爪功)は、道の割れ目に石を詰めていた中津隆志(鳥羽潤)について渚(国生さゆり)と円谷(小木茂光)に話すが、特徴を聞かれても思い出せない。「特徴がないのが、特徴なんだよ」と語る。
午後、昼食を終えた杉浦の携帯に渚から電話が入った。中津からの伝言で、取材して欲しいからすぐに来てくれという。杉浦は指定された公園に駆けつけると、中津は人と言い争っていた。公園の尖った枝を勝手に切ろうとしていたため、争いになったとのことだった。
制止を振り切って作業を続けようとした中津が突然倒れた。杉浦は中津を抱え、彼の自宅アパートへ連れていく。そこで杉浦は、近くの老人ホームに入居しているという城山絹代という老女に出会う。
一ヶ月前に道路の割れ目に杖の先を引っ掛けて転んだところを助けて貰ったのが中津と出会ったきっかけで、時々手料理を彼の家に持参しており、そのお返しに中津は健康器具などのプレゼントを送っているという間柄らしい。そして彼女も、中津と同じで身寄りがいないとのことだった。
大洞はそんな中津を「今どきの若者にしては素晴らしいから記事にすべき!」だというが、杉浦は「要するに有名になりたいだけの話でしょ。そんな人間まともに取り上げる気にもなりませんよ」と、いつもの杉浦節で斜に構えた態度を取る。
その夜、円谷が特集記事の取材で京都タワーを訪れていた。閉館間際になり「中津隆志を殺せるもんなら殺せ、俺は降りないぞ」と声を荒らげる場面を偶然目撃する。

3. 老女の裏切り

円谷からその話を聞いた杉浦は、中津のアパートに駆けつけたが留守だったため城山絹代の老人ホームに訪れる。職員は「ここには入居しておらず、時々デイサービスを利用しているだけ」だと話す。
絹代の自宅へ駆けつけると、そこには孫や娘の姿があった。彼女は中津に「身寄りはいない」と嘘をついていたのだ。その方が「みんなが同情して優してくれるから」という理由で。
そして杉浦は絹代から、中津が最近になって会社を辞めたという情報を掴む。
一方で、中津は図書館で風景写真集を借りようとしたがデータがなにかの手違いで削除されてしまい、貸出不可とされてしまう。その後、中津の自宅に荷物が届いた。絹代に渡すためのプレゼントだ。胸を弾ませながら老人ホームを訪れるが、そこに入居していなかった事実を知り、彼女の自宅へ足を運ぶと家族だんらんの時を過ごす場面を目撃してしまい、中津は愕然とする。
孤独感に苛まれている日々を送っていた矢先に、図書館では自分のデータが削除されてしまい本が借りられなかったことに加え、その心の隙間を埋めてくれる唯一無二の存在だった人にも裏切られた彼の心中を察すると胸が痛む。
しかし本当に幸せな日々を送っているのなら、身寄りがいないなどという嘘をつく必要は無いはずだ。家族はいても実際には、城山絹代も「孤独」だったのだろう。

4. 30秒で語れる人生

そんな中、先述した京都市内の図書館で異臭事件が発生する。被害者十数名が病院に搬送された。その中の一人に、中津隆志の名前もあった。彼だけ他の被害者とは別の病院に搬送されたという。杉浦は、彼が末期のすい臓がんで余命数ヶ月だという事実を知ることになる。

「身寄りがいないのは絹代さんじゃなくて僕の方ですよ。杉浦さん、僕の人生は30秒で語れる人生なんです。会社の健康診断で見つかりました、手の施しようが無いものが。半年前までは何ともなかったのに…。29年生きて来て、それだけです。人が僕に興味を持ってもらえるような出来事は。いてもいなくてもどうでもいい奴。杉浦さん、ネットで自分の名前を検索した事ってありますか? 新聞記者の杉浦さんならいっぱい出てくるんでしょうね…。僕の名前は一件もヒットしないんです! どうせならこの事件で僕が死んで、僕の名前が記事に出ればネットに引っ掛かったんでしょうけど…」
「出直すよ。今の君に、俺が掛けてあげられそうな言葉は見つかりそうにもない」

