鋼の錬金術師

サタデープログラムでの水島精二監督講話のメモ(ないしそこからの感想・思い)

先日、名古屋の東海中学校・高等学校でのイベント「サタデープログラム」というものに参加してきました。いろんな方の講話が行なわれまして、クイズ王の方やノーベル賞受賞者の方、SNSでよく漫画が上がってくるやしろあずき氏や白石稔氏なども来られたのですが、自分もとある方の講話を聞きたくて参加しました。
ダイ・ガードや鋼の錬金術師(1期)、ガンダム00の監督をされた水島精二監督です。最近はアニソンのクラブイベントもされている氏、なかなかアニメ監督さんの講話なんて聞く機会なんてないと思い、足を運ばさて頂きました。以下に自分への備忘録を含めて、簡単に講話の内容を書いていきたいと思います。(記憶をもとに書いてますが手違いありましたら申し訳ありません)

水島監督、こういった講話は初めてやるようで(後に話されていましたが今事務所に所属していることでそこからの紹介だったようです)どう話をすれば良いのかなと笑いながらスタートしました。終われば時間超過するくらい話してくれましたし、結構話せるもんだねと嬉しそうでした。

講話の内容としては監督自身の生い立ち、というかこの業界に身を投げてからの逸話はベースに、どう仕事をこなしていくか、どうすればよりいい仕事ができるかみたいな処世術がテーマでした。

監督は高校創業後アニメ門学校に入学(東京デザイナー学院)し、まずは花形のアニメーターを目指したらしいですが自分よりうまい奴らがごまんといる現実、また高校からの仲である田中良氏(アニメ版バーチャファイターのキャラデザや新ゲッターロボの作画監督など)が、入学当初はそんなにうまくなかったのにメキメキと才覚を表して、先にプロとして学校を中退してしまい、「俺はこんな人達と並んでいこうとしても成功するのは難しいだろう」と判断したそうです。しかしアニメに関わる仕事はやりたいと夢を諦めきれず、卒業後は(就職活動時に骨折してしまい退院後はほとんど行き先が残っておらず、先輩のつてもあって)撮影の仕事を始めたそうです。そこで憧れの先輩に少しでも気に入れられるよう、相手の会話を聞いては相手が興味があること、好きなことを汲み取ってより相手に自分を気に入ってもらえるようなコミュニケーションを心がけたようです。この頃から後に話されていた「会話」についての重要性を感じていたようです。撮影の仕事はなかなか興味深く、すごく勉強になったそうですがいかんせん最後の仕上げの仕事になりますし、当時はセル画なのでそう何度も取り直しができず(何回もしていると色が滲んで変な影が出てきてしまう)慎重に行いたい仕事なのですが、3日猶予があれば良いほうで、まずいときだと海外から上がってきた絵を作監?のチェックもいれずに1日でほとんど撮らなければ行けない日もありそれは地獄だったそうです。ある程度すると仕事自体が落ち着いてきて、このまま撮影だけしていても行けないと思いサンライズに制作として転職することになります。

↑セル画だとこういう機械でコマ撮りしていくみたいですね。すごい根気が掛かりそうです・・・。

サンライズに制作として入ったとき、氏が最初に考えていたのは「撮影の時間をもっととってあげれるようにしよう」でした。自分の時のような地獄の状況にはしてあげたくないと、今はSNSや携帯ですぐ連絡取れますが当時は直接会う時でもないと連絡取れないことを悪用w…もとい工夫して作画などの締切を1週間程早めて時間を割いていたそうです。ちなみに氏が担当した制作だとシティハンター3等だそうです。氏の会話を大事にする姿勢は制作とも相性がよかったらしく、上司にも仲間たちにも認められていったそうです。とはいっても制作が激務だったのは今も昔も変わらなかったみたいで、車の運転中に事故になりそうなことが何度もあったそうです。また、制作から出世していくと上司の立ち位置にあるデスク(当時のデスクは後にボンズの社長になる南雅彦氏)からなかなか動けず、現場の仕事には行けるのはだいぶ先になってしまうとの事でした。現場での仕事、演出がしたいと思っていた氏は思い切ってフリーランスになろうと退職を決意しますがどうせならボーナスをもらってからやめようと思って、周りもそうしろよっていうから本当にしてしまうと、上司や仕事仲間からはそっけない態度をとられ、囃し立てた側も「本当にするのかよ…」といった目でみられてしまい、とんでもないことをしてしまったと強く反省したと言っていました。関係ないですが俳優の安田顕さんも昔公務員だったときボーナスを貰ってからやめた経緯があり、すごく怒られたと水曜どうでしょうで言っていたのを思い出しました。

