見出し画像

内定辞退は「謝りに行くべき」か?

「気持ちを収めるため」の無駄な儀式

この記事が話題になってますね。


タイトル見ただけですが、私もけんすうさんのこの意見に賛成で、お互い時間の無駄はやめたら? と思います。

けれど、日本には一定数、「手書きでないと失礼」「会わないと失礼」と考える人もいるんです。お互いの時間の無駄よりも、形式的な「気持ち」を優先させるんですね。

私は新卒で事故のクレームを受けるサービスセンターにいたのですが、
ここで覚えた日本の慣習が小さいミスでも「まず菓子折り持ってお詫びに行く」文化でした。
なんか揉めそうな案件や、被害者がやたら怒ってるようなクレームは、必ず被害者にお詫びに行くよう、私たちが指導するんですよ。遠方だと1日かけて課長と一緒に行ったりしてましたね。

相手の気持ちを鎮めるための儀式です。

で、これをやらないとどーなるかと言うと、
「誠意がない!」
と余計相手が怒って揉めるんです。
示談に応じてくれなくなり、支払いが遅延します。

ツイートの事例に対しては、「流石に行き過ぎだ」と言う声が圧倒的ですね。相手の気持ちを収めることよりも「時間の無駄をなくすこと」を重要視する人が増えています。これはいい傾向じゃないでしょうか。

とはいえ、この手の考え方をする人、まだまだ多いんです。
今日はこの「お詫びの時間」が日本社会に与える影響を、考えてみます。

企業内部で書く「反省文」の正体

日本社会には、こうした「お互いの時間は無駄にするけれど、感情を収めるために必要なこと」をする時間があります。

あるイベントにて、大企業同士の間でトラブルが起きました。現場はなんとか収まりましたが、担当者は数ヶ月後、社内で「反省のための文書」を書かなくてはならないことになったそうです。

揉め事の原因はわかりませんが、うちは孫請けで関わっていたので、「反省文作り」に協力してもらえないか、と言われてビックリしました。

だってもう終わった仕事で支払いも済んでるんですよ。

なのに、「思い出して時系列に何があったかを整理」して、本社に報告しなくちゃいけない、と。なんと言う後ろ向きな仕事でしょうか。
担当の方、この反省文作りに何ヶ月もかけていて、ホント大変そうでした。

余談ですが、日系企業と働いていてつくづく大変だなーと思うのは、社内の文書制作です。
特にお役所だと書類の「分厚さ」が評価につながることもあるらしく、延々と長い文書を書かされます。読むこちらは、ポイントを探すのも大変で、「誰得?」なのですよね。

「お詫びの姿勢を見せること」「それに時間を使うこと」「分厚い報告書を作ること」がビジネスシーンで必要なんですね。

電車の遅延で謝る職員とかホント気の毒です。
謝ってる時間に他のことすればいいのに。

そして貴重な時間が失われていき、サービス業の人はいよいよ忙しくなっていくわけです。
日本の労働時間が長いのって、これも一因です。

小学校のときの「反省文」の弊害

この問題、例によって、日本の教育制度から始まってると思います。

小学生のときに「反省会」というのがありました。
そして「反省文」を書かせます。

「田中くんが今日掃除をサボってました。いけないと思います!」みたいに責められる。
そして田中くんは「掃除をサボって悪かったと思います。次は頑張ります」とか書きます。

反省文書く人、心の中では「めんどくせーから、早く終わらせるか」と思ってたりします。
多くは、ただ形式的にお詫びを書いてるだけですよね。

もし、何か「だってあの時はお腹が痛くてさ」などと言い訳したら、さらに怒られることが目に見えてます。

だから、ひたすら「ごめんなさい、僕が悪かったです」と書き続ける。
本心でなくても、です。

つまり反省文って時間の無駄でもあるけど、「自分と他人に嘘をつく練習」にもなってるんですよね。
こうやって「本音と建て前」を叩き込まれていく。

反省文を書きすぎると人は犯罪者になる

ここから先は

1,561字
この記事のみ ¥ 100

これまで数百件を超えるサポート、ありがとうございました。今は500円のマガジンの定期購読者が750人を超えました。お気持ちだけで嬉しいです。文章を読んで元気になっていただければ。