その翌日、京都日報社会部宛てに『名無し男』というハンドルネームでメールが届いた。犯人からの犯行声明文だった。文面から察するに、イタズラとは思えない程詳しい内容が記されていた。円谷は「警察は具体的な異臭の原因と場所を発表していない」と語る。犯人しか知りえない事実だ。
しかも犯人は「インタビューを受けてもいい」とまで言っている。しかし、渚は「自分の存在を誇示したい割には『名無し男』というのも不自然では無いか」と語った。
犯行に使われた薬品は樹木などの殺菌に使う「石化硫黄剤」という農薬だと知った杉浦は『名無し男』のメールを送ったのが中津隆志では無いかと察する。以前まで、コーリツ化学という会社に勤めていたという話を彼に聞いていたからだ。

5. 杉浦なりの優しさ

その夜、中津は再び『名無し男』のハンドルネームで京都日報に「これから他の新聞社にも連絡し、警察に自首することを伝えます」というメールを送る。しかし警察は異臭事件の真犯人をとっくに掴んでおり、容疑者逮捕に向かうという情報が社会部に入った。警察署に自首しようとした中津を杉浦が止めたところに本当の容疑者がパトカーで連行されてくる。

「君がなり損なった主役の登場だ。自分じゃ何も出来ないからこれ幸いと乗っかったって訳だ。みっともないよね。あの男みたいなのが君の望む人生なら、事件でも何でも起こせばいい。残された大切な時間は、僅かなんだろ? これから仕事があるんだ。ちょっと付き合ってくれないか?」

その後、取材で貸し切った夜の京都タワーに杉浦は中津を連れ、二人で酒を酌み交わした。

「誰もいないこんな所で酒飲めるなんて滅多にないよ。それに、一人より二人の方がうまいから」(このセリフを聞くだけで涙が込み上げてくる)

余命宣告を受けるまで、自分の人生に不満は無かったけど実はそうじゃなかった。自分が生きていたことをどうしても形に残しておきたかった。会社を辞める日になって、窓から京都タワーが見えることに初めて気が付き、そうやって見過ごされているところが自分に似てると思えた。京都タワーの展望台から夜景を見て、自分の目で朝が来るのを確かめれば、何かが変わるのでは無いか感じたという。

「君この前も、閉館後の京都タワーに昇るって言い出したそうだな。京都タワー見る度に君のこと思い出すってさ、同僚の連中が送別会のことを思い出しながら愉快そうに話してた。君が京都タワーにどうしても昇りたいって駄々こねて、君が自己主張する所を初めて見たって、みんな言ってたよ。自分ではなんともないって思ってることが、案外と人の記憶には残るものなんだな」

そして二人で夜を明かし、最後は京都タワーの展望台で朝日を見る。きっと彼に生きる力を与えてくれたのだろう。ラストシーンの中津隆志は生気に満ちていた。そこから杉浦さん、いや橋爪功さんの『京の散歩道』のナレーションに入るというクライマックスはいつも泣かされる。
はじめは、しつこく取材を依頼する中津に対していつもの杉浦節で斜に構えていたが、やがて彼が抱える事情を知り、一緒に京都タワーの展望台で酒を酌み交わし、最後はそんな彼の人生をコラムですくい上げるというラストでこの話は締めくくられる。

6. 「死」を意識するからこそ「今」を大切に出来る

ここからは、今回の京都迷宮案内のエピソードと絡めた、個人的な「人生」に対しての持論について述べていく。
最近になって「死」を意識させられる出来事があった。人は死ぬ、どうせいつか死ぬのだ。その瞬間は必ず来る。
「人はいつかは死ぬ」それは誰もが知る真理だが、果たして本当の意味でそのことに気がついている人はどれほどいるのだろうか。目先のことに追われていると、ついつい忘れてしまいそうになるが、いつかは訪れる「死」を常に心に留めながら生きていきたい。そこで思い出したのが、京都迷宮案内シリーズでも名作中の名作である、この京都タワーの回だった。