(やっぱ現場は白箱じゃなくてクロバコなんだなって・・・)

フリーランスになったのはいいもののやはり一人ではなかなか難しかったらしく、クリエイター同士でスタジオを作って(当時はよくあったらしいです)そこで各々仕事をしていったそうです。スタジオといってもひとつ屋根の下で作業していて、時にはアイデアを出し合ったりといい環境だったみたいです(トキワ荘みたいなかんじなのかな)。氏はそこからセタというゲーム会社に関わりスーパーリアル麻雀シリーズ(まあ脱衣麻雀です)の演出を手がけます。先述した田中良氏が原画を描いており、今までの静止画だった脱衣麻雀がアニメーターによるなめらかな動きを加えた演出で好評を得たようです。田中氏は「水島とやるとややこしくなるから一緒に仕事したくない」と半分冗談みたいに言っていたそうですが、はじめての演出・コンテ作業で不慣れだった割に要求は高く、だからといって絵がうまいわけでもなかったからメーターの負担が高くなってしまって済まなかったと言っていました。

↑リアル麻雀だとこんな演出だったみたいです。健康的でいいですね。

ただやはりゲームの合間の演出では時間も少ないし、脱衣麻雀だとどうしても限定的なシチュエーションしか描けません。いろんな映画などを見て演出の勉強をしつつ、やはりTVアニメとしての夢を諦められない氏はひょんなことから庵野秀明監督やガイナックスと知り合い、ガイナ自体が若いチームだからか水島さんやってみる?と誘われエヴァンゲリオンでも9話で演出を手がけました。(瞬間、心、重ねて シンジとアスカがユニゾンキックする回ですね)。それが認められたのか、スレイヤーズNEXTでも何話か演出したようです、エヴァやスレイヤーズなんてヒット作に関われるのも、今まで培われた技術もありますが、やはりいろんな人と関わりをもってコネクションを広げていったのが大きかったようです。勿論会うだけだとそれっきりになってしまいますが、そこでの交流で相手に好印象をもってもらう、こいつ頑張ってるな、面白いやつだなって思ってもらえるのが大事といっていました。言葉で言うのは簡単ですがやっぱそこは若手の頃から培ってきた努力と、そのばその場の仕事を誠実にこなして評価してもらう事が大事だと話を聞きながら思いました。

↑氏が演出・絵コンテを手がけたスレイヤーズNEXT17話。女性だけの国に潜入するために男どもも女装するのですが・・・おちが酷いw

然しながら演出の上には勿論その上に監督という存在がいて、ときには相性の悪い監督もいたそうです。リメイク版マッハゴーゴーで列車に時限爆弾が仕掛けられる回を担当されたそうですが、そこで仕掛けた側の人間が何故か列車に乗り込む話で水島氏はこれだと犯人も一緒にやられないか?と疑問に思い監督に抗議したそうです。しかし監督は「いやハリウッドではさー」とよくわからない反論をしコンテも書き直したのを訂正され結局そのまま乗り込む形の回になってしまったそうです。(あんたハリウッド撮ったことないだろ・・・)と監督は非常に悔しい思いをしたそうです。後日、ガイナつながりで現トリガー所属の今石監督(グレンラガンやキルラキルの監督さんですね)に訂正前と訂正後のコンテを見せに行ってどっちが面白いって聞きに行ったそうです。今石監督も水島監督のほうが面白いよと言ってくれたそうです。会社という環境なので上下関係はありますが、だからといって上の人が面白いかどうかは別だ、自身があれば食い下がってでも(ものづくりの事業なら尚更)意見を言うことも大事だと水島氏は言っていました。(ちなみにその訂正した監督は誰だろうとWikipediaで調べてみましたが、名前はわかったのですが記事の記述はなく、また監督自体も途中で交代している・・・まあそういうことだったんだなと思いました。水島監督もあの人今何やってるかは知らないと言ってましたし)

いろんな作品の演出やコンテに関わっていたある日、エヴァンゲリオンのヒット等から深夜アニメにもっと力を入れていきたい、若い力を育てていきたいと考えていたタツノコプロから、水島氏の作品への頑張りの噂を聞いて監督やってみない?とついに打診されました。そしてついに自身初の監督作品「ジェネレイターガウル」が誕生します。前に庵野氏と話したときに「俺達の世代でほんとうの意味で新しいものというのは作れない、先輩たちがやり尽くした。ならどうするか。それは俺たちが面白いと思ったことを自分たちで再構築して、下の世代に伝えていくことなんだ。そして俺が好きなウルトラマンからエヴァが来ている。エヴァンゲリオンは俺のウルトラマンなんだ」といった話をしており、氏も感銘をうけたみたいです。なら俺は仮面ライダーを作ろうと思ったのが等身大ヒーローものとも言えるジェネレイターガウルでした。アニメでサスペンスものも作ってみたかったのも作風に出ているみたいです。

