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Thank you チバユウスケ

2023年12月5日昼、いつものように仕事の休憩に入った俺はパンを片手にいつものようにツイッターを開いた。昼飯を食べながらなんか面白いことあったかなあと、毎日やるようにスマホを開いた。自分のトップページにまず出てきたのはフォローしているthe_birthdayの公式アカウントだった。文面ではなく書面の画像が投稿されている。題名には「チバユウスケに関しての大切なご報告」。正直この時点でかなり嫌な予感がしたが読まないわけにも行かないので画面をスクロールした。「穏やかに息を引き取られました。」、その文を見た時自然と涙が出た。チバさんが今年頭に食道がんになって入院したのは知ってた、でもあのチバさんならひょっこり帰ってきてライブツアーを始め、最初のMCであのはにかんだ笑顔で「ただいま」と言ってくれるものだと思ってた。でも残念だけどそうはならなかったみたいだ。とても悲しい。

午後からの仕事は体は動いてるけど、頭の中では彼の曲がぐるぐる回ったり、ライブでみた彼の姿が思い浮かんで身に入らなかった。
仕事終わって家に帰ったらTMGE,ROSSO、そしてbirthdayと彼の作った曲たちを聞きつつ、明日休みだからといつもより多めに酒を飲んだ。あんまり酔えなかったけど。
朝起きたらそれなりに二日酔いの頭痛と、ニュースでチバの追悼をしていたのでやっぱ本当なんだと、受け入れたくないけど受け入れるしかなかった。

自分とチバさんの出会いはあの有名なドタキャン事件からだ。いやTMGEの活動自体はスペシャとかで知ってたけど、本格的に意識するようになったのはあの時だ。多分海外タレント(の運営)としてはこれが話題になってある意味箔をつける気だったんだと今ではわかるのだけど、彼らが見誤ったのはその時のMステには即興でもエキサイティングでロックンロールな音楽ができるバンドが、ミッシェル・ガン・エレファントがいたということだ。結果、その日地上波を通して全国のキッズ達や音楽ファンを虜にしたのは4人のスーツ姿の男たちになる。

結局TMGEのライブを生で見ることはなかった。後のアベフトシの事を考えると引きずってでも行かせたいけれど、田舎の少年にはテレビやラジオを通して彼らの活躍を見守る事しかできなかった。当時の解散ライブの様子(ライブ後の観客へインタビューしてた記憶)をラジオ「やまだひさしのラジアンリミテッド」で放送してたのを聞きながら、本当に終わっちゃったんだと一緒に悲しんでいたな。後に発売されたラストヘブン(ラストツアーのタイトル)のライブCDも聞きまくって、最後には音飛びするようになってしまったのもいい思い出。

そうしていくうちに月日は流れ、俺も仕事を始めたり、チバとキューちゃんはbirthdayを始めたりとしていた。birthdayの曲も追いかけてはいたけど、悪い癖でアベの影を求めてしまってミッシェル程ははまれなかったな。

と、過ごしていたら地元にbirthdayがライブに来ることがわかった。しかもたまたま仕事も休み。まだ一人でライブという所に行ったことなかったから、ライブ、しかもbirthdayなんて怖そうなファンばかりだろ行って大丈夫か?とか思ったけど、でももしかしたらこれ行かないとこれからも行くことないんじゃないか?まずお前は生のチバユウスケ、生のbirthdayを見たくないのか!?という想いに負けて、駅前のライブハウスに向かった。
結果、めちゃくちゃトんだ。ドラム、ベース、ギターが爆音で鳴る中、チバの熱いシャウトに「俺のヒーローはここにいるんだ……!」と雷に打たれたような感覚、そしてその後はアホみたいにジャンプしまくってた。最初ということで限度がわからず、アンコール前に軽い脱水症状やめまいを覚え、顔真っ赤だったからスタッフさんに大丈夫ですかと心配されながら先に帰ったのも、その時はちょっと悔しかったけど自分の限界とか知れたし当時のギターだったイマイとライブ中何回か目があった(気がする)から多幸感を浴びながらの帰宅だった。

その後はライブというものに抵抗がなくなり、というかむしろ求めるようになってチャンスがあればライブハウスやコンサートに向かうようになった。birthdayに問わず、他のバンドやミュージシャンのも見るようになって、ブラウン管や液晶越しではわからない、生の素晴らしさってのをガキの頃よく行っていたプロレス以来思い出せたのも感謝してる。東海に仕事場が写ったのもあって、名古屋にbirthday来たときはよく行った。どの日もよかったし、今でも思い出す。地元でBRAHMANとの対バンに来たときのTOSHI-LOWのかっこよさとチバのかっこよさの違いに感動したり、岐阜でのフェスで会場の向かいに中日ビルが見えるから中日目立つなあだとかよくわかんなかったりw、最後に見たのは2019年の名古屋で、機材の調子が悪くて途中ライブとまったけど直ったとき「直ったぞ!」と嬉しそうに伝えてくれたり、歌詞飛ばしてちょっとはにかんだりもしたけど、でもミラーボールの下マイクスタンドを持ちながら歌い上げる姿は正に「かっこいいオトナ」そのものであって、これからもロックンロールを歌い続けるんだろうなあと漠然と思ってた。


探したらでてきた BRAHMANとの対バン くしゃくしゃでごめん


岐阜での野外ライブ birthday待ちの皆様


近年ではコロナ禍もあり、思うようにライブができなくて悔しかったと思う(他のミュージシャンらもそうだろうけど)。けれどその中でも新曲はリリースしてくれて、そしてやっと収まってきて、声出しもOKになって、ついにはあのSLAM DUNKの新作映画のOP曲を務めたりもした。実際見るまでは声優交代とかもあり不安でいっぱいだったけど、「でも映画館でbirthday聞けたらそれだけでいいかもしれない」と思いながら映画館に足運んだのも覚えている。実際見たらめちゃくちゃよかったんだけど。
強力タイアップもついて改めてbirthdayの活躍が期待されるぜ……!ってときに休養報告でした。かなりショックではあったけど、でも他のミュージシャン達もなんとか治して帰ってくる人も多かったし、まだ若い、あのロックンローラーのチバさんなら絶対帰ってきてくれるはずと、漠然と信じていた。
でもそうはならなかった。残念だけど。最後家族に見守られて逝けたとツイッターの文にはあったので、そこだけは本当に良かったなと思う。悔しいけど。

ミッシェル・ガン・エレファント、チバユウスケの音楽は自分にとっての音楽観以上に人生観にとっても大きな影響を与えてくれました。もしかしたらチバさんがタバコ吸わなかったり、大酒飲みじゃなかったらもっと長生きしたりガンにもならなかったかも知れません。だけど、それはもう僕の知っているチバユウスケじゃないし、みんなが知ってるチバユウスケでもないと思う。多分チバさん自身がそんなの俺じゃねえとやめなかったと思う。勝手に思ってるだけだけど。

正直まだ受け止めきれてない気持ちもあるんだけど、ニュースにでたり各界の追悼コメントとか見てるとやっぱそうなんだよなと思うしかない。でも、チバさんが残してくれた音楽や熱さはそれこそ俺が生きてる限りは絶対忘れられないし、それは他のファンの人もそうだと思う。骨になってもハートは残るぜってやつだね。
正直早すぎるし、まだまだあなたの歌を聞いていたかったけど、空の上でアベさんと一緒に酒とギターを酌み交わしてください

Thank you CHIBA! I love you Baby!!




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