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『京都を愛しすぎた女』

今回は第2シリーズ第4話の解説をしていきます。
サブタイトル『月曜日の女の秘密!老舗旅館に潜む殺意』
本放送:2000年2月10日
ゲスト:波乃久里子
脚本:西岡琢也
監督:杉村六郎

※ネタバレを含みますのでご注意ください

1.あらすじをざっくりと

杉浦(橋爪功)は偶然、祇園の裏道で放火しようとしていた男を捕まえる。
『一見さんお断り』を立て続けにくらった腹いせの犯行だったが、他紙は街を騒がしている連続放火魔との関係を書き立てる。毎週月曜日に放火する「月曜日の放火魔」と呼ばれていたのだが、杉浦には青年がその連続放火犯とは思えなかった。
そんな中、料理旅館「桔梗亭」でつた子(野際陽子)のスクープを祝う会が開かれた。杉浦は、女将の松田紀代(波乃久里子)の行き届いたもてなしに感心しつつも、酔いつぶれてそのまま一泊してしまう。そして翌朝、感じの悪い客にイヤミを言われ耐えている紀代を目撃する。その客は毎週日曜日に泊まりに来るらしい。
翌日、杉浦が再び桔梗亭を訪れると、近所でボヤ騒ぎが発生する!

2.『一見さんお断り』の真意

今回解説する第2シリーズ第4話は、京都の『一見さんお断り』の文化に端を発したエピソードだ。皆さんは、一見さんお断りと聞くと「敷居が高い」「なんだか近寄り難い」というイメージを持つ方がほとんどだと思う。私もそのうちの一人だった。しかしこのシステムには重要な意味がある。
『一見さんお断り』とはつまり、誰かの紹介が無いと入れない。しかしそれは、排他的な態度から来ているものでも、格式を重んじるという理由でもない。一見さんお断りの真意はズバリ、常連客を大切にする気持ちとツケ払いを踏み倒されないようにするのが理由なのだ。ドラマ本編に登場した「桔梗亭」は料理旅館ではあったが、お茶屋さんを例にとって説明していく。
お茶屋というのは一種の「席貸業」とも呼べる存在だ。お茶屋遊びのざっくりなイメージとしては、舞妓さんと一緒にお酒と料理、そしてゲーム(舞妓遊び)を楽しむものだという認識を持っている方が多いのではないかと思う。しかしあくまでもお茶屋は場所を提供しているだけなので、自分のお店では料理は作らず料理屋から取り寄せて、置屋から芸妓や舞妓を派遣するというのが一般的なシステムだ。お茶屋の女将というのはとても大きな力を持っていて、お客さんに最高のおもてなしをする為に全体を取り仕切る、いわば「プロデューサー」的な役割を果たしているのだ。
女将は客の好みに合わせて、料理の手配や芸妓の派遣をし、お茶屋遊びの後に「どこかで飲みたい」と客が言えばクラブやスナックを紹介する。さらには帰りのタクシー、遠方からの客には新幹線のチケットまで手配することもあるようだ。そしてそれらの支払いはお茶屋が立て替えている。お茶屋遊びの料金は「ツケ払い」が基本。時間を忘れて心ゆくまで楽しんで欲しいという店側の配慮とのことだ。
しかし初めての客では、そのツケを踏み倒されるリスクが高い。それに初めての客は店側からするとその人の好みもわからないため行き届いた「おもてなし」をすることも難しい。店と客、互いの信頼関係があって成り立つ商売方法を取っている。そのため、京都には『一見さんお断り』のお店が多いのだという。

3.放火の動機は『古き良き京都への慕情』

京都の街を騒がせた放火犯の正体は「桔梗亭」の女将・紀代だった。これは私の推測だが、最終的に彼女を追い詰めたのは皮肉にも『一見さんお断り』の文化そのものだったと言えるのではないだろうか。
「桔梗亭」はドラマ本編で、京都では昔はかなり有名な旅館だったという設定だった。女将曰く「先代から跡を継いだものの、名前は有名だから下手なことは出来ないし、維持費だってバカにならない」と杉浦に悩みを明かしていた。