↑がジェネレイターガウル。仮面ライダー的でもありますし同じタツノコプロならキャシャーンとかポリマー、もしくはガイバーな印象を受けました。話的にはタイムトラベルものでもあるのでSFとしても描かれているみたいです。初監督ということで大変だったそうですが、当時はカウボーイ・ビバップも放送されていて、その時のアニメ雑誌にも「表のビバップ、裏のガウル」と評価されていたようで手応えも感じていたと言っていました。検索してみると海外人気も高いみたいですね。

(↑ヒロインの頭の筒はなんだろう・・・?)

その後もダイ・ガードを始めとした監督作品、演出等の仕事をこなしていく氏ですが遂に「鋼の錬金術師(1期)」の制作が始まります。制作会社もボンズ、過去にサンライズでお世話になり、退職の際においたしてしまった南社長の会社です。なんだかんだあっても過去のつながりというのは大事だし、どこかで大きな転機に繋がります(勿論その前にシャーマンキングの監督もされていますから監督としても十分評価されてはいます)。あの機動戦士ガンダムSEEDの後枠、土6での放送なのでかなりプレッシャーがあったと思います。また鋼の錬金術師の原作漫画も放送始まった頃はまだ3巻ぐらいしかでてず、1年予定でもあるのでどうしても自分の色をつけていかないといけません。その中で当時の土6のプロデュース(SEEDなど)・企画(ハガレンだと企画担当)を担っていた竹田青滋氏の存在が大きかったと言っています。竹田氏は入社後の仕事は報道に立つ仕事が多く、豊田商事事件やグリコ・森永事件を担当していたこともあったそうです。そんな経緯もあり、氏の考えの中に人間の愚かな部分、エロティックやグロテスクなものも包み隠さず伝えていきたい考えがあるようです。(SEEDのキラとフレイの情事やジェネシスでの人が風船みたいになる描写がありますがその影響もあるかもですね)そのお陰か、ハガレン1話の最初の絵コンテでは原作通りに母さんの人体錬成は黒塗りであまり描写の刺激が少ないものにしていたそうですが、それを見せた後竹田氏から「水島、おまえアレでいいの?まあお前が良いならそれでいいけど。」と言われたらしく、監督カチーンときてかなり直接的な描写にしました。

上の画像が原作版、そして放送されたのがこちらです。うーん、大好きなお母さんがこんな姿ででてきたら子供でなくてもトラウマです。実際監督も竹田氏に「これトラウマなるってクレームきませんか?」と聞いたそうですが「そっちの仕事は俺達がやる。描きたいように描け」と頼もしい言葉を頂いて、後半からのダークファンタジー色が強くなっていくのも頷けます。でもこの演出で本能的に人体錬成は禁忌なんだと理解できますね。

こちらの画像は紛争の火種となった軍の制圧様子ですが、子供を兵士がもののように、むしろ楽しんでいるような表情で描かれておりここまで書く必要本当はないですけど、敢えて世界ではこういう事が起きてることを教えたかったんでしょうね。「今もよく言われてますがオリジナル要素を出していって、原作とアニメ違うじゃん!とファンから言われることもあります。でも原作とアニメ、同じだったらやる必要はない、僕はよく原作クラッシャーと言われてますが誰かに、どこかにいるお客さんに刺さるように作品を作ってるつもりです」と監督は仰っていました。実際当時の僕も絶対の正義なんてないけど、それでも悩みながらも立ち向かうエルリック兄弟の姿に夢中になってました。勿論作者の荒川弘先生の許可をもらってから作品にしているとはいってましたが。(ただある少女が暴行された描写は荒川先生もやるべきではなかったと困惑したようですね)監督は荒川先生は女性だからかなんだかんだで世界に優しいし(勿論いい意味で)、そこが男の自分たちとの作品の違いにつながったのかもと言ってました。逆にテレビ東京系列だと過激な描写や原作準拠が大事みたいです。そこは各局の方針でしょうね。とはいってもシャーマンキングも後半オリジナルストーリーだったり、設定をいじってることもあってカミソリの刃送られたこともあったと笑いながら言ってました(こわいよw)また、後の作品になるはなまる幼稚園でもファンから設定変えるなって怒られたそうです。原作の勇人先生は毎週喜んでくれたのにと苦笑いでしたが。なかなかどちらからも喜ばれるのも難しいですね。

