消えてしまったことを表現した。


誰かが夢を見せた。

その中で、息子は、娘は楽しそうで、苦しいくらい溢れ出るその喜びを周囲に見えるくらい振り撒く存在だった。

親父、遊ぼうよ!お母さん、一緒にご飯作ろう!

そこには全てがあった。
だからずっと楽しくて、言葉にする暇なんてなくて、考える暇もなくて、ほんっと、夢みたいな時間だったんだあ。まるで、この瞬間が永遠に続くかのように、いや、続いてほしい、どうか神様、仏様、世界中の偉い人、私からもう何もかも奪わないでくださいと、そう願わせてくれと祈りたい。


お別れは私達にそれを迎える準備をさせてくれなかった。
それは夢だった。

完全に夢心地が身体化して続くと思っていた矢先に戻された現実は、それはそれは冷たい色のペンで書かれたみたいに縁取られていて、キッチンにあるシンクの蛇口から落ちる水すらどこか本物より冷たく見えた。


それは一瞬の出来事、夢から醒めるや否や、自分の部屋に向かって駆け出した。
たくさんごめんって言った。

きっと僕がこの子を殺したんだ。

普通に生きてたらきっと見れた笑顔、泣き顔、困った顔、何かを見つめる顔、ちょっと大人になった時の凛々しさ。

全て、なかったことだ。

一回も、いや、僕が消した、この子はもう笑うことがないのだ。
そう思ってわたしは彼の姿を消した。
自分がこの子を期待通りにしようとして、期待通りにならない子供など価値がなかったから。私が私自身で彼に頼り、尋ね、相談することなく一方的に、それはそれは、全てのこの世の残酷さを纏った人間が目を見違えるほど残酷に、僕は息子を自分の目から無くした。見える世界を追放した。
まるで芸能人格付けチェックの最底辺になったみたいに。

ああ、私が期待通りにこの子を育てようとしなければ、あんな顔で、あんな声で喜んでくれたのね。

夢はそれを見させてくれた。
私はそれを現実から消した。
可能性なんて無かったことにした。
私がしたこと。
ここにいる、私の子どもは今確かにいるのに、私が殺そうとした。
それはまるで血の轍。
私が殺めた子を抱え、歩いた瞬間。それが積み重なってできた道。

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