「自分が生きた証を残したい」「誰かと繋がりたい」という欲求は身に染みてわかる。私も残念ながら友達は少ないし恋人だっていない。けど、傷つくのを恐れて行動しなければ何も得られない。受け身で生きていても現実は何一つ変わらないのだ。ただ無為に時間が過ぎていってしまうのは、人生の何にも代え難い、時間という貴重な「資産」をドブに捨てているのと同じだ。
本編に登場する、中津隆志という人物もきっと不器用で、傷つくのを恐れて生きてきたのかもしれない。自分の「いつか」では無い死の瞬間を意識したからこそ、自分の生きた証を残したいという欲求が彼の中に芽生えたのだろう。
だから私も、死ぬ直前に後悔しないように色々なエキサイティングな経験や思い出、かけがえのない仲間達という「人生の財産」を沢山作っておかねばと、京都タワーのエピソードを見る度に強く感じさせられる。
月並みな言葉かもしれないが、人生に「意味」は無いと思う。人生とは暇つぶしであり、楽しんだもの勝ちだ。そこに対して難しいことを考える必要など一切無い。
だからこそ、自分の心に正直に生きたい。くだらない他人の顔色を伺う必要なんてない。人は自分の「やりたいこと」の為に生きるべきだ。私も「自分の生きた証」が残せるような仕事で人生を充実させたいと心の底から強く願っている。私は、自分の考えや価値観を文章にする事を生業にしていきたい。その第一歩として、私が愛してやまない『京都迷宮案内』という名作ドラマの感想を書いていくことをまず習慣にしていこうと思う。
のんべんだらりと生きていたら、やりたくないことや合わないことを我慢し続けていたら、あっという間に人生は終わってしまう。いつかじゃないんだ。先延ばしにしているその「いつか」は永遠にやって来ない。
過去に目を向けながら誰かを恨んだり失敗に執着せず、そして未来に怯えず、自分の心の声に正直に「今この瞬間」を一生懸命生きていこう。

7. 京の散歩道『京都タワーでの一夜』

さいごに、おまけです。
※本編映像より抜粋しました。

「『我が人生に悔い無し』どこの誰がいつそんなことを言ったのであろうか。そんな傲慢な人間めったにいないはずだ。自身の生涯を思い起こしてもそんな大層なことは思い浮かばない。どうせならこれから何かしでかしてやろう。無邪気に思ったりもする。
ある日、公園で奇妙な青年(N君)に遭遇した。公園の樹木を無断で刈ろうとしていた。子供や老人の為だという。N君は公園関係者からは非難され、ありがた迷惑扱いされた。社会のために尽くそうという善意のつもりが、かえって人の反感を買ってしまったのである。
なぜそんな衝動に駆られていたのか。N君は余命間もない末期がん患者であった。会社の健康診断で癌が発見され、それ以来自分の死を意識し長くもない今までの人生を振り返った。いてもいなくてもどうでもいい人間だと気づいたのだという。
自分の名前をインターネットで検索しても、何も出てこない。会社を辞める日になって窓から見える京都タワーの存在に気づいた。それまでも目には入っていながらも気にも留めていなかった。N君は自分自身のようだという。他人に見過ごされているからだ。
どうせなら図々しく生きたらいい。他人の機嫌を伺うよりも自分の思うがまま生きたらいい。
思うがままに昇りつめた京都タワーの展望台でN君と酒を交わした。朝陽が昇る瞬間を目の当たりにしたN君の背中は生き生きとし、新たな生命が宿ったかのように思えた。
その後、ホスピスに入ったN君は、京都タワーで一晩過ごした話を嬉しそうに話していたという。僕はここにいる、そう叫ばずにはいられない孤独とやり切れなさ。いつかでは無い死を突きつけられたキミとは比べようもないが、老いた瑣末な新聞記者にだって、そんな夜はある。だからこそ僕もあの夜を忘れない。そして、キミという若者がいたことを」(杉浦恭介)

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