後にハガレン劇場版、そしてガンダム00とヒット作を跳ばす監督。名実ともに正に日本アニメ界トップの一人といっても間違いなくなります。普通ならそこで胡座かくなりもしくは会社を設立する話もあったかもしれません、しかし監督は1クリエイターとしてまだまだ制作を続けていきます、はなまる幼稚園、un-go、コンクリート・レボルティオ、そして近年最大のヒット作ともいえる楽園追放。とどまることを知りません。然しながら年月が立てば後輩たちも育っていきいろんな立場になって現れます。氏は昔の後輩からのつてでディオメディア制作「BEATLESS」に監督として参加します。

↑楽園追放。最初聞いたときは虚淵玄氏のシナリオが気になりましたが見てみるとむしろ不安要素であったCGの美麗な描写に感動しました。

BEATLESSの制作、かなり大変だったと監督言ってました。当時も結局20話で制作止まってしまって、本当の最終回になったのは3~4ヶ月後に放送になりました。原因としてはかつての後輩の頼みなので、スケジュール管理とか客観的に見る前に承諾してしまったこと、また後輩の方が「こいつができるやつだ」と太鼓判を押して連れてきてくれたスタッフたちも、監督からみると少し力不足に見れてしまったことがあったと言っていました。監督も思うように行かない制作状況からかかなりストレスが溜まってしまったらしく、片耳が突発性難聴になってしまったようです(現在も完治はしていないらしいです)。BEATLESSの制作後も仕事の依頼は沢山あったようですが、先の難聴の件とまた奥様の家族の病気などいろいろ重なって一時的にお断りさせていただいた事もあったそうです。今まで仕事で自らの理由で断ることがなかったのでこのときはひどく辛かったとの事でした。

↑BEATLESS、見てるフォロワーさんは結構楽しんでるようでしたし今度ちゃんと見てみようかな…。

いろいろあって大変な監督ですがそこはクリエイター、新しいことに挑戦しようとへこたれません。アニメ監督としては珍しい芸能事務所((株)一二三 )に入ります。今まで監督という肩書しかなかったのが特別顧問って肩書が増えて嬉しかったと監督言ってました。後日事務所の作品は監督が目を通してくれるんですよねと言われてコレはコレで大変そうみたいなことも言ってましたがw今は事務所所属ということもあり今までできなかった事、例えばガンダム00を舞台で表現してみたり、リアニやMOGRAなどにアニソンDJとして参加してみたり、tik tokに投稿してみたり、今回の講義も事務所を通じてのお仕事だったようです。DJとかは今の若い子はどんなことに興味あるかを知りたくて参加しているらしいです。他のクリエイターさんもよくお話上がりますが今の主流を探求していく姿勢もこの業界大事なのかなあって思います。勿論アニメの方の制作も頑張っていて、今年も2本作品を発表予定だとか。僕も1ファンとして楽しみにしています。

アニメ監督の生誕祭はお祭り騒ぎ! “スーパーバイザー”水島精二のアニソンDJにMOGRAが大熱狂|ガジェット通信 GetNews
監督のDJの模様はこちらなどに、50歳でDJやるなんて意欲溢れる方だと思います。

