T:『故郷を持たないTと、彼の巡礼の年』

幼少期を埼玉で、少年期と青年期を岐阜で、そして成人期をいま東京で過ごしている僕にとって、故郷と思える場所は無い。
故郷というのは、離れた後にそこに戻りたくなる、恋しくなるような場所を指すのだろうが、残念ながら埼玉も岐阜もそんな場所では無い。ジェームズ・ボンドであれば"I always hate this place!"と呟くようなものだろうか。

そんな僕が1ヶ月近くも帰省することに決めた。

この歳になると、ささやかながら親孝行をしなくてはならないと思うのだ。ここまで生きてくる中で、幾度となく迷惑をかけてきた親に元気な顔を見せるだけで、というと反感を買うだろうが、それで親孝行が出来るのであればそれで良いと思った。
おまけに両親との京都旅行も付いている。

いざ帰省してみると、体が鈍って仕方がない。

普段と同じような生活をしていても、運動不足は必死だ。なんせ歩かない。全ての移動が車で、目的地までドアツードアの移動になる。携帯の歩数計を見ると、東京での生活の30%以下まで落ち込んでいた。

外出しない生活を続けていると、精神衛生上よろしくない。そう思って、岐阜にある自分の好きな料理屋を巡る事にした。美味しいものを食べることは大好きだし、店主も僕の顔を覚えている。しかも外に出て歩いたり、自転車を漕ぐことができるので、こんなに理にかなった事はないと考えたのだ。

かくして僕は(僕にとっての)美食の巡礼に向った。

まず向かったのは団子屋だった。

目の前で焼いて頂く御手洗団子。表面はカリッと焼かれていて、タレとよく合う。餅米の甘さも絶妙だ。

僕はこの団子屋の店主が作る焼きそばが大好きで、今まで食べてきた中で最も美味しい焼きそばだと思っている。
また、焼きそばを食べ終える直前に御手洗団子を注文し、焼きそばを食べ終えた直後に表面がカリカリに焼けた香ばしい団子を頂くのを忘れてはならない。
入店すると有難い事に、僕が席に着くと「東京の生活はどうですか?」と話しかけてくれた。流石、商売人。客の顔は決して忘れないようだ。それから僕を取り巻く環境について話したり、他にも店主のご子息の話も少しした。


次に向ったのはイタリア料理店だ。

ここは何を食べても美味しい。写真は、和風創作クリームパスタ。ネギとシソのシャキシャキ感と濃厚なクリームがとても合う。

そこは多感な時期を過ごした中高のすぐそばにある。家族経営のアットホームな雰囲気が、本当に好きだ。
僕はこのお店でジェノベーゼの美味しさを知った。鼻腔を通るバジリコの香りに感動した記憶がある。
中学時代から親に連れて行ってももらったので、僕は気づいたら頃には「坊ちゃん」と呼ばれるようになっていた。
そんな坊ちゃんも10年近く経てば、容姿は大人になるものだ。それでも僕に話しかける時に坊ちゃんと言ってくださるのは、少し照れくさく、ちょっぴり嬉しいものだ。


最後は蕎麦屋だ。

(ここは写真を撮る、撮れる雰囲気のお店ではないので写真は無い。悪しからず。)

蕎麦とは不思議な食べ物で、安く食べようと思えば幾らでも安く食べることが出来るが、上を見上げれば青天井だ。僕は最早、蕎麦というのは食べ物というよりも一つの確立した文化だから、どれだけ高くても客は来るし、また客がそれを許すのだろうと考えている。というより、そう考えないと僕の中で筋が通らないのだ。
僕は決して高級な蕎麦屋を否定していない。そこには粋な文化がある。年の暮れに浅草の蕎麦屋で熱燗を呑みながら天ぷらを食べ、締めにざる蕎麦を頂いたのは良い体験だった。あの時ばかりは酔った勢いで江戸っ子を気取ったものである。

閑話休題。

実家の近くにある蕎麦屋は、小学生の頃から通っていた。当時、母親と蕎麦屋の亭主が小学校のPTAか何かに所属しており、何かの資料を届けにお店に行き、蕎麦を食べずに色んな話をして頂いた記憶がある。確か碾き臼を触らせてもらったような気がする。
そんな蕎麦屋には中学時代から、長期休暇になると必ず訪れている。蕎麦を食べ終わった後、焙じ茶を飲みながら、最後に会ってから今までの出来事を話している。今回ここに訪れたのは実に2年ぶりで、暖簾をくぐると笑みで迎えてくださった。

こんな感じで、帰省中の予定の合間を縫って食べたいものを食べた。というよりも、会いたい人に会ってきた。その過程に、美味しいものが付いてきたのだ。

「都会の人は人情がない」。そんな事を言う人がいるが、これは当たらずと雖も遠からずなのかもしれない。家族を含めて人の温かみを存分に感じた帰省だった。

あぁ、こんなに「美味しい」思いが出来るのであれば、また帰りたくなってしまう。

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