女性客二人が訪ねた際、旅館の仲居は「あんな若いお客さん、初めてちゃいますか?」とそれを喜んでいたのに対し女将は「ええのやら悪いのやら…」と、どこか腑に落ちない様子だった(に見えた)。その先代からの『一見さんお断り』の意志を貫き通さねばならないというプレッシャーが女将の心に、のしかかっていたのかもしれない。
「下手なことは出来ない」「ええのやら悪いのやら」という女将のこぼした言葉の真意を、一見さんお断りの文化に縛られ、若い人や新規の観光客などの集客をすることに対しての躊躇いから来たものではないかと私は推測する。
毎週日曜日になると、東京からの常連客が桔梗亭に訪れていた。それも「取引先の社長に言われて、客がいないからどうしても泊まってやってくれって頭下げられたから、仕方なく泊まってやってるんだ」という傲慢で横柄な客だった(常連とはいえどれほど前から訪れていたのかは不明)。そんなに嫌なら泊まるんじゃねえよとツッコミたくなる。それに加え、近隣の再開発も進んでおり「桔梗亭」もビルにしないかとまで、女将はそそのかされていた。

いくらイヤミを言われようとも、女将からすれば「常連客」だ。無下には出来ない。追い払うことも出来ずに耐えるしかない…。『一見さんお断り』の精神を重んじていたこともあり、尚更だろう。そのストレスで胃痛も引き起こしてしまった…。
先代から受け継いだ旅館を守らなければならないという責任感、そして「老舗旅館」の体裁を守るために視野が狭くなっていた(語弊がある言い方かもしれないが)こと、近年観光客が増えてきたため「かつての京都」の風景や人の流れが変化していたこと。それらが積み重なって、そのどこにもぶつけようのない苦しみを処理することが出来ずに、最終的に放火をするまでに至ってしまったのではないだろうか。
犯行が起きたのは毎週月曜日、例の無神経な常連客が帰った日の夜だった。しかし放火は三件とも、近隣に燃え広がることはなく、幸いボヤで済んだ。火を放った直後に女将は消防署に通報していた。

杉浦「燃してしまいたい桔梗亭と、燃してしまいたくない桔梗亭。燃してしまいたい京都と燃してしまいたくない京都が、女将さんの中で共存してたんだな」
女将「ええ、時代どした…」
杉浦「もう、戻ってきません。悔しいけど」
本編のクライマックスでの杉浦と女将の会話はとても切ない…。

こうして細かく深掘りして、エピソードを分解してみると、罪を犯した人間の心理を繊細に描いていて、ものすごく練られている脚本だと感じる。西岡琢也さんの脚本の素晴らしさには改めて心を揺さぶられた。私はまだ世の中について知らないことだらけだが、脚本家の仕事に憧れる…。

4.西岡脚本で、放火が題材の回はどれも名作

さいごに、今回紹介した回の他にも京都迷宮案内シリーズでは「放火」を題材にした回が他にも存在するのだが、どれも名作揃いだ。
第9シリーズ第5話、息子を自殺で亡くし、仕事に忙殺され子供に構ってあげることが出来なかった後悔に苛まれる新聞記者の心の闇に迫る回。そして第10シリーズ第7話の、お惣菜屋の常連客であるクレーマーの抱える焦りや切実な願いを描いたこの二本はシリーズでも名作中の名作だ。いずれ、これらの回も記事にしていきたいと思っている。
しかし、ひとつ悩みがある。体系的に古いシリーズから順に記事を書いていけば良いか、それとも分散的に私が個人的に「書きたい!!」と思った回を記事にすべきなのか…?
体系的に書こうとすると正直、杉浦さんみたいに記事を書きたくなくなってしまう‪w

更新頻度が少なくて申し訳ないのだが、これからぼちぼち書いていくので気長に待って頂けると幸いだ。

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