現在までのお話が終わったことで(時間過ぎているにも関わらず監督のご厚意で延長してもらい)質問コーナーもしていただきました。以下簡単に抜粋して紹介します。

Q:夏色キセキの時かなり立て込んでたというお話がありましたが?
A:前からなんか面白い企画やるらしいよって話はあったのですが、発表1年前くらいに急に僕に打診があって、結構バタバタしながら作ってました。11ヶ月くらいスタジオとたまにご飯買いにコンビニ行くくらいの生活をしていて、体重も10kg近く落ちてしまいました。他の人からも監督痩せましたって言われてw でも日常系アニメはもともと作りたかったので楽しかったです。
Q:このスタジオはやりやすかった所とかはありますか?
A:やっぱGONZOはやりやすいです。あとサンライズも。バンダイナムコさんのスタジオもいいですし、グラフィニカやサンジゲンも3D技術がいいですね。
Q:将来有望なスタッフとかいましたら教えてください。
A:おそ松さんとかに参加している垣田由紀子さんですね、女性ならではの色彩感覚が素晴らしく光るものがあると思います。(確か垣田由紀子さんの話だったと思いますが違っていたら申し訳ありません。)後は、若手ってわけではないですがやっぱ今石監督とかはいずれ大きい作品を当ててくれると思います。
Q:先日00の続きを書くと発表がありましたが経緯など教えてくれれば
A:僕がやりたいと言い続けてきたからですw後00が10周年を超えてなにか発表できたらと思っていて、ちょうどサンライズとしてもタイミングが良かったからですかね。本当は会社としても前々からやりますって言いたいのだけど、SEEDの劇場版しますって言って結局なにもできてない事もあって言葉が慎重になっている。でも監督が言うのは全然大丈夫ですからと言われていたのでw
Q:監督は若いときから会話・コミュニケーションを大事にしているとお話がありましたが、会話のコツなどあれば教えてください。
A:まずは相手の話を「聞く」ことです。そこで相手の興味のあることを感じ、そこから会話を広げていくことが大事だと思います。相手に自分と話していて楽しいと思ってもらうことがコツかなと思います。中には中村繪里子さんみたいにガーッって自分から喋り倒してコミュニケーションとっていく方もいますが。あれはもうそういう一種の才能だと思います。

こんな感じで質問コーナーも終わり、有意義な講義も惜しまれつつ終了となりました。これまたご厚意で簡単なサイン会も開いてくださり素敵なサプライズとなりました。企画してくださった名古屋の東海中学校・高等学校のみなさん(監督担当の司会の子は中学生でした、ありがとうね)、株)一二三様、そして水島精二監督本当にありがとうございました。

監督もこういった講義をするのは初めてと言っていましたが、自分も声優さんのライブとかはたまに行きますがスタッフや監督たちとの交流ははじめてだったので大変勉強になりました。氏の話を聞いていると、クリエイターとして一本技術を磨くのも大事ですが、いろんな部署を渡って自分の経験とそこでのコネクションを作っていくのが大事なんだと感じました若い時やその瞬間では実を結ばないように見えても、後にあの時頑張っていたからまた仕事振ってみようかなとか、頑張っているやつがいるから知人にも紹介してみよう等、「気に入ってもらえる」と言うことで次に繋がるのは僕らがやっているような普通の仕事でも同じ事が言えるのではないでしょうか。決してゴマをすることではなく、相手が聞いてほしい、もっと掘り下げてほしい会話を汲み取って会話するのが監督といった全体を総括する役職で必要になるスキルなんだなって思いました。自分も少ないですが部下やパートさん、バイトの子を預かる仕事をしています。これからの仕事の取り組みに心がけていきたいと思いました。思えば監督の作品もダイ・ガードや00,ハガレンなど相手との対話が大事に描かれている作品が多いと思います。自分の経験や価値観をオリジナル・原作ありとはず上手く作品に落としていくのが上手なんだなとも思いました。

機動戦士ガンダム00と、2つの「対話」 【前編】 
↑こちらに当時の劇場版についてのインタビューが載ってます。そこでも対話についての話も挙げられていますし、講義の中でも本当は皆と仲良くなれればいいけどどうしても会話していて合わない人もいる、そういう人と頭ごなしに拒絶するのではなく少しづつ距離をとっていく、そういうのも大事なんだよ。といった事も言ってました。話ずれますがMr.Childrenの曲の中に掌という個人的にも好きな歌がありまして、その歌詞に一つにならなくていいよ、認め合えばそれでいいよという歌詞があるのですが講義を聞きながら思い出していました。今はネットやSNSで簡単にコミュニケーション取れるようになりましたが、逆に自分の好みの情報しか見ていない状況にもなりやすく、また大多数の声以外は異端のように扱われるのが見えやすくもなっており息苦しさも感じるようにも思います。自分もその流れに乗っていないか、知らないうちに自分の考えが時流の流れだけで考えていないか、知らないものは否定しかしないでおこうとか不安になります。多様性を認めることで自分も認めてもらえる、価値観を共通しなくていいから尊重しあおうといった事を氏の講義から再度確認させてもらった気もしました。これが今の時代に求められる考えの一つなのかもしれませんね。

以上、素人なりに書いた分のなので陳腐なところや誤字もあると思いますがためになる話だと思い、なにより自分が忘れないために書いてみました。ここまでお読みいただきありがとうございました。

(先日ハガレン1期とシャンバラ見直しました。やっぱ面白いです。ホムンクルスの面子、ヒールだけど彼らなりに生きていこうと必死で好きなんですよね、悪い妖怪人間ベムみたいで)




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